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『霜降りバラエティⅩ』終了に思うこと

 皆さんは「世界終末時計」というのをご存知だろうか。
 ほら、ニュースとかにたま~に出てくるアレである。
 本物の時計ではなく、「概念」としての時計。
 人類の絶滅(終末)を「午前0時」てっぺんになぞらえ、世界で紛争などの大きめのいざこざが起きたときに「ああ、これでまた(人類の)終末に近付いたね」とアメリカのエラい人が時計の針を進める仕組みとなっている。ちなみに現在の時刻は23時58分30秒、午前0時まであと残り1分30秒だ。

 さて、ここにお出ましするのは似たシステムの時計。
 これは「霜降り明星が爆笑問題化するまでの終末時計」である。
 「爆笑問題化」というのはどういうことか。
 ざっくり言うと、「テレビにおいて代表的な冠番組を持たないコンビになること」という意味合いである。
 これについては下記で何故か4回にも渡ってさんざん書いてしまっているので、もし余力のある方はそちらも確認してみてほしい。

 爆笑問題化を「終末」になぞらえるのはこんなに失礼な話はないのだが、もう見切り発車で進めてしまった話なので一旦飲み込んでいただきたい。
 今回『霜降りバラエティⅩ』6月終了のニュースが飛び込んできたときにパッと頭に浮かんだのはこの「時計」の概念であり、午前0時に向かって分針がカチッと動く音を私は確かに聞いたのである。

■飛び交う憶測

 テレビで冠番組を持つということ。
 戦国時代の価値観で捉えるならば、それは自分の城を持つということである。
 各地に「城」が増えれば増えるほど、芸能界の「天下統一」へと近付く。
 霜降り明星は深夜3時という鬱蒼とした(正直リアルタイムでは誰も見ない)時間帯に『霜降りバラエティⅩ』という小さな城を構えていたが、6月末に落城した。
 今回に限らず一つの番組が終わる際にはネットニュースなどで自称「番組関係者」によるさまざまな憶測が流れるが、今や粗品は噛み付き芸のスマッシュヒットで一躍時代の寵児、その流れが加速している。
 有象無象の媒体でやれ「低視聴率で終わった」だの「今後はYouTubeに力を入れたい粗品の意向で番組を終わらせた」だの「最近の粗品の動向を快く思っていない上層部が終了を決断した」だの、どれもそれっぽい理由で「城が落ちたぞ!」と書き立てられている。
 通常テレビ番組が終了となるのは3月・9月のいわゆる「改変期」に当たる時期が多いが、その慣行の中では珍しく6月というハンパな時期にいかにも「打ち切り」っぽく終わったことも様々な憶測を呼ぶ原因の一つになっているのだろう。

■最終回の印象

 『霜降りバラエティⅩ』のラスト2週は「粗品とせいやのもう一度見たい名シーンベスト5!」という非常にオーソドックスな企画だった。
 前提として、私は霜降り明星というコンビが好きである。
 彼らには、彼らにしかない「華」があり、この世における数少ないスターだと確信している。
 「名シーンベスト5」での在りし日の彼らの活躍を好ましく見つつも、結局のところ、この番組を見て腹がよじれるほど笑ったことはなかったなと思い返していた。
 ただ、彼らの「オールナイトニッポン」では何度も大笑いしたことがあるので、本来備わっているポテンシャルをテレビ番組という形では発揮できていないのだろう、と私は勝手に判断している。
 かつての爆笑問題もたくさんの番組を始め、その数だけ終わらせてきた。
 その「先達」の姿に、やはりどうしても霜降り明星のイメージがダブってしまう。

■本当に「霜降りバラエティ」たり得ていたのか?

 深夜あるいは遅めの時間帯にトガったお笑い番組を持つというのは、わりと最近まで芸人の一種のステータスだったと私は思っている。
 その中でもやはり一番成功したのは『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』だろうか。
 一時期の「ガキ使」は松本人志の最新の「笑いのコア」を発表する場となっていて、他のダウンタウンの番組は「ガキ使」の派生または応用編であった。
 霜降り明星は「霜降り明星の笑いここにあり!」とテレビで宣伝する場を一時的に失ったことにある。
 ただ、『霜降りバラエティⅩ』は厳しい言い方をすると、構成作家からのお仕着せの企画に二人が乗っかる形でそれを淡々とこなしていく内容が多く、「霜降り明星の笑い」を提示する場としては機能していなかったように思う。
 『霜降りバラエティⅩ』終了にそこまで寂しさを感じていないのは、元々その程度のものだったからとも言える。
 「霜降りバラエティ」という名称は、言ってみれば霜降り明星が関係するバラエティの総称みたいなネーミングである。
 この番組は果たして「霜降りバラエティ」とわざわざ銘打つにふさわしい番組だったのだろうか。

■自戒

 私は霜降り明星の「金がかかった作り物の笑い」が見たいとつねづね語ってきた。
 いま粗品が得意としている「人をくさす」芸とはまた違った切り口の笑いを私は見たい。
 元々テレビという媒体に愛着があるので、個人的にはテレビで彼らのそういうものが見られればいいなぁと希望しているのだが、この際YouTubeでも他の媒体でも何でもいい。
 だから今回のように、彼らの中でもお笑い色が高い番組が終わってしまうのは、お笑い好きのトーシロが勝手に抱いているその夢が遠ざかるような気がして、意味もなくナーバスになってしまう。
 しかし、これは自分に何度も言い聞かせなくてはと思っているのは、全ては「途中経過」なのである。当然ながら、今後の全てが今回のことで決まってしまったわけではない。
 霜降り明星が更なる大ブレイクを経て、お笑い濃度フルMAXの番組を持つ可能性はまだまだ充分にある。「なるべくそうなればいいなぁ~」と日々思って過ごすのがファンの務めというものではないだろうか。
 結局最後は時間の流れの中で答えは出る。
 いま私が書いていることは、霜降り明星が今の爆笑問題くらいの年齢になった頃に本来総括すべき事柄なのかもしれない。
 「霜降り明星の爆笑問題化」というのはただただ杞憂から杞憂を生み出すためだけに設定した概念なのかもしれず、それを振りかざすのはトーシロダークサイドへの道まっしぐらで危険である(もうすでにダークサイドには落っこちているのかもだが)。

 だから、今回の結論としては「待ちます!」ということになる。
 新たな「霜降りバラエティ」が、世間を席巻する日を夢見て。



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