『フンとブン』をようやく読めた

この一週間は、ここには書くほどでもない私的なことを多く考えていたため全然思いつくことというものがない。周りに気を回せるほど頭は暇ではなかった。冬休みも近づいて、年内にやっておかないといけないことをやってたりもした。

そういえば今日移動中によんだ『フンとブン』という作品が面白かった。その感想を書いていく。

この作品を知ったのは中学生の時だ。国語で井上ひさしの『握手』を勉強した時に参考文献としてタイトルと冒頭部分だけ紹介があったのだ。冒頭部分の中で、一週間分のご飯とみそ汁を作るとか、みそ汁の具は隣の農家からすくねてくるとか、当時の私には強烈だったのだ。いつかは読んでやろうと考えていた。そして学校の図書室で井上ひさしの中短編集を見つけ、その中にフンとブンがあり今回読むに至った。

中短編集は一冊500ページ近いうえに行が二段になっている。さすがに長い休みじゃないと読み切れない…。たぶん。ただ、百年文庫のシリーズを読破したという自信があったから中短編集も読めるのでは?という気が沸いてきたのだ。中短編集はさっきも述べたように分厚い本で、しかもシリーズになっている。この冬休みと春休みでシリーズ読破できたらいいな。

さて簡単なあらすじである。

フン先生は売れない小説家だ。彼が書いた小説『ブン』から四次元な泥棒のブンが現実世界に飛び出してきたのだ。ブンは自由の女神のたいまつをソフトクリームに変えたり、奈良の大仏を鎌倉の大仏のところに移動したり、「ブン現象」を世界中で巻き起こしやりたい放題。小説『ブン』はおかげで売れまくり増刷の嵐。フン先生は、生原稿に戻るようにブンに言うが聞かない。それに加えてブンは人間の大切なものを盗むといって心まで盗んでしまうのであった。また、増刷された『ブン』から抜け出たブンたちは最後逮捕されてしまうのだが、これも彼らの作戦であった。

こんな感じだろうか。最後の作戦というのは読んで納得な感じ。全然平和そうに見えないけどとても平和な、でもやっぱり平和じゃない終わり方で大団円って感じが大変気に入った。この小説が書かれた時代とは少し違う時代(フン先生がインスタントラーメンが好物なのは当時出始めたばかりだから?)に生きてるが十分に世界に入り込むことができた。

ブン現象やクサキ長官の歌などにみえる何度も同じ表現を別の言葉、別のたとえで何個も何個書いていくところにリズムはないけどリズム感を感じた。一般的に「いろいろ」って書けば解決しそうな本編に直結しない内容も丁寧に一つ一つ書いているのである。読みながら「またか」なんて思うけど、オチがなんとなく推測できそうなたとえだから面白いともいえる。そして、そんなたとえを5つも6つも書いているからこんなにも長くなってしまうんだなと思った。すらすら読めるからいいんだけどね。

さらに、時々作者の注釈が本編中に飛び出してくるのでそこもかなりシュールだなと思った。突然登場人物の誰でもない声で頭の中にメタ発言が再生されるのだ。その声はたまに状況の開設もする。そしてそしてまさか、小説にのりしろをつけるなんて…。そういう演出もシュールである。作者は脚本を書いたり(こちらが本業か?)するから、小説内でも舞台やテレビと同じようなエンターテインメントを作ろうとしたのではないだろうか。

読むのが大変そうだななんて図書館で借りたあと思ったけど、案外すらすらと読めてしまうもので。飽きずに眠くならずに一気に読んでしまった。


思ったより文章が長くなってしまったのでここらへんで失礼する。

そんな感想文。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?