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旅行記Ⅲ

 大学1年と2年の間の春休み、高校時からの友人とイタリア旅行をした。ヴェネツィア、フィレンツェ、ローマの3都市を巡った。成人式にあわせて髪を染めるというイキリムーヴをかましたあとの2月、無敵だった僕(ヘッダー参照のこと)はミケランジェロの天井画が見たくて、美術史上の大天才たちはどんなもんかいなと視察しに日本を発った。

 行きの空港で、友人が「我孫子」のことを「がそんし」と言ったのをきっかけに、高校の頃、取り巻きに自分のことを尊師と呼ばせているヤバい奴がいたことを思い出して盛り上がったりしていた。飛行機の中では、ひたすらテトリスをやっていた。僕は無敵だったのでノン カピスコ イタリアーノ(イタリア語は喋れません)というイタリア語だけ覚えて、ヴェネツィアの空港に到着した。

 2月のイタリアは寒かった。10年に一度の大寒波がすぐそこまで迫っていた。

 初日は、夕方に到着した記憶がある。次の日の朝から観光を始め、なんとなくその辺にあった教会にふらっと入った。その瞬間、ティツィアーノが描いた《被昇天の聖母》が目に飛び込んできた。縦が6mもあるこの絵は、題名通り天に昇る聖母を描いたものだが、ヴェネツィアで初めて目にした絵画がこの作品だったことは、今思うと象徴的であった。

 ゲオルク・ジンメルの美しいエッセイ「ヴェネツィア」では、水の都と、そこで育まれた文化が、根のない花に喩えられている。生の実感に根ざしたフィレンツェ文化と対比して、どちらかというと批判的にヴェネツィアを描いているが、水面に浮く花というのは非常に的を射た比喩だと感じる。それは、仮構であるのだ。

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 《被昇天の聖母》において一目瞭然なように、ルネサンス期のヴェネツィア絵画の特徴は、イリュージョニスティックな色彩である。溢れる色彩は、観者を此処ではない何処かへと誘う。寒色の空を背景とした地上部分から、中央下部に位置する男の左手(の人差し指と中指)を介し、それに接する雲、天使たち、光に包まれる聖母、そして神へと視線が上昇していく。
 当時のヴェネツィアは四面楚歌であったらしいが、そのような状況下においてこそ、浮遊感のある絵画が必要とされたのだろうか。表現の由来を一つの要因に帰することはできないが、おそらくそうした社会状況と無関係ではないだろう。フィレンツェではフレスコが主に用いられていたのに対し、ヴェネツィアでは持ち運びが容易なキャンバスに描かれていることも、(しばしば指摘されているが)ヴェネツィア絵画の仮構性、浮遊感に貢献している。

 ふらっと入った教会で、いきなりティツィアーノの傑作に邂逅してしまった僕は、無敵から二敵くらいになっていた。到着から3日目、友人と個別に行動し、晩ご飯までに集合することを約束し、美術館などを回った。少し時間が余ったので、水路の縁に座りスケッチをすることにした。
 しばらく描いていると、ヴェネツィアに住む同じ歳くらいの女の子が話しかけてきた。スケッチしているところを熱心に見ているので、君を描いてもいいか、と聞いてみたところ、快諾してくれた。

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 寒さと、まっすぐこっちを見てくる彼女に気後れして、正直あまりうまく描けなかったが、絵をプレゼントしたらすごく喜んでくれた。
 別れ際、イタリア語混じりの英語でご飯に誘われた、気がした(何を言っているかほぼわからなかったので、勘違いかもしれない)。僕は友人との約束がどうのこうのと、ほとんど吃りのような言葉(未満のなにか)を発していたら、「まぁいっか、またね!」と、彼女は颯爽と去っていってしまった。ノンカピスコイタリアーノ、僕は彼女の名前も知らない。

 その後、友人とパスタをつつきながら、先ほど僕に起きたことを話した。友人は、「いや、それはウソじゃん!」と言っていた。

 ウソとは、仮構である。フィレンツェ絵画の「適切な」陰影法ではなく、現実の世界とは異なる秩序からもたらされる色彩が、仮構の空間に説得力をもたらす。フィレンツェ絵画は、永遠を志向しつつも、芽生え、花開き、枯れていく生命の美しさと厳しさを併せ持っている。それは内容はもとより、強固な表面を持つフレスコがもたらす、人のスケールを超えた時間の感覚が、転じてその作者である人間のもつ時間の儚さを想起させるからだろう。対してヴェネツィア絵画は、さながらプリザーブドフラワーである。それは偽りの永遠を誇り、観者が作品の前に立つとき、生の厳しさと死への恐怖は忘却される。

 僕がヴェネツィアのあの人を描いた記憶は、上に載せたスケッチによって、現実に起きたということが保証されている。それは、雲にかかる人差し指と中指程度の、薄弱なつながりである。しかし、その仮構性がこの思い出をとりわけ美しいものにしている。僕は日々に追われ、友人や家族と共に歳をとっているが、あの日ヴェネツィアで、中途半端な髪色をした僕と、まっすぐにこちらを見てモデルを務めてくれたあの人は、偽りの永遠の中にいつまでも揺蕩っている。

 

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