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273.頼れる人。

私には、ずっと頼れる人がいなかった。

全部自分一人で抱え込んで何とかしようとしていた。

けれども、一人で頑張れば頑張るほど、最終的には自分の身が持たなくなって、誰かに多大な迷惑をかけてしまうことになる。

だから最初から、まだ事が大きくならないうちに素直に頼れていれば、そこまでのことにはならなかった、ということが結構ある。

結局、人は頼らずに生きていくことなんて不可能だったのだ。

それがわかってからは、何かあると誰かに話を聞いてもらったり、傾聴やセッションを受けたりできるようになった。

そして、頼るということに罪悪感を感じないようになってきた。

まだまだ申し訳ないな、迷惑かな?と感じてしまうことも多少はあるけれど。

今は、本音を言えない人との付き合いが減ってきて、もし負担だったりしたらちゃんと意思表示をしてくれたり、私にとって言いにくいことも、はっきり客観的な意見を言ってくれる人ばかりになってきたので、

つまり、適切な境界線を張れる人が多くなってきたので、こちらも変に気を遣うことがなくなってきて、それも頼れるようになった理由かもしれない。

そして、不思議と無理しなくなり、自分の気持ちを素直に言えるようになってからは、頼られるような状況でも負担に感じなくなったし、ちょっと負担になるな、という時は断ることもできるようになった。

苦しんでいる人を見ると、ほっとけなかった私が、よくもまあ、ここまでできるようになったもんだ。(笑)

あとね、もう一つは、もし、無理してしまっても、それを選んだのは自分だからね。それで負担に感じても、その自分すら認めてあげれるようになったっていうのもある。

それだけ大切な存在だから、ちょっと無理してでも聞いてあげたいってなったんだね、って。そりゃしょうがないよ、よしよし、ちょっと疲れたね。じゃあ今度は自分にうんと優しくしてあげようね、って。

そういう意識でいるだけで、その後の気持ちも全然違う。

なんだ。

結局一番頼れる人って自分じゃん。

でも、自分が一番頼れる人だけど、それは一人で抱え込むことでも、誰にも頼らないことでもなかったんだ。

自分の声を聴いてあげながら選択すること、
(誰かに頼るのか?一人で誰にも頼らずに頑張ってみるのか?頼られた時も、ちょっと無理してでも対応するのか?それとも断るのか?など)

例え間違ってしまったとしても、その自分すら受け入れてその選択の動機や気持ちを聴いてあげること、

ダメージを受けた自分に対して、フォローやケアをしてあげること。

そういうことなんじゃないかな?

そうなるとね、冒頭に書いたように自分ではどうにもできなくなって多大な迷惑をかけてしまうこともあってもいいじゃん、ってことになる。

だけどさ、これまた不思議でそれを許してあげたら、選択の仕方が変わってくる。

全部許してあげたらさ、結局自分の本心に素直に動くようになるから。

無理して抱え込んでしまっていた時の本心は、

「頼りたい」

だから。

「でも迷惑かけたり、人に負担をかけて嫌われたり、大切な人に不快な思いをさせたくない。だから、なんとか一人で乗り越えたい。」

という自分の無価値観からの思い込みが乗っかっていたから、気付かないようにしていただけ。

あとは、「自立」が正しく「依存」が間違い、

という価値観を無意識に持っていたから。

あなたはどう?

あなたにとって頼れる人は誰?


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