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住まいとは。

自粛生活17日目。
在宅勤務にして初めて残業をしてしまい何とも言えない気持ちを晴らそうと好きな街が舞台の映画『ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります』を観ることにした。

モーガン・フリーマンとダイアン・キートンが演じる年配夫婦が長年住んだブルックリンに佇む古い部屋を売りに出す話だ。

理想と現実。
年齢を重ねるにつれて見えてくるものもあれば見えなくなってしまうものもある。夫婦にとってのあの住まいはまさに理想と現実を表す象徴といえるものなんだろうなと感じた。

この先さらに年を重ねてから住むのには決して快適とは言えない住まいだけれど、思い出や若いころ夢を追いかけて仕事に打ち込んだ日々の記憶が詰まった家を選ぶのか、値段は高いけれど人気もあり快適な住みやすい住まいで余生を過ごすのか。
二人が選んだ決断は何となく予想はできる展開だったけれど、理想と現実について、それと同時に住まいとは何か。改めて考えさせられる映画だった。

私の家庭は転勤族だったので幼いころからたびたび引っ越しを経験させられた。
私の場合、3年~5年くらいのスパンで引っ越しを余儀なくされたため一つの家に対して愛着や信頼がわき始め、友達や様々な思い出ができ始めたころに新しい土地へ行かざるを得なかった。
短い期間とは言え、その家で生活し過ごした思い出や経験は私の人生にとってかけがえのないものであることには変わりはない。

これまでに5都県での生活を経験したが、どの住まいも今回みた映画同様、ないものねだりというか理想と現実はうまく釣り合わないものだなとつくづく思う。

例えば、私が現在住んでいる家は家賃は安く駅近で利便性もよく、聞こえはいいが、部屋は狭く外観はとてもきれいとは言えない見た目だし、駅近が幸か不幸か近すぎて電車の音で目が覚めるほどだ。

一転して実家は部屋数もあり、一つ一つの部屋は広く、家賃なんてものはかからない。自然が多く食材もおいしいし不自由がない良い暮らしに感じるが、交通の便、利便性がべらぼうに悪い。
なにせ在来線の駅まで車で30分はかかる。車がなかったら生活は困難だ。

家賃もほどよく、部屋も広く、外観もある程度新しくてきれいで利便性に優れ、自然と都会のバランスが取れた立地で…

なんてすべてがそろうような住まいはまずないだろう。というか絶対ない。

住まいとは何かを妥協し、そのなかで自分なりに折り合いをつけて身の丈に合ったものでなければならないと思う。

現在の家に住み始めて、この3月に早くも2回目の更新をした。
次回の更新までには自分の身の丈に合った理想と現実のバランスが取れた住まいを探したいと思う。

PS.
TOPの写真は4年前に初めての一人旅でニューヨークへ行ったときに撮影しました。(もう4年経ったんか…)
ニューヨークの街はパワーがすごすぎて当時の私には住むなんて到底考えられる場所ではなかったけど社会人になり、さまざまな経験や人と出会うにつれて夢追人が集まる街ニューヨークでの生活も悪くないのではと思ったりしています。(現実はそんなに甘くないと思うけど。笑)

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