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【エッセイ】自分軸は大事だが自分だけの基準は時に邪魔になるかもしれない(1000)

SNSの台頭で誰もが意見を垂れ流せる時代。

それはいいのか、悪いのか。

長所と短所は表裏一体。すべてのことはその視点による。

極論を承知で殺人を例にとってみよう。

被害者からしたらたまったものではないし、世の中のほとんどの人は殺人者を社会悪として断罪するだろう。しかし、殺人者からしたらそれ相応の理由があったかもしれない。

ただし。SNSの意見はその殺人者の極論に似たものを許容すべきであるというような発言をする連中が相当数いるように感じる。

たとえば、コロナワクチンの副反応。

コロナワクチンの是非はセンシティブな問題なので棚上げして読んで欲しい。

まず、大原則だがまったく危険のないワクチンなど存在しない。それは豚の中にたまに猪並みの狂暴な個体が発生するのと同じである。生物(ワクチンは生物かどうか不明という説もあるがそれは無視する)である以上いくら現代医療の粋を集結して弱毒化あるいは無毒化したものだとしても、俗にいう先祖がえりをしてしまうこともあるだろう。あとは、接種を受けた個人の免疫力の問題もある。そして、「死んでも知らないよ」って書かれた同意書にサインをしてワクチンを受ける。副反応で健康を害しても誰も責任を取れないのが現実なのだ。

それを「ワクチンのせいで人口が減った!」だのという意見ははっきり言って完全な陰謀論の似非科学である。ワクチンがなかったら今よりはコロナでより多くの人が死んでいた可能性が極めて高い。

学生の頃、薬学の先生が書いたブルーバックスに書いてあった一節が面白くて記憶しているので披露したい。

「副作用のないような薬は、性格に難がないが魅力もないような普通の女性と一緒でなんの価値もない」

この一節もある側面だけ捉えると「女性蔑視だ!」と狂ったように叫ぶ似非フェミニストの格好の餌食になりそうだがそんなこと気にしない。これはフィクションでたとえなのである。目くじらを立てる方が異常だ。

私もこれまでいろいろ足元すくわれ嫌な思いをしたことがあるし、Twitterで炎上したこともある。その時はとてもとても不快な思いをした。

しかし、自分の意見を述べるとは相当な責任が伴うということも同時に学んだ。

だからと言って毒にも薬にもならぬような価値のない意見をするくらいなら。それこそ何も言わない方がずっとずっとマシだ。

他人の意見を気にしすぎる必要はないが、自分「だけ」の基準は発しない方が無難である。そう思う。激しく思う。

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