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二元論【エッセイ】九〇〇字

ありとあらゆる矛盾の源・二元論。

キリスト教は二元論的な宗教と思われがちだが違う。神と悪魔の対立などというチンケなものではない。全て神の圧倒的な主権のもとに成り立っている。人間の苦しみも災いも死も全て罪の結果である。人にその罪を犯させる存在である悪魔でさえ神の支配下にあるのだ。

人間だけが頭が悪すぎて膨大な情報を用いて順序立てて教えてあげないと神の存在がわからないから、あんな分厚い聖書という難解な書物が存在するのである。

「サピエンス全史」で、キリスト教は二元論の悪神の代わりに悪魔という存在を作ったと主張されていたが明らかな間違いである。尊敬するハラリ先生の本だが「先生、そこは違うぜ」と読みながら首を振った。どんな賢い人が言おうが間違いは間違いなのだ。

二元論の源はゾロアスター教である。この世は善神アフラ・マズダと悪神アーリマンの戦いであると説き、その教理の中の天国と地獄や救世主などの思想体系はユダヤ教、キリスト教、イスラム教というアブラハムの一神教に影響を与えたと言われている(繰り返しになってしまった)。多くの宗教の源と主張する学者さえいるが現在信者はほとんどいない。その主張は明確な誤りである。ちょっとした影響を与えたというくらいだ。

昨今の複雑な問題を二元論が複雑に絡み合っているとしてテレビでも新聞でもネット記事でも解説をしていることに大きな苛立ちを覚える。そのようにどちらかが善、どちらかが悪として捉えている場合ではない。問題の本質にたどり着くことができぬところまで全てのことが複雑化してしまっている。

実在の世界には水戸黄門も暴れん坊将軍も勧善懲悪も当たり前だが、ない。それと同様にアメリカ対ロシアとか西側対東側とかの構図さえ虚構なのである。

全ての問題の源は罪なのだ。これだけははっきりしている。

それなのにみな罪から派生した表面的で実体のないものと戦っている。その争いは終わることは決してあり得ない。誰も本当に戦わなければならない敵を見ていないし、見ていたとしても目を背けているのだから。

なぜそんなこともわからないのだろうか。答えははっきりしている。絶望的に人間はバカだからである。論理のすり替えが賢さと思われているような狂った世相なのだ。AIなどに支配されると騒いでいるのだ。世も末だ。終わっている。

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