見出し画像

行動とは『不快感の解消』である。(立川談志)

今朝、ある方の記事を読んで、「あ、そうそう、このテーマで書きたいことあったわ!忘れてた!」と思い出したことがあったので、書きます。

行動の動機に「ポジティブ」を言う風潮

「”~したいから”という理由は正しいのか!?」と疑問に思ってます。

なんか人がある行動をする時によく使われる理由として、「~したいから」という言葉が挙げられますよね…

「~したいから」という理由は、人間の行動の一部分しか支えることが出来ず、反例を生み出すので、不完全ではないかと感じるのです。

その一例として、「世界一周旅行したい」があります。誰もが一度は思ったことがある”やりたい”と思う事柄だと思います。ただ、実際に世界一周した人は、その中でほんのごく一握りではないでしょうか。

行動の理由として、「~したいから」を挙げるとすれば、「世界一周旅行したい」と思った人は全員世界一周旅行をしていないと筋が通りません。時間的な理由や金銭面による断念が考えられないこともないですが、本気で「世界一周旅行したい」と思っている人は、その困難も何とか乗り越えて、実際に世界一周旅行すると思うので、なんか下手な言い訳に思えるんですよね。

個人的な身近な例で行くと、僕が留学の話をした時に決まってよく聞いたのが、「私、留学に興味が出てきました!これから留学したいと思います!」というもの。もちろん、社交辞令として言って貰っているのは重々承知しているが、別れた後も何度か連絡を取り合って、留学へのやる気があるなと思っていた矢先、結局は留学しないというパターンを何度か体験してきた。笑

なので、「~したい」という理由は人間の行動を説明する際に、結構不適切なんじゃないかなと個人的には思っている。

談志が言うには、行動とは「不快感の解消」

そんな自分は談志の「行動とは不快感の解消」という言葉がしっくりきている。要するに、行動は「(自分にとっての)マイナスの値を(自分にとって)ゼロやその上のプラスに持っていこうとすること」だと思っている(余計にややこしいか…笑)。不快感は「マイナスな感情(怒り、悲しみ、恥ずかしさ、苦しみ、嫌いなどの類)」と言い換えることが出来ると思う。

上記の2例で言えば、「世界一周旅行したい」と言う人は、世界一周旅行をしなくても不快感を感じないのだ。世界一周しなくても既にその人にとっては、ゼロやプラスの値にいるのである。その人にとって世界一周とは、ゼロやプラスである今の状態をよりプラスの値に持っていこうとすることである。だからこそ、口だけで終わるのである。それは勿論のことで、だって、世界一周しなくてもプラスの状態にいるんだから。わざわざ時間的金銭的労力を払ってよりプラスの状態に持っていくのは骨が折れるだろう。だから、実際に世界一周をしない人が続出するのである。留学の例は、この段落中の世界一周を留学に変えてもらえば、言いたいことは同じである。

食欲とか「いい子ぶり」について

「行動は不快感の解消である」という定義は真理だと思う。例えば、食欲。普通は、「ハンバーグが食べたい」からハンバーグを食べるみたいな感じだが、談志的な解釈で行くと、それを裏から見ることになる。つまり、食欲と言う円グラフみたいなのがあって、ハンバーグの部分だけ欠けているのである。欠けている(=不快感を感じる)から、それを埋めようとして、「ハンバーグを食べる」という行動をするのである。

「いい子ぶる」という行動の裏には、「先生から怒られるのが嫌(=不快感)だから、怒られないように、いい子ぶっていよう(=行動)」という図式があるように思える。「先生に褒められたいから」というポジティブな理由でいい子ぶることもあるだろうが、それは逆を言うと、「先生に褒められないのが嫌(=不快感)」だから、褒められるために、いい子ぶっていよう(=行動)」という図式に言い換えることができ、「~したい」という理由で人間の行動を説明するより、「『~したくない』や『~は嫌だ』などからくる『不快感』を解消する為にするのが行動である」という説明の方が、より広い範囲に対応できると思う。

自分の経験を言わせてもらうと

よくドイツに留学した理由として、「森の幼稚園で実習したかったから」とポジティブなモノを言っているが、ちゃんと説明するのであれば、「大学生活において、ドイツの森の幼稚園を体験できないのがマジで嫌だったので、とにかく留学する状況を自分で創っただけ」というのが本音である。

予備校時代に英語の先生が留学の楽しさを熱く語るもんだから影響をモロに受けちゃって、「大学生活で留学できなかったら、後悔するだろうな(=不快感)。」と思って、留学できるように行動しただけだし。

1年間留学したのも、短期留学で経験した1日の森の幼稚園において、「1年を通じた森の幼稚園を体験できてないという欠乏の気持ち(=不快感)」があったからこそ、それを解消する為に、行動できただけのことです。

「プラスの状態からプラスを目指す行動」よりも「マイナス(=欠乏や不快感)の状態からプラスを目指す行動」の方が『貪欲さ』が出る

これは当たり前ですよね。お腹が減ってる人は、目の前に食べ物が置かれれば、手でわしづかみして食べたり、周りの目など気にせずに頬張ったりしますよね。「衣食住足りて礼節を知る」みたいなもので、欠乏状態の時はマナーやルールなんてへったくれも無いです。

ただそういうアグレッシブさがあるからこそ、本人が渇望していることが現実になることが多いんだと思うんですよね。成功させるために必死ですから。

何か今の子ども達に対してよく言われるのが「欲望が無い、好きなことが見つからない、やりたいことがない」的な感じだと思うんですが、それって、僕としては当たり前のことではないかと思います。だってもう、彼らは満たされてますから。衣食住は足りてるし、余暇はたくさんの選択肢があるし、知識だって、ググれば(表面上だけですが)知ることが出来て、「知らない」という不快感は解消できます。そんな満たされた時代にいる(=プラスの状態にいる)んだから、そこからさらにプラスを目指そうとする人はなかなかいない(=解消すべき不快感が無いから行動しない)でしょうね。

で、ネットの普及が結構デカいなと思ってます。なぜなら、ググっただけでそれをあたかも知ったかのように錯覚してしまって、それに満足するというか、簡単に不快感を解消できるツールだからです。

卑近な例で申し訳ないですが、森の幼稚園の1年間を知りたいのであれば、本を読んだり、ネットで調べて得た情報でも知ることが出来ます。でも、僕はそれじゃ満足できなかった、そんなことでは自分の不快感は解消されなかったんですよね。欠けてる部分の1㎜も満たすことが出来ない程、自分の中には「森の幼稚園」というぽっかりと大きな欠けている部分がありました。だからこそ、アグレッシブに貪欲に、その欠けてる部分を何とか埋めたいが為に行動して、その結果として1年間の実習が出来たのだと思います。その当時の自分に周りの人達は、「キーくんは好きなモノ(=森の幼稚園)が見つかって良かったね」とか、「やりたいことがあって良いね」なんていう言葉をかけてくれましたが、自分としてはただただ「森の幼稚園を1年間体験できないのが嫌だ」という不快感を解消する為に、自分なりに一生懸命行動してただけなんですよね。

大好きな漫画「ブッタとシッタカブッタ」を引用します!

なんか説明が分かりにくいかなと思ったので、この漫画を参考にさせて頂きます。。

「満足している時」って言うのが、僕的には「ゼロとかプラスの値にいる状態」つまり、「何も欠けていない、不足感が無い、不快感が無い、快適な状態」なんですよね。そんな状態でいくら、「留学したい!」「世界一周したい!」「ハンバーグ食べたい!」なんて思っても、99%の人は行動しないし、行動したとしても0.9%の人は貪欲さが無いので途中で困難にぶつかったらすぐにあきらめるでしょうね。実際に行動して成し遂げる人なんて0.1%くらいじゃないでしょうか。

「不足に気が付くと欲望は強く意識される」って言うのが、「不快感解消の為に行動する」ってことですよね。強く意識されるからこそ、その分、「何が何でも成し遂げてやろう!」と熱く行動できるかと思います。

褒められるのが好きじゃない

なんか、僕のドイツ語の勉強なんですけど、ドイツ人と話をして、「キーくん、ドイツ語上手いね!」って褒められると、途端にドイツ語学習意欲が低下しちゃうんですよね。なんか、満足しちゃって、それより上を目指そうという気が無くなっちゃうんです。だって、褒められたからそれで良いかって思うんです。で、その後に、自分の知らないドイツ語に出会ったり、自分のドイツ語力で上手にコミュニケーションできなかった場面に遭遇した時に、「これじゃマズい!自分のドイツ語力はまだまだだった(=不足感)!このままじゃ、きちんとドイツ語でコミュニケーションが取れない、そんなの嫌だ(=不快感)!」という思いになって、ドイツ語を勉強しだす(=行動する)って感じなんですよね。

こんな感じなので、基本僕は褒められるのが好きじゃないんですよね。褒められたら満足しちゃって、行動(不快感の解消)ができなくなっちゃうから。褒められたら調子に乗るタイプだと自分で自分のことを分かっているので、褒められた時は心の中で、「こんなこと言って頂けてるけど、お前なんてまだまだ。ダメな奴だから慢心するなよ。」って言い聞かせてます。笑

まぁ、けなされるのも嫌と言えばもちろん嫌ですけど、褒められるよりは断然けなされたいですね。けなされたら、不快感が芽生えるじゃないですか。そしたら、見返してやろうとか、ちゃんとやらなきゃなと思って行動できるんですよね。

で、一番良いのは、「評価しない」ことですね。笑

結構自律タイプなので、口出しせずに遠くから見てもらう感じが自分にとっては一番心地良いですね。

行動しないのが一番良くないと思う

この話も結構好きなんです。☟

このブタの欠乏は「お金」ですよね。それはそれでいいと思うんですが、このブタの残念な所は、「稼ぐ手段を決めれてない」ことですね。だからこそ、良い選択肢と思えるものが見えた時に、そっちになびいちゃう。風見鶏になっちゃうわけです。「漫画家か、それともコピーライターか」みたいな感じになっちゃう。で、時間だけが過ぎて、何もやらないから、能力が身に付かない。

「どうやったらなれるか?」と考えるのは大事なことだと思うんですけど、もっと大事なことは「考えながら『行動』しろよ」ってことかと思いましたね。

こういうことですよね

3日坊主かどうかの判断基準になる

noteとかでも「毎日書く!」って宣言して書かない人っているじゃないですか。自分のことですが。笑

それって、毎日書かないことが別に不快じゃないからなんですよね。第一、無理な宣言なんですよ。そういう無理は続かないんです。だって、無理したらマイナスの状態になっちゃうから。楽しくなくなっちゃうから。それが不快感になるから。だからこそ、その不快感を解消する為に、「毎日書かないでいいか。思いついた時とか書きたいことが見つかった時だけでいいや」っていう行動になっちゃうんですよね。

子ども達の行動原理を見る時の参考に

で、個人的に大切だなと思ってるのは、子ども達の行動原理を考える時は「不快感の解消」を軸にした方がいいのではないかという事ですね。一般的な日常会話で知人が「~したい!」って言ってきた時に、「いや、その理由は間違ってる。本当は・・・。」みたいなことは言いませんが(心の中では考えてる…笑)、仕事として子ども達の成長と向き合ってる時にまで、子どもが「~したい!」という理由を鵜呑みにして、「おう、そうなん、頑張れ~!」と単純に反応したくないなと。

「この子の日頃の行動から察するに、なんか無理なこと宣言してないか?」とか、「ちゃんと実現させることが出来るだけの気力は持ってるのか?」とか「三日坊主で終わるパターンか、それともやり遂げるパターンか?」みたいなのは、高い精度で予測したいなと思ってます。

「やりたいこと探せ」は酷すぎるアドバイス

前半の方で述べたように、現代は満たされた世界なので、やりたいことがなかなか見つからない時代だと思っています。そんな時代を生きる人たちに、「やりたいことを探せ!やりたいことをやろう!」なんていう標語は酷いのではないかと個人的に思っています。

「行動は不快感の解消」という公式から考えると、やりたいことを探すよりも、「やりたくないことを知る」ことの方が、実践的で効率的ではないかなと思います。やりたくないことが分かれば、この選択肢が溢れかえっている世の中において、自分の望む選択肢に直結できますし、「やりたくないこと(=不快感)をやらない為に行動する(解消する)」訳ですから、熱量が、ただただ「これやってみたいな~」みたいにしか思ってない時と比べて段違いのハズです。

僕個人としては、子ども達に対して、「不快を感じたらすぐに解消の為に行動できる人間」になって欲しいと伝えていきたいですし、「世界一周旅行✨」とか「留学✨」とかみたいな上っ面の、吹いたら飛ぶような軽い理由ではなくて、「世界一周旅行しなければ自分の人生に意味がなくなる(=不快感)。だから、絶対に世界一周するんだ!」とか、「留学しなかったら、絶対に後々後悔するだろう(=不快感)。だから、学生時代に是が非でも留学してやる!」みたいな動機を持ってほしいなと思いますね。

そういう欠乏の気持ちを持ち続けられる人が、それを解消しようとアグレッシブに行動することができ、その姿が端から見ると、「情熱を持って前進している」状態に見えるのであろうと思います。常に欠乏の気持ちを抱えているからこそ、不満足が続き、驕らず、自分を自分でメタ認識できて、物事に邁進することが出来るのかなと。

満足した時点で先は無いですよね。行動(不快感の解消)が終わってしまうのだから当然です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?