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シングイル

遠山景晋(とおやま・かげみち:1764~1837)は、有名な遠山の金さんの父親である。

幕府役人の中で「三傑の一人」と謳われたほどの有能な人物であった。

しかし、役人としては長く芽が出なかった。

その芽を出し始めたのが、西丸小姓組士(にしのまるこしょうぐみし)であった、1799(寛政11)2月に、当時、幕府が開始した東蝦夷地(ひがしえぞち)の直轄政策に関わり、蝦夷地掛(えぞちがかり)を務めた松平忠明(まつだいら・ただあき)の蝦夷地出張の随員に選ばれたことである。

景晋は、その年の3月に出立し、蝦夷地を巡視して9月に帰った。

その時の紀行文が『未曽有記(みぞうき)』である。

写本は国立公文書館内閣文庫や東京大学史料編纂所などに伝存している。

その中に、当時、数え7歳の幼い「金さん」もわずかながら出てくる。

景晋は、1799(寛政11)3月24日に奥州白河(福島県白河市)に到着したが、そこで町の中を熊が子熊をひいて通るのを見かけた。

それは親馬に仔馬がついて歩くような情景で、江戸では決して見ることのできない珍しい光景であった。

景晋は、そこで「家の小冠者(こかじゃ)、一卜目見せたや」と記している。

子熊が親熊にひかれて歩く珍しい情景を「金さん」に見せたかったというのである。

また、4月20日頃、蝦夷地の松前(北海道松前郡松前町)への渡海の地である、津軽半島北端の三厩(みんまや:青森県東津軽郡外ヶ浜町)に着き、松前へ渡海する機会を待っていた時、江戸で流行っていた「シングイル」という童謡を、その地の女性や子供が朝晩歌っているのを聞いて、江戸で流行の童謡が、早くも、この地にまで伝わっているのかという驚きと共に、「家の小冠者も、さそ(さぞ)うたうらん」と記し、「金さん」も今頃は歌っているのではないかと想いを巡らせている。

『日本国語大辞典』に「しんぐいしんぐい節」という項目があり「江戸時代、江戸深川の芸者から歌い広められた流行りうた。寛政年間(1789~1801)と天保年間(1830~1844)に流行した。『しんぐいしんぐい』は、はやしことば」と説明されている。

童謡ではないが、時期も同じ寛政年間であり、「シングイル」とは、この歌のことかもしれない。

旗本である遠山景晋も知っているし、本州北端の地でも歌われていたのであるから、相当に流行ったようである。

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