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OBOGインタビュー:JAXA研究員 内山貴啓さん

様々な分野で活躍する菊里卒業生を紹介するインタビュー企画。
 
第1回目は2009年度卒業生で
JAXAの航空技術部門で研究員として働く内山貴啓さん。
 
『菊里ホームカミングデー』の企画メンバーの一人でもある内山さんに、
現在のキャリアや菊里時代の思い出を語ってもらいました。


何かを追求することが、自分に向いてる仕事だと思った

―現在のお仕事について教えてください。

宇宙航空研究開発機構(JAXA)の航空技術部門で飛行機に関連する研究をしています。

―具体的にどんな研究をされているんですか。

飛んでいる飛行機の翼周りにできる、空気の圧力分布を測るセンサーの研究開発をしています。そのセンサーが実現可能になれば、将来的に飛行機の機体全面にセンサーを設置して常に翼の状態をモニタリングしながら、最適な飛び方ができるようになるんです。
 
現在、翼の圧力分布というのは理想的な状態を仮定して設計されています。そのため、予測から外れた分は余分な空気抵抗になっているんです。飛んでいる状態をモニタリングできるようになれば、燃費が良くなりますし、飛行中の振動が抑えることが可能になります。

JAXAにとって宇宙は外せない分野で、『宇宙基本法』に基づき宇宙に関する開発・利用の目標を達成するために活動している機関です。しかし、宇宙へ行くまでには、必ず空気があるところを通ります。すると、空気があるところを飛んでいる飛行機の研究も必要になってくるんですね。

飛行機だけでなく、ロケットの発射場を管理している部門やインフラ系の部門もあります。宇宙に到達するまでに必要なものを、一括して研究できる体制を構築しているんです。近年はロケットや衛星の専門家だけでなく、様々な分野の人たちと協力することで、他分野の考え方やアイディアを取り入れていこうという流れができています。そういう意味でも、宇宙・航空開発は進化のスピードが早い世界ですね。

―菊里を卒業してから、どのような経緯で今のお仕事に就かれたのでしょうか。

私は菊里を卒業後、名古屋大学の工学部に入学しました。もともと航空が好きだったので、航空分野に関わりたいなとは思いながら大学は選びました。その後、大学院で航空科学の研究をしていく中で、飛行機を作っているメーカーに行くか、研究所に行くかという選択肢がありました。

メーカーか研究所で迷った時に一番大きな違いは、“実物を作る”か“研究をしながら性能を追い求める”かです。メーカーはモノを作って直接お客さんに何かを渡せる。それが魅力ではありました。逆に、研究所は論文の発表はできますが、どうしても製品開発に比べると誰かの役に立っているという喜びを感じる瞬間が難しい。しかし、メーカーに入って物を作るということは“製品=売れるもの”を世の中に送り出すということなので、様々な制限もありますし、性能がMAXであれば売れるというわけではありません。それを考えた時に、私の性格上もっと何かを追求することの方が向いているのかなと思ったので、研究ができるJAXAで働くために採用試験を受け、新卒で入社して現在は9年目になります。

―「もともと航空が好きだった」ということは、進路選びに大きな迷いはありませんでしたか。

いや、大学選びはとても迷いましたね。私はゲームが趣味だったので、ゲーム制作会社を目指すのもいいかなと思っていて、デザイン系の大学への進学を考えた時期もありました。

―そこから進路を決定できたきっかけは?

なんだかんだ、高校3年生の夏から秋ぐらいまで迷っていたんですが、大学へ願書を出すために志望理由や将来の目標を書き始めたら“やっぱり航空関係が一番やりたいことだな”と頭の中でまとまったんです。自分で言葉にするということが、自分の中の整理になったんだと思います。

菊里は自分らしくいられる居心地のいい場所

内山さんは菊里生時代はどんな生徒でしたか?

部活は理科部に入っていました。でも幽霊部員で、ほとんど顔を出していませんでしたが(笑)。理科部は年に2回ぐらい天体観測をやっていて、その時は学校に泊まれるからという理由で必ず顔を出していました。もちろん、真面目にちゃんと実験や観察をしている人もいましたよ! 一つ上の先輩で、カビの菌を培養液で育てて研究している方がいましたね。私は天体観測に参加して、たまに行った日は大富豪をして遊んでるタイプの部員でした。
部活に行かない日の放課後は、とにかく家に帰ってゲームをやってましたね。ゲームをするために、学校で全部宿題を終わらせてました(笑)。

―菊里の思い出で印象に残っていることはありますか。

よく覚えているのは、全校生徒が集まるイベントでやった「イントロクイズ大会」です。曲のイントロが流れて、回答者は菊友館の壇上に上がってサビを歌うという企画でした。そのときに大塚愛の『さくらんぼ』のイントロが流れて、手を挙げた人が壇上に行ってサビを歌ったんですけど、みんなノリノリで、自然と手拍子が始まってすごく盛り上がっていたんです。さらに、サビが終わったところにある「もういっかい!」という掛け声を、誰も示し合わせていないのにみんなで叫んでいて(笑)。些細な出来事なんですが、菊里生は自然と集まって何か一つのことを成し遂げることができる、そういう強さを持っているなと思い出すエピソードですね。

―内山さんにとって菊里はどんな場所でしたか?

私、中学生の頃はすごく物静かでしゃべらない子だったんです。菊里に入学して今も仲良くしている友達に出会ったことでたくさん話すようになったし、明るくなったと思います。高校1年生の時に文化祭で撮った集合写真を母親が見て「あんたこんな風に笑うんだね」と言われたことがあるんですよ。それまでとは全然違う笑い方をしてたんでしょうね。それほど菊里という場所は、私にとって居心地のいい場所だったんだと思います。後にも先にも、休みの日に「早く学校行きたいな」「クラスのみんなとしゃべりたいな」と思ったのは高校の時だけですね。

―では、最後に在校生へメッセージをお願いします。

夢を持っている人は、それに向かって邁進しください! 
ただ、僕自身は高校生の時に夢という夢を持っていなくて、夢を持っている人と自分を比べて、自分はやる気ない人間なのかな?と思ったことがありました。きっと、同じような想いを抱いている在校生もいるかなと思います。そんな方達に伝えたいのが「心配する必要はないよ」ということ。きっとそれは自分の中の考えを整理できていなかったり、言語化できていないだけなんですよね。将来的には自分の中からやりたいことや夢が出てくると思うので、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。

あと、僕はちょっと勉強しすぎたかなと思っているので、最低限勉強はしつつ高校生の時にしか楽しめないことも楽しんでほしいなと思います(笑)。


取材・文:2004年度卒 久野麻衣

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