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20.新たな経済の仕組みをつくりたい!

「新たな経済の仕組みを作りたい!」

なんて、、普通のなんの変哲もないシングルマザーが、なんと大それたことを言ってるんだ!なんて思った人もいるかもしれない。(笑)

朝からシャワーを浴びながら、好きなコンディショナーの香りに包まれて、すごくリラックスしていた時にふと閃いたのと、先日の【お仕事ください!】ってなんとも見切り発車の記事を書いたときに、なんとなく考えていたこと。

そもそも私は、人からの信頼を集めて、人気者になって、政治家になって、人の上に立って、作為的に改革を起したりするっていうタイプではないし、自分の性質上そういうやり方はワクワクしないので、その役割はそういう人にお任せして、

私はただ

「自分の純粋な閃きや要求に従って、ハートが感じるままに動いていたら、結果実現した」

っていうやり方がめちゃくちゃワクワクするし、ハートが動きまくる。


と言いながらも、かつては周りがああしてくれない、こうしてくれない、自分はこうだからできないんだ!!とできない理由を掲げては正当化していた。

だけど、それを繰り返してズタボロになって、ふと気付いたのだ。

私がこうなってしまうのは、周りが悪い、自分が悪いとかって話ではない、この習慣は生きている中で自然と身についてしまったもので、当然突き詰めていけばどこかに理由があるのだけど、それも誰が悪いとか誰が原因作ったなんてことは、どんなに遡ってもわからないことだ。

(親や先祖から受けついだ思考パターンとかカルマだとか過去生だとか。)

ならば、どう考えてもそれで苦しい思いをしたり、どうにかしたいって思っているのなら、気付いて、自分でその習慣をやめて、自分の本質が望む習慣へシフトしていくしかないのだ。その方法はいくらでもある。

それが、私の考える「自立」だ。(もちろん他の要素もあるから一つの要素っていう意味で)

なんだかんだ理由はつけたくなるけれど、

「今」

の私にしかできない。言い方を変えれば、いかようにも自分の力で展開できるということ。


話は戻って、私が上記の記事を書いたときに一番初めに考えたことは、報酬の仕組みを多様化するということだった。

提供する側が商品を出し、金額を決めて、それに価値を感じた側がその金額を支払って手にする。

という考え方のほかに、

お互いの求めているニーズが合えば、それぞれの持っているものを交換するっていうやり方(お仕事交換、交換セッション、物々交換など)もあるし、

今、ちらほら見られている「宇宙料金制」という、提供される側が提供する側に感じた価値を決めて、支払う(もしくは支払う価値がないと感じたら支払わない)という循環型の考えもある。

当然ながら今の社会の中で生きていくには、どうしても支払わなければいけない固定費が発生するから、最低限の収入は必要だし(それすらも工夫して生きている人はいらっしゃるけれど)今までのシステムも大切なんだけど、

単純に多様な方法があって、それを選べる、という流れが社会全体でできたらいいなあ、とふと思ったのだ。

現実には既にそういう在り方を実践している人がちらほらいるし、そういう考え方も少しずつ広がってきている。

ということは、何もわざわざ「改革だあ!」と大きな動きをしなくたって、私がそういう世界で生きてる、ってことを楽しんで体現すればいいのだ。と思った。

そしてそれが浸透してきて「あれ?なんだ、できんじゃん。何も政治家にどうこうしてもらわなくても実現できるじゃん。」って意識にみんながなってくると、自然と社会は変わっていくのではないかな。

もちろん、政治家にしかできない範疇のこともあるから、全てがあてはまるわけではないのだけれど、誰かや何かに頼ってばかりで、どうにかしてくれよ!この世界は生き辛い、って嘆いて文句だけ言って虚無な人生を生きていくより、充分に嘆いたら、その後は単純に今の自分にできることを体現していく人が増えればいいだけのことではないのかな、と思う。

自立しつつも、周りにも頼って、協力しながら創造していく。

もちろんそれには、人の意識の進化が必要不可欠だと思うし、二元論の価値観だけでは、問題が起こりまくるというのは安易に想像できる。

例えば、ある商品があったとして、それには商品そのものだけに価値があるのではない。そこに費やした時間や、その人の思いや、努力などがいっぱい詰まっている。材料にだって、間に色々な人の手が入っている。

そういったことをちゃんと想像できないと、単なる損得勘定だけでやり取りしていても、通い合うことがなく、トラブルに発展する場合もあるし、満足度も低いだろうと思う。

宇宙料金だって、単にお金がないから払わない、っていう風に都合よく使ってしまうと、循環しないし、交換システムだって、片方は求めていないのに無理やり、もしくは嫌々やってしまうと互いに不快な気持ちになってしまう。

適切な境界線や、全ては自分の選択であるってことが腑に落ちていないといけないし、自分と繋がって、自分の求めることや求めていないことをジャッジなくフラットに伝える力が必要だし、なにより自分だけの損得勘定ではなく、相手側のことも想像できる力がないと、やはりトラブルに発展してしまうのだろうな、と思う。

けれどもよく考えたら私の周りには、完ぺきではなくともそれを体現している人が沢山いるし、これまでの習慣から抜け出そうと動きだしている人もいる。

だから、これまでの価値観も大切にしつつ、手探りでやっていきながら、少しずつ試行錯誤、創意工夫して実現していけばいいのではないかな。


「それぞれが自分の才能や特性を生かし、調和しながら創造し、循環する」

っていう世界を実現するには、とてもいいシステムだと思う。


もちろん、これまでの社会の仕組みが心地いい人はそこで楽しんだらいいし、みんなが自分で選んで、好きな世界で生きたらいいもんね。

今、見切り発車なお願いにもかかわらず、少しずつお仕事の話をいただいている。もちろん、お支払いの方法も一緒にお話ししていきながら決めているので、人によってさまざま。(昨日はお仕事交換でやらせていただきました。すごくいい体験だった。)

こうやって小さな一個人の世界から体現していくよ。

みなさん、本当にありがとう。




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