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Philosophy

こんにちは、お久しぶりです。
最近すごくジメジメしてきましたね。

実は先週から構造設計事務所のバイトが始まり、少し忙しくなってきました。ここ最近で初めて自転車に乗った時の疲労感は半端なかったです。。特に運動してなかった人は体力の落ちにショックを受けるかもしれませんね。電車は以前のようなヒトゴミがかなり緩和されており、自分自身の更新された日常生活の雰囲気がかなり変わった印象を受けます。なんか、あくせくしたりせっかちに動いたりといったことがなくなって、自転車もゆっくり漕ぐようになって、良い感じです。

自分の行動形態や精神状態が環境の影響を強く受けるのか、ステイホームで自分自身と向き合う時間ができてなんとなく心に余裕ができたのか。社会がまたセカセカした雰囲気に戻ったとしても今持っている感じは忘れないようにしたいところです。

さて、今自分は学部四年で、周りには就活している人もいるし、自分の進路をよく考える雰囲気の中にいるのもあって、自分が本当にしたいことはなんだろうと考えたりするのですが、

いつからか、自分は何のために生きているのか、死んだら何もなくなっちゃうのか、そうなら今ここで自分は何しているのかと、人類が知る由もない、考えても仕方のないかもしれないことが常に頭の中にあって、それを考えるのに疲れて、嫌気がさしてとりあえず何かに集中しようと試みて、、

集中できるとなんとなく達成感があって、おれは今この瞬間を生きてんのよみたいな充実感でなんとなく楽しいけど一定の時間が過ぎるとそれに飽きて、また虚無感というかぼーっとどうやって生きたらいいんだろう、、ってなってやる気もあまりおきなくて。ていうのを繰り返すようになりました。

でも実際、この問いのままでは途方に暮れるばかりで積極的に生きることに繋がるとは思えませんよね。生きる意味が分からなければじゃあ死ぬのかと言われるとそれは嫌で、生きることを選択するならそれを積極的に肯定できるような考え方をするべきだ、とも思います。

ところで、

「人間はなぜ生きているのか」という深遠すぎる問いを立ててそれに応えようとする「学問」が実はあって、それが哲学なんだと個人的には考えてます。確かもともと学校的なものが始まった当初は哲学の領域しかなくて、それからどんどんいろんな学問領域が出来ていったらしい。今は学問とか大学とか聞くと、なんとなく社会をよりよくするためのテクノロジーとか理論を研究したりみたいな、少し自分とは遠い感じのイメージを持つことが多い気がします。でも実はもともと学問は人間が生きる意味を見つけようとする試みであって、大きな脳みそを手にした人間が下手すると虚無感にさいなまれがちな中で頑張って生きようぜみたいな、100%自分事の学問なんだと解釈しております。

しかし面白いことにこの学問の原初的な問いはもはや非科学的で考えるに値しないみたいなレッテルを貼られている、ような空気感を自分は感じます。「そんなこと考えるなんて暇だな」、なんて言われたりもします。

そんな扱いを受けた哲学は拗ねて、難しい言葉を自分で定義して、哲学家の名前とその人の理論について詳しくなることが哲学を勉強することだという方向にイメチェンしました。だから哲学って、なんとなく堅苦しい難しいイメージが強いのではないでしょうか。
でも本当は哲学は拗ねることなんかなくて、今の社会では人間が目を背けがちな、でも一番大事な問いを扱っているんです。そのことに個人的には誇りを持ってほしいですね。

何が言いたいかというと、哲学は難しい理論を覚えたり勉強したり、難しい哲学書を読むことが目的なんじゃなくて、自分が生きる上で生を肯定できるような考え方を自分たちなりに探そうぜ、というなんとも僕らに寄り添ったものだということです。そして自分なりの哲学を考え続けることは非常に重要だと思っています。

それは人生のスローガン的な、パっというものではなく、いろんなものが複雑に絡み合ったコンプレックスが頭の中にぼやーっと形成されているイメージなのかな、と思っています。氷山の一角みたいな感じで、その人の発する言葉や、ある問いに対してその人が答える内容、あるものを見てその人が発する言葉、発しない言葉、態度ににじみ出てくるものなのかもしれないということです。

そしてそのコンプレックスは理路整然としてなくても構わないと思います。

自分は、言葉にされた考え方や信念的なものよりも、感情のほうが上位概念だと思っていて、感情だけは言葉によって支配されないものだと思います。あるものを見て好きか嫌いか言える、というのも、その判断の後ろにはその人なりの哲学のコンプレックスがあって、それがその判断をそう有らしめているという意味で大事な哲学だと思います。そして感情も、その哲学の中で重要な位置を占めているのだと思います。


自分の行動が、自分の好きなものの存在に繋がっていると実感できる時はどんな時よりも生きている心地がします、というか、すると思います。これからの行動や選択を、自分がそのように生きられるように出来たら、いい人生を送れるはずだと期待しています。


その視点で今を反省してみると、そういうものに繋がっていない要素がたくさんあって、少しがっかりします。過去の一つ一つの判断は、もちろん好きなことに繋がっているかということだけではなく、もっといろんな事情や要素があったのでしょう。
実際、今いる環境を変える、新しい環境に飛び込むといったことにはとてもエネルギーや勇気がいるので、なかなかそう簡単にはいきません。他者が絡んでくることがほとんどですし。でもなるべく、自分の環境を変えたいと思ったときにはフッカルでいたいものです。


以上、今回は特に何も書こうと思うことがないままに、日記のような感じで始めてみました。
読んでくれてありがとうございました。

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