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はじまりは突然に。

いやはや気付けば11月ももう終わろうとしている。すっかり秋の空気に包まれている今日この頃。眠気がごいすー。朝は布団から出たくない。
今年も残すところあと1ヶ月ちょっとなのね…。時の流れの速さに完全について行けてない。
ま、これ間違いなく毎年同じこと言ってるな……(白目)。
一週間が、冗談抜きで三日くらいに感じる。ほんとにあっっっっっ…………という間。
好きで聞いてる週一のPodcast番組が、待ち遠しいと思う間もなく聞ける感じなのはありがたいけどね。

そんなこと言っておきながら、二年前の今頃は、その年の春に起きたのっぴきならない事態により、例年の時の流れの速さが嘘のように、一日の時間がそれはそれは長く感じる…なんていう時を過ごしてたっけなー。

人間には、どんなことがあっても ”通常モード” に戻る機能が備わっているのだなと改めて実感する。
人ってのは、ほんっとーーーに良くも悪くもそんな簡単に変われる生き物ではないのね…。

と。そんなわけで突然のnote初投稿。
アカウントは大分前に作っていて、ずっとROMでいた。

文章力に長けている人の文章を読むのは割と好きで。自分の言葉にできない感覚を代弁してもらってるかのように上手く言語化されてるのを読んでは、「わーかーるーっっ!!」ってなるあの感じ、とっても気持ちがいいもの。

だけど「自ら何かを発信するものとしての活用」は、他のSNSも同様にして来なかった。
書きたいことがないわけじゃない。思うことはいつだってたくさんある。
ただ、自分のことを知ってもらいたい欲は全くと言っていいほどない。
むしろ、自分のことはあまり知られない方が生きやすいのでは?とすら思っている。
故に、普段の実生活では大衆に擬態して、思うことはあまり出さずに無難を装って生きている。
でもだからこそ、普段は人に見せない自分の本音をテキトーにぶち撒ける場所があってもいいよねと、それこそ人のブログとかを読みながら思ったことは数知れず。でもまぁそういうのは自分のノートに手書きで書き殴ってればいいじゃないのと、なんだかんだ実際に着手するまでには至らず今日まで来た。まぁ、なんてったって超が付くほどの面倒臭がり屋だしな。

しかし。
例のナンチャラ19とやらの仕業もあって、以前よりも手持無沙汰な時間が増えたのが否めない中、特にここ最近の世の中の薄気味悪さも手伝って、以前自分が誰かに直接言われたこんな言葉やら、直接言われたわけではないけれどなぜか記憶にこびり付いている誰かが言ってたあんなフレーズやらが思い出されて来て、それを言った本人達からすればなんてことはない一言だったのかもしれないけれど、そんななんてことないかもしれないささやかな言葉達にそっと背中を押されて、この暇を埋めるにもいい機会じゃないかと、小さくても自分的新しいチャレンジ万歳じゃないかと、もう勢いで自分の思うことをネット上という荒野に解き放ってやろうじゃないかと。

何だって、始めるきっかけはほんの小さなことだったりする。そう、これも例外ではない。
記憶の片隅に残っていた、数年前にプライベートで諸事情により、お会いしたこともない方とテキストメッセージでやり取りした際にいただいた言葉。

「きくらげさんってとっても繊細な方ですよね。ブログとか、何もやってないなら絶対何かやったらいいのに」


自分的には、ただ ”失礼のないように” ということに注力して書いた、たった数行の文章のやりとりだっただけに、どこにそんなことを感じてくれたのかが見当たらず、その時はキョトンとして頭の中に?マークが浮かんだだけで終わったのだけど、暇を持て余しがちな今日日、何気なくふと思い出した。

「あぁ、そんなこと言われたこともあったわ…」
から始まって、
「そうだ。noteでも書こう」
と、思い立って今こうして書いてみている次第。

とりあえずやってみてしっくり来なければ消せばいいんだし。
飽きたとか、何かしらが自分に合わなければ止めればいいんだし。

正直、このnoteに関しては、素人玄人問わず、素晴らしき文才に溢れた方が多々散見されるので、読む側として楽しむ分には好しなツールなんだけど、自分が書くとなるとちょっとなんとなく気後れするような気持ちがあったのも確か。
だけど、もう数年前になるけど、noteに関してこんなtweetを見かけたのを思い出した。


①『noteって死に至る毒を毎日極限まで薄めて飲ませてる感覚があり、そこが無理。』

②『noteってすごい文章がmakeされてるから、書く側も読む側も目的をはっきりさせないとダメな感じがする。書籍を読むみたくいちいち構えて疲れてしまう。もっと、海老蔵さんのアメブロみたいなやつが読みたい。日常の隙間からからこぼれたリアルな文章。もっととぼけた文章が読みたい。』


さして文才と言えるようなものを持ち合わせてない自分からすると、下から上を見上げるみたいな決して届かないものを見る感覚でそういうのを読んだりしているけど、そういうのをtoo muchって感じる人もいるのかぁ…って。
自分が見てる角度とは違う角度から見てる人も当然いて、その景色を想像してみると「あぁ、なるほどね」とそれも理解できる。
と、同時に「じゃぁ、私みたいな拙い文章しか書けない人間でもいいのか」と全力で前向きに捉えてみた。へへへ。
最近は、ユーザーが増えたせいか、当時よりもユルい雰囲気のもたくさん見かけるしね。

まぁ、なんにせよ、自由だ。
誰かのために、誰かに読んでもらうために、書くわけじゃない。
不特定多数の人と繋がることにいまいち興味が持てない内向型人間。
自分のため、自分を整理するため。
思いを吐き出すことはもちろんそうだけど、”タイピング”っていう行為自体にもまたなんかセラピー効果みたいなものがある気がするのよね。これ仕事とかしながらもずーっと思ってたんだけど、私だけかな?
あと、ちょっと文章力を鍛えられたらなと思う、やりたいこともここ最近出て来た。

少し前に好きなコラムニストの方が「転んだことは全部(書いて)お金に換えていく」と話していて、私はお金には換えられないけど、吐き出すのは確かに自分にとっても大事で、それを放出する場所をここらでちょっと今までとは違った場所を新たに持ってみようっていう心境になった、これもまた始めるに至ったきっかけの一つ。

SNSをやってる人が皆、そこに必ず何か大義名分があってやってるってわけじゃないだろうし、呼吸をするように、癖のように、ただこの時代の当たり前を当たり前にやってるだけなんだろうな、と。

ダークな部分も多い自分のことだから、毒まみれになるんじゃなかろうかと懸念もあるけど、まぁ、それもいいじゃないか。
例え、クソつまらなくたっていいじゃないか。
現実の日常ってのはそんなに綺麗なもんじゃないもの。

そんなこんなで、自分でも今更感が半端ないのを否めないことはガン無視して始めていきまーーーす。

ぁ、今日は『一粒万倍日』ですって。縁起いいぃーーー。




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