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少しだけ自己紹介を今更ですが…。

なんとか一ヶ月更新を続ける事が出来ました。
今更になりますが自己紹介というか
私がパニック障害や心の病気と付き合い始めた頃のことについて少し書こうと思います。

自己紹介はnoteの自分のページ?に書いた事
一番最初に投稿した内容がベストかなと思っており
追加していくと、どんどん増えてしまってキリがなくなる気がして放置しておりました…。。。

備忘録。そして成長する為に。|kikuyakko @kikuyakk0 #note https://note.com/kikuyakk0/n/n2e7c7b6dbb02


外部サービスの挿入の仕方が分からず上手く表示されなくてスミマセン…。

なので今回は私の始まりの出来事について…。

最初に身体の違和感を感じたのは中学一年の時。
体育祭の練習で体育館に集まっていた時に
急に動悸が激しくなり得体の知れない不安感に襲われ
手を上げて担任の先生に気分が悪いと伝えて保健室に行きました。
それから学校を休みがちになり
担任の先生は教師になって初めて受け持ったクラスということもあって
とても熱心で一週間とか休む私の自宅にもよく来てくれました。
いじめられている様子はなく病院へ行って検査をしても特にどこかが悪い訳ではない。
そんな私に大人達はどう対応していいか分からない
そんな状態だった
気がします。
私は担任の先生の事が好きだったし
自分がよく欠席する事で先生を悩ませている事が辛かったのを今でも覚えており
病院に通うようになってから先生にお手紙を書きました。

同じく、中学の時の教頭先生も担任の先生同様
なにかと気にかけて下さり
その先生にもお手紙を書きました。
私の中で恩師とはそのお二人だなぁと思っています。

お二人からはご丁寧な返事を頂きました。
当時の事も振り返った内容と
私の身体の心配をして下さっていて
受け取った時に泣きそうになったのを覚えています。
そのお手紙は大切な宝物です。

当時は心の病気は一般的ではなく
私自身もそういう概念はありませんでした。
体ではなく心が悪い事には気付いているのに
それを母にも先生にも伝えることが出来ませんでした。

母とはかなり衝突しました。
無理矢理腕を引っ張られて学校へ連れて行かれた事もあります。
行きたくないと泣き叫んだ事もありました。
朝起きてトイレに何時間も篭って過ごした事もありました。

父は私の部屋にやってきたことがあり
休み続ける私に怒ってベッドの私の所へ
本やモノを投げた事もあります。
もちろん、あたらないように投げていたのは分かっていました。

そして学校の人たち、友達や先生に対しては
身体の弱い子を演じ続けました。

そんな状態でまぁよく高校まで卒業出来たなと思います。
大学3年で病院に通う事になりましたが
もう少し身体がもってくれれば良かったのにと思う反面
そこまでなんとかもってくれてありがたかったのかなとも思います。

心の病気については世の中の認識が変わる前だった気がします。
なので今のような世の中だったら
私ももっと早く病院にかかれたり治療を始められたのかなと。
そう思うと同時に、そんな世の中になってくれてありがたいとも感じます。

心療内科には引っ越した事もありますが
それなりに色々な先生とお会いしました。
最初の頃は待合室に居る時間が長くて
その時間を耐える事が出来ず苦痛でした。
最近はもう待つ事より病院にたどり着くことの方が大変なので
待ち時間はそこまで気にならなくなりました。
家から出る事がこんなに困難になるなんて
自分でも思ってもなかったので
辛くないとは言えません。
ただ、受け入れてしまった、諦めてしまった部分があり
仕方ないなんて思っている気がします。
家の中だけでも私は十分幸せだし
今は父と母、わんこと家の中で過ごす時間がとても幸せです。
みんなでドラマや映画を観るのが楽しいです。

私が家から出られなくなった時
私はkikuyakkoと出逢いました。
kikuyakkoは私だけど私じゃなかったり
自分とは少し違う目線を持っている存在です。
その出逢いについてはまたいつか。
書き出すと24時過ぎてしまいそうなので…。
今回はこの辺りで。

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