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主語は「地域」ではなく「若者」だ、という話(※やや長い。)

うーん、やっぱりさ…やりがい、学び、成長、生活力向上あたりを掲げて、その実、若者をタダ働きさせたり、たらい回しにしたりするやり方はイヤなんだ。キライと言っても良い。悪意の有る無しに関わらず、結果として搾取になってしまってる。

企業が、学生や新卒、入社数年目の若者に対して「君らは若くて経験不足だし、面倒見て育ててあげてるんだから給与はないよ?」「ローテーションさせるけど、行く先々ではまたゼロスタートだからね?」…って言って給与払わなかったらヤバいよね?クロいよね?地方や農林水産業だとそれがまかり通るなんて、やっぱりオカシイのよ。

そもそも教えたり育てたりすることは、双方向に価値があるはず。教えよう・育てようとするとこちらの学びや成長にもつながる。さらに、育てて根付いてもらって貢献してもらうなら、それは投資だから、なおさら払わないと。リターンだけ得よう、彼らをいいように使おう…とするのは詐取に近くないか?

なんでこんなに「イヤ」なんだろう?と考えたら。

要は、右も左も分からない学生や若い人、学ぶ意欲の高い人、先輩に頼まれたら断れない献身的な人、そして逃げ場や行き先の少ない人ほど、この沼にハマって抜け出せなくなるから。
そして、それがまかり通ってしまうと、頼む側も「育ててやっている、機会を与えてやっている」と正当化する機会になってしまって、自分達のやり方を疑わなくなる(なっている)から。

外国人の農業実習生(研修生)を取り巻く問題は、この極致。もはや慣習(悪習)と言って良い。だけど、都会から離れて地域産業に従事したがる人が増えてる今、日本人の若者に対しても同じことが起きている。事情を知っている地方出身の若者ほど継がないし、戻らないのは道理だ。

確かに、一定期間の学びや研修は必要ではある。言い換えれば、期間を区切るべきだ。それ以降はちゃんと働いたり、動いた分は払おう。半年以上働かせているのに月にゼロ〜数万で、家賃や食費と相殺でゼロ…とかもナシ。
払えないなら頼むべきではないし、せめて補助金や各種助成でも使おう。それすら無理なら、人に頼まずに自分でできる規模に留める方が良い。誰かの犠牲の上に自分の収益や所得を確保するしかないなら、事業自体を見直すか、辞めるべき話。(むしろガムシャラに売上や利益を作れ、そのうちの○%を成果報酬で払うぞ!という組織の方が、実は健全だ。)

こうした、やりがい搾取を起こしてしまう事業者の都合に合わせている限り、行きたいと思っている、ただでさえ少ない若者やその気持ちをどんどん消費して、いつか滅ぼしてしまう。

そんなんで、ここ最近ずっと悶々としてた。

僕らが頑張って若者を地域の事業者さんに紹介することで、かえって地域でシェアできる奴隷的な人材が増えてしまう危うさを感じていたから。

そんな時に、うちの新卒が4月の入社と同時に八ヶ岳に移住した。地域でちゃんと働き、ちゃんと対価を得ている。自分で地域を開拓も始めている。東京の仕事は半分以下で、かつリモートワークだ。きっと僕やウチの会社がなくても、彼女はこの出会いがあれば迷わず八ヶ岳に行っただろうな…と思った時に、目が覚めた。

僕らが今まで無意識に使っていた、「地域のために」とか「地域に若者を送る」という表現は、もう使うのを止める。そうじゃなかった。ごめんなさい、言い出した僕が間違っていた。

あくまでも「若者が望む、居たくなる・続けたくなる場所や生活スタイル」が実現するように。それが長い目で事業のため、産業のため、地域の未来になるから。それを一緒に取り組んでくれる人達と、がんばります。

(※次は長門、群馬水上、八幡平に…)

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