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「備えあれば憂いなし」って世界に通じる(が、備えない日本人を憂う)話。

最近、環境(エコ)が大事だ、Co2削減しよう、なんて話をどこでも聞く。

しかし僕は正直、CO2問題も砂漠化も温暖化などについても、ことさら問題だ!と騒ぐ人の気が知れない。寒冷化してる地域や時期もあるし、その逆もある。雨や雪がすごい減った時期や場所もあれば、その逆もある。総論や平均で語る意味はあまりない。挙げ句に、わずか30年前までは寒冷化で氷河期に入るかも、とすら言われていた(おかげさまで就職氷河期は来たが)。いかようにでもデータは取得できて事実は「作れる」し、発信や拡散のされ方次第でデファクト・スタンダードになるものだ。

そう考えると、環境負荷を下げなければ!CO2減らさなきゃ!みたいな話になって、やらなければいけないからやるとか、そう主張している(または、他者や企業を批判する)自分は正しいと思えてしまう、という社会の方がコワイことだ。ヒステリックな感情で動くのは世の常だとしても、思考停止が伴うとまるでタチの悪い布教活動のようだ。

ただひたすら、僕らのやることは変わらない。

原料やエネルギーは何で、
どこで採れていて、
どのくらい使っていて、
誰がどんな環境で作って、
どう運ばれて来て、
誰にいつ届き、
その後の廃棄を含めてどう活かされるか。

そのステークホルダーやコストはどれだけあるのかを可視化し、できる限りネガティブなインパクトを起こさないように、できる限り持続できるような工夫を続けること。ビジネスだろうが生活だろうが同じ。

それが「営み」だよね。何でも考えることなく手に入り、来歴やコスト構造を見なくなったこの数十年がオカシイだけでさ。

つまり、トレーサビリティも、商品ストーリーも、オーガニックも、働き方改革も、ヘルスケアも、社会保障政策も、SDGsも、コロナ自粛すらも。言葉や分野は違っても結局同じことを言っている。

「有限な資源を早いペースで使い潰すと、中長期的にはリスクやコストが上がるよ。」
「資源を得る・使うだけじゃなく、増やしながら、切り替えながらも考えようね。」
「短期的な経済効果ばかりではなく、先のことも考えて備えようね。」
「ちゃんと自分で把握して、プランBやCくらいは持っておこうね。」
ってだけの話だよね?

日本語にはこれを一言で表した、『備えあれば憂いなし』っていうスバラシイ格言があってさ。自然災害が多かった日本らしい考え方だ。

にもかかわらず、普段の我々は、モノもサービスも雇用も安全も誰かが保証(保障)してくれることに甘え、備えもしない怠惰な生き方をしている。そのくせ「危機が来たぞ!」「誰のせいだ!あいつだ、責任取れ!」みたいな話にはやたらと敏感、というウザさ。「日本人自身が日本の社会を好きになれない」のは、この矛盾が根底にある気がする。

備えあれば、憂いなし。

自分のことをちゃんと把握しろ、あらゆる環境変化に備えて色々やっておけ、そうすりゃ誰かの言葉に踊らされてビクビク憂うことないだろ、って先人の教え。

貯金しろ(キャッシュ持っておけ)、生活コストは下げておけ、スキルや実績増やしとけ、信用積んどけ、水や米やトイペはローリングストックにしとけ、複数言語を喋れるようになっとけ、仕事や生活拠点は複数持っておけ、みたいな諸先輩方からの有り難いアドバイスも(昔はうるせーなぁとも思っていたが)、実は同じことを言っている。

備えろと言われてもカンペキなんかない。準備している間に何かがおきてしまったなら仕方ない。コロナだろうが、天変地異にまで備えられないから。受け入れ、乗り越え、また備えられるようになれば良いじゃないか。そんな余裕も、やるだけやってるんだから仕方ない、という気持ちから生まれるものだ。

そんなことをSDGsバッヂつけてるだけ、自粛と言われたから籠もっているだけの思考停止で心に余裕のない皆様にお伝えして、僕は連休に入ろうと思う。来週に備えてやることがあるから余裕がないのだ(つまり残業w)。

それでは皆様、良い週末を。

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