集中と発散(分散、ではなく)

ここ2日間、コード書き(プログラム作成)に没頭していた。Fogノードのテストベッド(というと聞こえがいいが実際にはデモシステムというようなところ)のコードである。

コード書きに没頭していると、他の事がほとんど目に入らなくなってしまう。やらなきゃいけないあんな手続きやらこんなメール返信やら、すべて後回しになってしまう。SlackやFacebookもおざなりである。

しかし、すべて放っぽって2日間というのは私的には限界に近くて、心の中でアラートが鳴り始める。あの件やらないとな、という感じである。その「やらないと」の中には、「xxの件について考える(意見をまとめる)」というのもあって、日常生活の中で見聞きしてそこから気になったことを頭の中で整理していかないと(放っておいてる間は、なんとなく一時記憶的なところにスタックされている)、重要なことを取りこぼしていってしまうのではないか、という不安感にさいなまれるのだ。

実際のところは2日間浮世と隔絶していたくらいでは大した問題は起きないということは、頭ではわかっているのだけど、なにか世の中に取り残されたような、あるいは世の中から脱落したような気分になってしまい、さらに、おまえは何をやっていたんだ、と怒られる(誰に?)ような気持にもなってしまう。

マルチタスク(正確にはコンテキストスイッチ)はあまり得意じゃなくて、ある程度の期間は一つのことに集中して取り組んで、ちょっとまとまったら別のことに切り替えて、というようなことにしたいと思っているのに、一方で没頭するのに不安を感じるというのは、何やら矛盾している。そこに、自分の心理的な?問題点が潜んでいるような気がしないでもない。

放っぽってる方の処理にはSNSの対応などが含まれていて、そこから離れると不安を感じるのは、それへの依存度が高いということだろう。私は研究者として技術トレンドのウォッチやその予測を仕事と考えているのだけど、それらのインプットをSNSなどに頼っているので依存度が高くなってしまっているのだろう。インプット(アンテナ)を多様化しSNSへの依存度を下げたいというのは私としてはここ数年のテーマなのだが、プロとしてもっと真剣に取り組まなければならないだろう。つまり論文読めということになるな。

読み返してみて思ったのは、研究者はコード書いてないで論文読めってことか。それにしてもまとまりのない文章だ。まさに発散している。

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