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浅はかな知識。

少し前に8月6日の事について書いた。
今日、Twitterやnoteを見ていたら私なんかよりも想いが強く素晴らしい内容が沢山あった。
我ながらたった10年弱住んでいただけで偉そうに書いてしまったと恥じている。

私は転勤族だ。
だから広島に住んでいた時
もちろん近くに祖父母はいないし
祖父母は戦争経験者でも原爆を経験はしていない。
だから近所のよく遊ぶ友達に
そんな経験をしているおばあちゃんがいる事が羨ましかったりもした。

広島にいる頃は平和教育という時間があった。
広島出身の方が他の地域の人が平和教育を受けてない事に驚いたという内容を見たが
私も小学生ながら全く同じ感想だった。

広島の次に私は愛媛に引っ越した。
瀬戸内海を挟んだ向こう側なのに
海の向こうなのに、こんなに近いのに
8月6日は特別な日ではなかった。
平和教育はなく代わりに同和教育というものがあり
最初は何の事か意味が分からなかった。

同和教育は西日本に多いと少し聞いた事がある。
今の子供達も習っているのか分からないが
私は正直、習わなくていいとも思う。
知らなければそんな差別しないのだから。
父も就職で大阪に行って初めて知ったと言っていた。
父の出身は鹿児島だ。
その場所によって重きを置く授業は違うのだろうけれど
平和教育は日本人なら受けて当たり前だと思っていた。

だから同和教育の時間はつまらなかった。
同和ってなに?と母に質問して
そして初めて意味を知った記憶がある。
教育と言っても肝心な事を教えない。
日本の授業のあるあるかもしれない。
性教育だって大人になった今、もっとちゃんと教えて欲しかったと思う。
恥ずかしい話だが、精子と卵子がどうやったら一緒になるのか
知ったのは高校生になるかなったかくらいだ。
現実を知った時は、初めは気持ち悪いと嫌悪感さえ覚えた。

でもそんな学ばなくてもいいと思っていた同和教育の同和という大きな壁を知った。
高校生の時。
私の人生で1番友達が多かった輝かしい時代の出来事だ。
放課後、仲のいいA子と話していた。
急に彼女はテンションが低くなり何か思い詰めているような雰囲気になった。
「どうかしたの?」と聞くと
「ここだけの話にしてくれる?」と言われた。
私は「もちろん、約束する」と答えた。
そして彼女は迷いながらも重い口を開き、こう言った。
「私、部落なんだよね」
一瞬、頭が真っ白になった。
自分とは関係ないと思っていた世界に
A子というよく知っている人が存在していたのだ。
「え?どうしたの?急に」
と答えてしまった。話の意図が分からなかった。
「なんかkikuyakko(私)には話しておこうかなって。知っておいて欲しくて」
A子は物凄く勇気を出して言ってくれた。
でも私は
「そんなの関係ないよ。だってA子がどうこうじゃないでしょ?私達が生まれる前の人達の事だし、A子が気にする必要ないよ」
そんな感じの返事をしてしまった。
好きな人の話とかをしていたから
好きな人にその事が知られたら嫌われるかもしれない
そんな不安とか恐怖とかいっぱいいっぱい抱えていたのだと思う。
そしてきっと今までにその事で嫌な思いをした事があったのだろう。
若かった私はそこまで感じとってあげられなかった。

愛媛は松山は古い町だ。
古いというのは考え方…。
保守的だと外から来た人間として感じる。
お遍路さんで、もてなしはするが
他から来て住み着く事を快く思っていないように感じる事があった。

保守的な地域だからこそ
彼女は自分が部落だと明かしたのだ。
住んでいる場所で知られてしまう可能性があるという事に当時の私は気付けなかった。。。

生まれ育っていない私には分からないが
それこそ祖父母のいる人達には比較的簡単に分かってしまう事らしい。
そんな事も当時の私は分からず彼女に気にしないでいいと無責任に励ましてしまった。

下を向いているA子に私は続けて自分の価値観を語った。

「A子が努力して変えられる事ではない事は
私は気にしなくて良いと思う。だって生まれる所は選べないし…。そんな過去がどうだったかで人を判断する人なんてろくでもないよ。それに私なんか同和なんて松山来るまで知らなかったよ?そんな事で自分は価値がないかのように思わないでね」
当時の私はこんな言葉をかけたと思う。
これが精一杯だった。
彼女は少し涙ぐみながら
「ありがとう」と小声で言ってくれた。

それ以来A子の口からその話題は出なかった。
当たり前だが、私も誰にも話さなかったし
他の人から聞く事もなかった。
その点は凄く安心している。

その後松山を出ていろんな経験をして
何故か今、私は愛媛にいる。
人と接していないので今も同和問題があるのかは分からないが
A子がその事で苦しまずにいてくれたらいいなと思う。

平和教育に戻って…

はだしのゲンはどこの図書館にもあるものだと思っていた。
みんな1度は必ず読む本だと思っていた。
でも、広島以外では、私は
はだしのゲンを見つけられなかった。

そんな自分の浅はかさを両親に話した時
母が話してくれた事が印象的だったので
最後に記したい。

大阪から祖母が広島に遊びに来てくれた時の事。

「100年は草木も生えない」

そう言われていた場所に草が生え花が咲き
町がキレイに大きく発展している姿を見て
祖母は「凄いねぇ。本当に凄いねぇ。」と感動していたらしい。
こんなに早く町が生き返るなんて思っても見なかったと。
そこまでの色んな人達の努力もきっと祖母には見えていたのだろう。
そう言っていた祖母のことがとても印象に残っていると母が話してくれた。

祖母がそこまでいうのは大阪の町も空襲で焼けて大変だったから…。
町が元に戻り、そして更に発展する大変さを
知っていたからなのかもしれない。
もっと色々話してみたかったと大人になった今になって思ってしまう。
後悔さき立たずとはこの事だ。

なかなか実体験を直接聞く事が難しくなってきた昨今。
おじいちゃん、おばあちゃんから何か少しでも聞いた事がある人には
是非、それを伝えていって欲しい。
特に子どもに。未来を作る子ども達に。
正しくなくてもいい。なんとなくでいい。
聞かないより聞けた人の方が
きっと人生は豊かになる。
そのなんとなくの話から世界平和が始まるかもしれない。
そうなる事を今日は特に祈りたい。

注:思いつくまま文字を連ねたので
関係のない話も入ってしまっています。
まとまりのない文章で申し訳ないです。

仮にサポートを頂けましたら大変貴重ですので大事に宝箱にしまいます。そして宝箱を見て自分頑張ってるねと褒めてあげます(〃ω〃) ♪