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【エッセイ】受験勉強の効用(1000)

中学3年生の次女は高校受験のために勉強中。

塾の夏期講習に通うなど頑張っているが、夏休み明けの塾の実力テストで国語が惨敗した。論理的文章と作文が全滅だった。このままでは第一志望は愚か第二志望も厳しい。これからだが。

塾は夏期講習後も苦手科目の数学に絞り受講しているがまさか国語がこんなに酷いとは思わなかった。彼女の村上春樹作品を読み通せる読解力と受験勉強の力は全く別のようだ。

ここは20年前の学生時代に家庭教師をしていた親父である私の出番だ。近畿高校の優良問題を集めた問題集を買って1週間単位でやるべき範囲を課し特訓している。

せっかくなので本文から読み取れる著者の主張とその根拠を短くまとめる問題外の課題もさせている。論理的文章問題である以上、必ず記されているそれらを導き出すことは必須だし、それ自体が問題になっていることがほぼ100%だからだ。

試験当日はどんな文章が出るかはわからないし。

娘に教えるためにその問題を解いていてその選ばれている文章の良質さに驚愕した。外山滋比古先生や齋藤孝先生など誰もが知る学者から、私はたまたま存じ上げない著名人のものだが、その文章の全文を読んでみたいと思わせるような作品まである。

そういえば自分が生徒の時、実力テストの国語の問題文が良かったのでその本文を読んでみたいと思うことが頻繁にあった。今みたいに引用が記されていなかったから知る術もなかったが。もしかしたら模範解答集などに記されていた可能性はあったがそこまでは覚えていないし、テスト結果が返却される頃にはその情熱が冷めたフライパンのように無くなっていた。まあそこまでの情熱だったということだ。

それで思い出したのだ。

大学受験予備校のような一定レベル以上の中高に属しておれば、生徒時代にたとえ一冊を通読するような読書をしていなかったとしても、国語の授業や模試の問題などで数限りない名文を読んでおり知らぬうちに知性が磨かれていたはずだと。

それは一生ものだろう。親に感謝したいものである。

受験勉強自体がテクニックであるのは言うまでもないが、それ以上のものを提供してくれていたことも事実である。

意味を見い出すとは視点を変えることだ。

大人気劇画「ジョジョの奇妙な冒険」の冒頭で以下のフレデリック・ラングブリッジの「不滅の詩」の一節が引用されている。

ちなみにこの一節は有名でない詩人の名を借りての荒木飛呂彦先生の自作という説あり。だとしても金言だ。

二人の囚人が鉄格子の窓から外を眺めたとさ。
一人は泥を見た。一人は星を見た。

フレデリック・ラングブリッジ「不滅の詩」(ジョジョの奇妙な冒険 第一巻)

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