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浅草神社で久保田万太郎のいろはにほへと句碑

浅草の浅草寺本堂の東にある神社が浅草神社あさくさじんじゃです。有名な三社祭はこの浅草神社のお祭です。

浅草神社

南に面した鳥居の先に社殿がある。かなり立派な狛犬が控えている。
春ともなれば桜の咲く境内で、桜の隣にこれまた立派な枝垂柳がある。

見渡せば柳桜をこきまぜて
 都ぞ春の錦なりける

「古今集」の素性法師の和歌を思い出す。

春の浅草神社境内

さて、浅草神社で祀られているのは、
土師真中知命はじのまなかちのみこと
檜前浜成命ひのくまのはまなりのみこと
檜前武成命ひのくまのたけなりのみことの三柱。

浅草の観音さま創建にゆかりのある御三方。この御三方あっての浅草寺であり、ひいては浅草である。彼らを祀ることで浅草寺、ならびに浅草の守護と発展を願ったのでしょう。

正確な神社の創建時期はわかりませんが、おそらく平安末期から鎌倉時代の頃かと浅草神社のホームページには記載されています。

浅草神社 狛犬と拝殿

現在の社殿は徳川家光の寄進よる本殿、幣殿、拝殿からなる権現造で、国の重要文化財に指定されています。丹塗りで霊獣などの彫刻が施された豪華な社殿です。

拝殿の右手に授与所があり御朱印がいただけます。浅草神社は浅草名所七福神のひとつでもあります。

浅草神社

境内の周囲にはさまざまな句碑などの石碑が置かれています。ひとつご紹介したいのは、久保田万太郎の句碑です。
久保田万太郎くぼたまんたろう(1889〜1963)は浅草生まれの小説家、劇作家、俳人。彼の俳句は寂寥感のあるものが少なくない。
「竹馬や いろはにほへと ちりぢりに」

竹馬からは竹馬の友が連想され、おそらく日もくれてきて散り散りに家に帰ってゆく子どもたちの光景が浮かぶと同時に、年を経てかつてあんなに遊んだ竹馬の友とはバラバラになってしまっている寂しさがうかがえる。
「ちり」を導いてくる「いろはにほへと」が、ちょっと俳句らしくない言葉で、新鮮でした。

久保田万太郎の句碑(後方)

久保田万太郎の句碑は、二つの正方形が重なっているような、ちょっと変わった格好の句碑です。
デザインは伊藤熹朔いとうきさく。映画や舞台の美術監督であり、映画では溝口健二監督『雨月物語』、豊田四郎監督『夫婦善哉』などを手掛けている。どちらも名作です。

残念ながら、句碑のデザインの意図するところを桔梗之介は汲み取れないのが惜しまれる。

久保田万太郎の名前は、浅草神社をぐるりと囲む瑞垣にも刻まれていた。こうして知ってる人の名を見つけるのは面白い。

沢村国太郎、沢村貞子、加東大介のご兄弟の名もある。沢村国太郎は長門裕之、津川雅彦の父。
中村吉右衛門はおそらく初代の吉右衛門だろう。二代目吉右衛門ならテレビでも活躍されていたので歌舞伎座へ行かずともご存知の顔だが、初代は分からない。

こうしてみると瑞垣の名は浅草の商店のみならず、芝居演劇あるいは吉原あたりの花柳界が多い。
聖なる神仏と俗なるものが渾然一体しているところが浅草の魅力かもしれない。

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