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渋谷のオシャレカフェでゴキちゃんに遭遇した話

 最近の話である。
 ある日、Cさん(女性)と渋谷で美味しいディナーを食べた。
 食後にコーヒーでも飲もうということになった。
 辺りを散策していると、いかにもオシャレな感じのカフェ(仮に名前を「Uカフェ」とする)を見つけた。
 その店の名は、昨今のカフェ事情にうとい私でも「いい感じの店」として人気があることを知っていた。
 店の中に入る。大勢のお客さんで賑わっていた。
 (ふだんオシャレな空間に身を置かないこともありオシャレを表現する語句が乏しいため)ただただ「オシャレ」としか形容できない内装。
 ギリギリ本が読めない暗さまで明るさを落とした照明。
 なんだかいい感じのBGMもかかっていた(気がする)。
「これは当たりの店だね!」
 二人して喜んでメニューを開いた。
 Cさんはガトーショコラ、私はクレームブリュレ、そしてアイスコーヒー二つを注文した。ほどなくして注文の品が来た。
 クレームブリュレは絶品だった。
 カスタードは卵黄と生クリームをふんだんに使用し、ねっとり濃厚な味わい。表面の焼きカラメルはカリッと香ばしく、ほろ苦さと甘さのバランスが絶妙。
 お互いに一部をトレードしてCさんから貰ったガトーショコラも美味しく、「いい夜だなぁ…」としみじみ思った。

 雲行きが変わるのにそう時間はかからなかった。
 Cさんはソファ席、私は向かいのイス席に座っていた。
 ひとつ隣のテーブル、私の左側にいたイス席の女性が何かを見、その動揺で瞳が揺れたのをCさんは見逃さなかった。
 その目線の先の方にCさんが振り返って何かを確認すると、すぐにこっちを向いて私の耳元で囁いた。
(ねぇ…、アイツがいる……!)
 私も見た。
 ソファ席の上部に「アイツ」ことゴキブリがいた。
 暗闇のなかでもハッキリとその存在が分かるくらいのニブい黒光りを放つ、禍々まがまがしいヤツが鎮座していた。
 ゴキもゴキで逃げればいいものを、「やぁやぁ皆さん今宵はいかがお過ごしでしょうか?」と言わんばかりにCさんにノソノソと接近しはじめた。
 Cさん思わず「ヒャ~~!」(ウィスパー絶叫)

ヤツがいる……!!」
 最初は小さかったざわめきが一気に周囲に伝染し、店内はちょっとした騒ぎになった。
 誰もが固唾を飲んでゴキの一挙手一投足を見守る状況が出来上がった。
 周りは女性客がほとんどで、客の中で男手は私一人くらいだったのだが、自宅にゴキが出た時は「ゴキジェット」でしか戦ったことが無く、いつもの武器を持っていない私はただの無用の長物に成り下がっていた(情けない話だ)。
 オシャレな店内ということもあり、インテリアの一部として「オシャレな英字新聞」があった。
 それを使って叩き潰すという手もあったが、とてもじゃないけども実行する勇気(もとい蛮勇)は持ち合わせていなかった。
 しかし、あくまでもゴキを召還したのは私ではなく店側の責任である。
 私は委縮するどころかむしろイス席にふんぞり返って「早く処理せんかい!」と従業員に対して無言のプレッシャーをかけることに専念した(イヤな客ですね)。
 従業員の方もゴキがいることを認知してはいるようなのだが、有効な武器がなかなか見つからないのか、従業員間でひそひそやり取りしているばかりで一向にゴキ処理に動かない。
 それにしてもゴキという奴はすごい。
 コイツが1匹現れるだけで、その何ともいえない存在感でオシャレ空間のオシャレムードが一気に無効化し、阿鼻叫喚の巷と化してしまうのだから。
 そんな妙な感心をしていると、ようやく一人の従業員が「スプレー缶」状のものを持ってゴキの前に対峙した。
 「そうそうそれそれ! 俺がいつも使ってるやつね!」とニコニコ見ていると、その「スプレー缶」からはゴーーーーーと炎が出た
 それはゴキジェットではなくガスバーナーだったのである。

 「えっ火で殺すの!?」という周囲の衝撃にもお構いなく従業員は何度かゴーーーーーとやった。
 果たしてちゃんと処理できたのか失敗したのか分からない、微妙な時間が流れた。
 すると彼はおもむろにガッツポーズをし、「奴は仕留めましたのでもう安心してください!」と我々に笑顔で報告した。
 やりきった彼は去り際に「武器がこれしかなかったんですよね~」と発言し、店長代理とおぼしきチャラい兄ちゃんから「よくやったな!」と褒められていた。
 こうして、にっくき敵は見事に打ち倒された。世界に平和が戻った。
 客は全員安堵した。
 オシャレな空間に再びオシャレな雰囲気が充満しようとしていた。
 しかし、私は「ちょっと待てよ」と思った。気付いてしまった。
 さっきのゴキブリをブリュレしたガスバーナー、クレームブリュレの表面をブリュレしたヤツと同じだよな?

※ブリュレ(brûlé)はフランス語で「焦がす」の意。

絶対そうだよ! だってさっきの兄ちゃんが「武器がこれしかなかった」って証言してたもん!

「ゴキブリュレ」いっちょう上がり、じゃないんだよバカ野郎!!


 その不都合な真実に気付いてからはなんだか落ち込んでしまった。とは言えクレームブリュレ自体はとても美味しかったのでしっかり完食し、二人して競うようになみなみあったアイスコーヒーを超スピードですすった。
 もうムードもへったくれも無くなっていたので、早々と退散するのが吉だった。
 「おわび」としてお会計は2割引だった。2割引?
 まぁ、別にいいんだけど。
 Uカフェを脱出した我々はわたわたと駅前の星乃珈琲店まで移動し、ホットのロイヤルミルクティーで口直しをしたのであった。

 そしてふと思うのは、店側の「ぜんぜん大丈夫だったっスね~」みたいな軽いノリから察するに、Uカフェでは今でもクレームブリュレを作るときにはおそらくアレを使用している可能性がある。
 ゴキをブリュレした、あのガスバーナーを。



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