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終わりについて

わたしはよく終わりについて考える。 幼い頃から「人は死んだらどうなるんだろう?」と考える子どもだった。 思えばその頃からノートに文字を書き、ネットが普及しだしてからはHPを作って文章をしたためていた。 死んだら何もなくなってしまうような気がしていて、自分が生きた証を残したかった。自分を表現する唯一の方法だと思っていたのかもしれない。 「終わり」というものはある日突然、日常の中に紛れ込む。インディーズバンドを追いかけていた10代~20代前半。普通にライブを見に行っていたら突

    • 子どもをあずけて出かけていい

       母が子どもをあずけて自分の楽しみの為だけに出かけるということは、男の人で言うと、仕事が忙しいにも関わらず、自分の娯楽の為だけに仕事を休むような感覚なのではないかと思う。  先日、HAPPYちゃんの6000人無料招待ライブを見に大阪から東京へ行った。最初まったく行く気はなかったのだけど、「行く」という選択肢に許可を出した途端に現実は変わっていった。子育てにしんどくなってしまい、自分を変えたいと思い学び出した約4年前。今まで出かけることは「学びのため」がほとんどだったと思う。(

      • ゲームに無頓着な主婦がマイクラやってみた

        昨年、うちにもようやくニンテンドースイッチがやってきました。現在、小学校二年生の息子はとても夢中でゲームをする毎日です。 特に『マインクラフト』ことマイクラ。 子どもの頃にファミコンや、スーファミはやっていた世代ではありますが、昨今のゲームに最初は困惑していました。ゲームにアカウント設定がいるとは。 目的は自分で決める 次にその汎用性の高さ。マイクラは遊ぶ目的も自分で決めなければならない。わたしの時代のゲームといえば、ゲームごとに目的が決められていた。敵を倒して世界を

        • 死を思うこと

          最初の投稿がこんな内容であることはいかがなものかと思うが、やはりわたしは「死」についてずっと考えていたことを今、記したい。 「君たちの中の数人は俺より先に死にます。」 と、仮にもめでたい卒業式の場で言い放った先生がいた。彼の口癖は「Memento mori」すなわち、ラテン語で「死を思え」。死ぬということは忘れてはならない、人は必ず死ぬということである。当時、わたしは哲学科の学生であった。 中学生あたりから、わたしは世の中のドラマやお話が、なぜハッピーエンドに終わるのか

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