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霜降り明星はこのまま「爆笑問題ルート」を辿ってしまうのか?①

 芸人さんの売れ方には何段階かのグラデーションがあって、ひとまずは「バイトせずに芸だけで食えるか」が大きな目標として立ちはだかる。
 バイトせずに食えるようになったら芸人として一人前。このハードルは相当高いと聞く。
 少しずれてしまうけれど「一人前」で思い出すのは、とある落語家さんが言っていた話で、落語家には「前座」「二ツ目」「真打ち」と階級があるが、「二ツ目 → 真打ち」より「前座 → 二ツ目」の昇進の方がとてつもなく嬉しかったという。
 前座時代はとにかく師匠はもちろんあらゆる先輩からこき使われる。現代のコンプラも真っ青だが人の下の隷属は当たり前、師匠の家や楽屋で常に雑用に追われている状態である。
 それが二ツ目になった瞬間、あらゆる雑用から解放される。  
「お前はとりあえず一人前になったんだから、これからは存分に自分の芸に打ち込めよ」
 そういう風に言われているように思った、と先ほどの落語家さんはしみじみ述懐していた。
 (落語家も芸人だから次の言い方はちょっとややこしいけれども、)ダウンタウンのようにテレビのフィールドでの天下を獲る・獲りたいと志向する芸人にとっての「真打ち」の状態は何かと考えると、それはやはり「自分の冠番組を持つ」ということであろうか。

 今から一種の遊びをする。
 「芸人と冠番組」にまつわる区分で大きく三つに分けたいと思う。だいぶガバガバなのでその点はご容赦を。
 「理想の冠番組を持てる」ダウンタウンタイプ。
 「代表番組は持てたはいいがその番組で燃え尽きてしまった」ナインティナインタイプ。
 そして「理想の冠番組を持てない」爆笑問題タイプである。
 一つずつ見ていこう。

① ダウンタウンタイプ
 ダウンタウンは芸人界、ひいては芸能界において確実に天下を獲っていた二人である。
 言わずもがな彼らの代表番組は「ごっつええ感じ」「ガキの使いやあらへんで!」などなど。
 本稿における「理想の冠番組」の定義は、「芸人が自身の持つ笑いの力を十全に発揮できる番組」である。たとえば複数の店舗を持つ小売業において、宣伝・販売戦略上の中心となる店舗は「旗艦店」と呼称されているが、言ってみれば芸人にとっての「旗艦番組」である。そんな番組を複数持ててしまうのだからおそろしい。
 このタイプは他で見るととんねるずにとっての「みなさんのおかげです」、ウッチャンナンチャンにとっての「やるならやらねば!」だろうか。最近の例で言うと、ギリギリ及第点を取っているのが千鳥にとっての「テレビ千鳥」。

② ナインティナインタイプ
 今までさんざん冠番組と言っておいて早速ここでガバガバが露呈してしまうのであるが、「めちゃ×2イケてるッ!」は正確に言うと彼らの冠番組ではない(なので、先ほどの分類では「代表番組」と逃げを打ってしまった)。
 ただ、「めちゃイケ」がお笑いテレビ番組史においてどデカい金字塔をブチ建てたのは明白であり、そこでメインを張っていたのはナインティナインである。
 だからなのか、「めちゃイケ」が終わってしまった後のナインティナインには失礼ながら「精根尽き果てた」印象を覚えた。見た目には分からない「老い」を感じた。
 「ぐるぐるナインティナイン」というもう一つの立派な冠番組を持っているにもかかわらず、どこかしら覇気が無いというか、強大な番組(めちゃイケ)に芸人としての養分をほぼ吸い取られてしまったように見えた。
 最近はそのトラウマから徐々に持ち直してきてはいるようだが、一時期放っていたまばゆいまでの光はもう見えないのかな……と思うと少し寂しい気分になる。
 その意味で言うと「みなさんのおかげです」が終わった際に一旦「終わった」ように見えたとんねるずは、①と②にまたがって分類されるのかもしれない。

③ 爆笑問題タイプ
 爆笑問題はずーっと面白い。
 この世界に登場してきてからもうずーっと面白い。
 しかし、過去のインタビュー記事で彼ら自身が「僕らはことごとく冠番組を潰してきた」と証言している通り、いくつものチャンスがありながらも「理想の冠番組」を手に入れることは叶わなかった。
 2003年と2004年にはフジテレビで「爆笑問題の楽しい地球」というコントあり・トークあり・ゲーム企画ありのド直球の「ザ・フジテレビバラエティ」特番が放送されている。
 しかし視聴率は奮わず「爆笑問題ここにあり」という番組には成長しなかった。
 自分はファンなのでワクワクしながら見たが、こちらとしてもいまいち乗り切れないというかチグハグな所があり、「やりたいことは分かるんだけど……」といつしか慈しみの目で放送を見ていた。
 彼らがテレビ界で長年活躍してきたのは厳然たる事実なのだが、一番結局長く続いてきたのが冠番組ではなく、直球のバラエティでもない「サンデージャポン」というのは何とも寂しい話ではないか。

 さて、ようやくここからが本題である。
 霜降り明星というコンビがいる。
 誰が言ったか「吉本の宝」である。私もそう思う。
 言わずと知れた漫才コンテスト「M-1グランプリ」を史上最年少で優勝し、そこからは破竹の快進撃。テレビ・ラジオ・YouYube、あらゆる媒体に出ずっぱりで彼らの活躍を目にしない日は無い。
 ネタは当然強い。フリートーク・平場にも定評がある。
 そして何と言っても華がある。
 彼らが登場すると場がぱっと華やぐ。どこまでもスターの資質を兼ね備えた二人である。
 しかし、それにしては……と思うのである。
 テレビにおいて、彼らにとっての「霜降り明星ここにあり」という決定的な冠番組がまだ無いのである(今のところ「霜降りバラエティX」はその器たり得ていないという話はのちのち述べることになるであろう)。
 先ほどの「芸人と冠番組」タイプの三分類の中では、このままだと彼らは爆笑問題ルートに突入してしまうのではないだろうか、と近ごろ私は勝手に憂えている。

 なんだかさっきからマイナスなことを書き連ねているように映るかもしれないが、爆笑問題ルートに行くことは別段悪いことではない。
 爆笑問題は偉大な二人組である。
 霜降り明星がこれからもずっと面白いことは彼らの才能・資質からしてほぼ担保されており、よほどの事件が無い限り芸能人生は一生安泰であろう。
 しかし、この世の片隅に巣食っている一介のお笑いファン(お笑い好きのド痛トーシロ)である自分としては、彼らの「旗艦番組」が無いのは実に残念に思う、もったいないと感じる、ただそれだけの話である。

 思えばテレビ番組に恵まれない二人ではあった。
 「お笑いは8年ごとに新しいスターが誕生する」という独自の説に基づき、8年周期で放送されているフジテレビの「新しい波」シリーズ。
 若手を青田買いする一種のオーディション番組であり、そこから派生された後続の「ステップアップ番組」に選抜メンバーが出演できる流れとなっている。
 最初の「新しい波」からは「とぶくすり(=のちの『めちゃイケ』)」、「新しい波8」からは「はねるのトびら」が派生。ここまでは文句ないとして、「新しい波16」から徐々に雲行きが怪しくなってくる。
 「16」から派生したのは「ふくらむスクラム!!」という番組なのだが、これを覚えている・知っている人は果たしてどれだけいるのだろうか。地味ながらも面白いコントをやってはいたのだけれど、この番組のレギュラーだったオレンジサンセット・ヒカリゴケ・少年少女の3組がもうすでに解散しているというのも何とも侘しい話である。この番組の出身では現在、かまいたちのみが突出して気を吐いている。
 霜降り明星は「新しい24」の選抜メンバーに残り、そこから後続の「AI-TV」(2017年放送開始)に出演。
 今までの「新しい波」シリーズからの派生ではユニットコント番組が制作されていたが、その伝統が何故か撤廃。本番組のメインには人型ロボットのPepper が据えられ(なんで?)、一応ロケが中心ではあるがなんだかやりたいことがよく分からないぼんやりとした内容に仕上がり、半年で終わった。この時期の霜降り明星のユニットコントが見たかった。
 と、いうような前述の無念を晴らすかのようにチョコレートプラネット・ハナコと共同出演のユニットコント番組「新しいカギ」が2021年に鳴り物入りで開始(同年ゴールデンに進出)。
 「これだよこれぇ! 私が望んでいたものは……!!」と膝を打って胸を高鳴らせながら番組を見たところ、徐々に頭に浮かんできたのは「これじゃないかも……?」という感想だった。
 この番組にはいろいろ言いたいことはあるけれど、中でも「ヘンケンさん」というコントで粗品さんが遠藤憲一のモノマネ、それも完全オリジナルというわけではなく「ひよしなかよし」というコンビのねんねんさんがやる遠藤憲一のモノマネ、いわゆる「モノマネのモノマネ」をやらされているのを見た時はテレビの前で膝から崩れ落ちてしまった。当代きっての才能になんてことをさせるのか。番組スタッフの見識を疑った。
 あと「新しいカギ」は土曜20時台に放送しており、かつて同時間帯で「オレたちひょうきん族」「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」「めちゃ×2イケてるッ!」が放送されていた伝統の「土8」であることを一時期うるさいくらいに強調していたが(最近についてはもう見ていないから知らない)、ドラマにおける「月9」と同様に今の人たちにとっては実にどうでもいいし、その手の連呼はなかなかにキモいから早々に捨て去った方がいい幻想のように思う(ただ、「土8」をうるさく強調するのは「めちゃイケ」も同じだったから、そのダサい伝統を惰性で引き継いでいるだけのことかもしれない)。
 今ではこの番組も学校青春バラエティの名作「学校へ行こう!」のエピゴーネンに成り果てたと聞く。一体それのどこが「新しい」のか。無念だ。

 さて、まだまだ書くべき内容は控えているのだが、今日のところはここで力尽きた。
 好評だったら続きを書く。さらばじゃ!

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