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小説・掌編 『妄想図書館の女』

 年末の図書館は平日でも混み合っていて、ブスブスとなにやら口から異音を立てて通りすぎるリュックの若い男や、歩くラインとスピードが定まらなくって、つまりあるのかないのかわからない妙なリズムに気づいた周囲に一呼吸分だけ間合いの距離を要請する御老公様とか、検索票のプリントアウトを盛大な音を立ててやたらと連発しまくっている小学高学年女子乱射犯とか、何の意味があるのか本日返却本コーナーで次々と手を伸ばしては抱え込んでいく真っ赤なダウンジャケットの御仁とか、レンアイなんて飽きたわやっぱり独りで生きてくのアタシさんのツカツカ歩きとか、そんなこんなを避けながらようやく相談窓口に背中でたどり着き、「なにか? 」と聞こえたのは気のせいかと我にかえって声の主に顔を向ければ、アゴをクイっとあげて白マスク、わずかに茶にそめた髪をこれでもかとひっつめに束ねあげ、照明に反射してピカピカに光らせた髪が並いる図書館司書にはひとり似つかわしくないその若いシショ嬢、オレが差し出した二枚の検索票を目にするやさっと奪い、「在庫あり」の文字のあたりを中指で確かめると「はーい、少しお待ちを」と半身を返して立ち上がったかと思いきや「会員証期限キレてますからお待ちの間これに」と刺さるように尖った中指で継続申請書を示してから誰にともなく「開架に出ますー」と叫んでカウンターを飛び出し、異音男や間合いの御老公や乱射犯や赤ダウンジャケットやひとまずアンチレンアイなのよ女がウヨウヨするロビーをまっすぐ泳いで、さっきオレがイライラして目を走らせていた書架に直行、「ここにあるじゃないの」と唇が動いたようで一瞬で目当ての本を見つけ、あの中指で本の頭をひっかけ倒すのが見えてビクッとしたオレは慌てて顔を伏せてスマホを見るふりをしているところへ、トン、と目の前に立てた一冊、尖った中指一つだけを表紙の上から覗かせながら、「この『陶酔短篇箱』はありましたが『妄想気分』は昨日返却されたのを館内で読んでいる人がいるようで、予約入れときますね云々」と有無を言わさず、そんなことよりも「陶酔」やら「妄想」やら、そんな類の本を借りるヤツなんだなオマエって的にかしげている尖った中指に、いえいえこれはあの小川洋子さんの本なんですよ、と胸の内で逃げを打ってはみたものの、そんなこと知らずにタイトルだけで借りたんだろオメーってヤツはよー的にすっと引っ込んだ中指が今度はオレの会員証の名前部分をゴシゴシこすり出すもんだから息を止めて見つめると「お名前の文字が消えかかってますから貼り直しますね」と中指が語るので、それじゃあ、とペンを持ち出せばそれには及ばないとばかり「アタシが書きます」と目も合わさずつぶやいて、白くなった記名欄に中指が這い回ってオレの名前ができ上がり、生まれ変わった会員証と『陶酔短篇箱』を手に、残る『妄想気分』を引き取りにあの凄まじくもキレのいい仕事ぶりを見せる中指に再び会えるまでの数日を、まさに陶酔短篇箱の中で過ごせるのだ、と夢想しながら、妄想けぶる連中たちの巣窟をオレは振り返りつつ後にした。
(了)


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