見出し画像

ダブルデート

 当日は、天気予報を裏切って雨が降っていた。窓と屋根に降り注ぐ雨の音で私は目覚めて、ベッドの上で身体を起こした。一瞬、寝過ごして夜になってしまったかと思うほど部屋は暗かった。テレビをつけて、朝の八時半であることを確認する。台所で水を飲み、煙草に火を点けてから、陽子に電話をかけた。受話器を耳に押し当てたまま、カーテンを開けて、水滴でつぶつぶになった窓ガラス越しに外を眺めた。薄暗い雨の朝を、傘が並んで眼下の路地を進んでいくのが見えた。水滴がつーっと目の前のガラスを走って外の世界を歪める。
 平成十年の九月の始めで、私達は遊園地に行く予定を立てていた。私は中止の可能性について陽子に相談したが、彼女は朝にしては珍しく澱みのない声で決行を宣言した。一ヶ月も前から陽子はこの日のデートのことで、なんだかんだと盛り上がっていたので、私はできれば中止にしてしまいたい自分の気持ちを押せず、彼女の明るい声に心が折れて、遊園地はともかく、四人が集まることには電話口で頷いてしまった。それでも他に予定がある訳でもなかったし、結果的に陽子のことを思い出す時、何度も反芻する日にもなった。
 四人が大学の中央校舎前に揃ったのは九時過ぎだった。私が着いた時には陽子はだぶだぶのジーンズに、胸元が大きく開いて身体にフィットする半そでのティーシャツを着て、マルボロの煙を雨空に吐き出していた。隣りには赤い傘をさして、黒いワンピースを着た女が立っていた。
「アキちゃん」と陽子が私に紹介した。「雨の似あう女でしょ。清純派だから田中の好みじゃない?」
「はじめまして」と私は言った。
「どうも」とアキは言って、頭を下げた。「清純派」というよりは化粧の薄さと伸ばし放題にした長い黒髪が牧歌的な雰囲気をかもし出すという印象だった。
 二人は酒屋のアルバイト仲間だった。五分ほど酒屋の店長の鼻毛が飛び出ているとか笑い話をしている途中で、四人目が加わった。
「いやーどうも、どうも」と高橋は五メートルくらい離れたところから頭を何度も下げながらやってきた。金髪の頭頂部を逆立てて、前髪だけをおろして、軍服調の半そでシャツにブラックジーンズという格好だった。
「今日のダブルデートのために金髪にした高橋君です」と私は言った。
「それをいう?」と高橋は言った。
「こんな男前とどこで知り合ったの?」陽子は透明傘を両手で握り、その肘で胸の谷間を更に寄せて、アルカイックスマイルを顔に浮かべ始めていた。不自然な体勢が彼女の心持ちを表現しているようで私の方がなぜか恥かしくなって、頬が熱くなった。
「映画館のバイトで知り合ったんだよ」と私は言った。
「男前すぎたかな?」と高橋は言って、自ら率先して馬鹿笑いをした。私達はその後を追った。アキは控えめにうつむいていたので、母親に借りてきたような黒いワンピースが喪服に見えた。
 改めて簡単な自己紹介を交わして、お互いの洋服をしばらく褒めあった。
「とりあえず、どうする?」と高橋が言った。
「エキスポいこうよ」と陽子が言った。
「雨だよ」と私は言った。
「じゃあどうするのよ?」と陽子が言った。
「でも」とアキが口を開いた。彼女はそこから間を置いて言い淀むので、私は相槌を大きく入れて励ました。
「でも、雨の日の遊園地ってこわくないですか。ジェットコースター脱線したりしそうで」
陽子がアキのお尻を叩いた。「そんなことあるわけないでしょ」
「ちゃんと点検とかしてるから、脱線はないでしょ」と高橋が言った。
「そうですよね」とアキは言った。「なんかジェットコースターの車輪が雨で滑って、脱線して落ちるところを急に想像しちゃって」
「心配性なんだから」と陽子が言った。「エキスポに限って、それはないよー」
 脱線の話をしたせいなのか、雰囲気が急に変化した。申し合わせたように遊園地に行く話はそこで終わった。
「とりあえず、田中の家いこーよ」と陽子が言った。
「いいね」と高橋が言った。
 私と高橋が並んで先に歩いて、後ろに陽子とアキが続いた。アスファルトの水を車が跳ね上げながら通り過ぎていくのを何台かやりすごして、赤信号の横断歩道を渡った後、高橋が声をひそめて言った。
「おっぱいねーちゃんってどっち?」
「見ればわかるでしょ」と私は言った。
「どっちもでかいだろ」
 私は振り返って、アキの胸を見た。喪服の下で別の生き物のように横に揺れているのが見えた。
「ほんとだ」と私は言った。「煙草を吸ってるほうが、おっぱいねーちゃん」
「今日は盛り上がるなー」と高橋は言った。
 民家の脇を通り、水滴をのせて瑞々しい雑草と泥を踏みしめながら私達は歩いた。雨が強くなり、スニーカーに水が染み込んで気持ち悪かった。
 アパートに着くと、私達は靴下を脱いでテーブルを囲んだ。万博公園に行って、太陽の塔を見るか、水族館で魚を見るという案が出たが、高橋が「魚くいてー」とか言ってから食べ物の話に変化して、陽子がインドカレーを好きだという話がしばらく続いた。
「インドでは、右手でカレーで左手で尻を拭くんだっけ?」と高橋が言った。
「どっちだったかな」と陽子が言った。
「でも」とアキが控えめに言った。「カレーって下痢みたいですよね」
 私達は顔を見合わせて静まり返り、それから大声で笑った。
「アキちゃんて、思ったことそのまま言うタイプ?」と高橋。
「天然なのよ。可愛いでしょ」と陽子。
「カレーと下痢が似てるのってなんか不思議だなって、ずっと思ってて」とアキ。
「もういいから!」と高橋はお笑い芸人のように大げさに言ってみせながら、さりげなくアキの太ももを優しく叩いていた。
「インドって核保有国よね?」と陽子は言った。「核ミサイルのボタンはどっちの手で押すのかな」
「どっちでもいいから!」と高橋は言って、陽子ではなく、再びアキの太ももを叩いていた。私はそれを一つの合図と取るべきかどうか少し考えた。
 机の下に置いていたジャックダニエルの瓶を陽子が掴んで、あぐらをかいている股の間に挟んだ。
「ねえ、飲もうよ」と陽子は言った。
「まだ十時前だけど」と私は言った。
「いいねー。魚かなんか焼こうよ。カレーは今日は無理だけどね。はっはっはっ。俺らビールでも買ってくるし、美女達は待っててよ」と高橋は言った。
「これなら雨のエキスポランドのほうが良かったな」と私は言った。
「脱線したら困るだろ。とりあえず飲もう」と高橋は言った。
 ビールの六缶パックを二つとパック入りの日本酒を一リットルと、チーズクラッカーとポテトチップスをコンビニで買った。アパートに戻ると冷凍していた鮭を陽子とアキで焼いていた。ピーマンとウインナーをフライパンで炒めて、そこにインスタントのやきそば麺と水を入れてフタをして蒸らし、粉ソースと混ぜ合わせる。卵を五個使い、「ほんだし」を入れて、卵焼きを作る。納豆に梅干しを入れて混ぜ合わせて小鉢に入れる。二人は慣れた手つきで私の食材を惜しみなく使っていった。
 焼き鮭、卵焼き、納豆、やきそばがテーブルに並んだ。缶ビールを四つ置いたところで、アキが言った。
「すみません。わたし飲めないんです」
「うそー」と陽子が言った。「そうだったっけ?」
「酒屋で働いているのに?」と私は言った。
「謝らなくていいよ」と高橋は言った。「飲めないのは仕方ないや」
「そうじゃないんです。わたし、まだ十九歳だから」
「あっそう」と私は言った。「まだ未成年なんだ。みんな二十歳だと思ってた」
「じゃあ初体験する?」と高橋は言って笑った。
 四角いテーブルを囲み、アキの返答を待った。少し沈黙が長かったので私は煙草に火を点けた。
「初めてじゃないんです。家ではパパと一緒にお酒飲むのは許されているんです。内緒なんですけど」
「あ、いける口なのね?」と高橋は言った。「誰に見られるわけでもないし、俺ら四人以外にはアキちゃんが今日お酒を飲んだことは分からない。公共の場だとまずいけど、ここなら誰が聞いてるわけでもないし大丈夫だよ。四人の秘密にしよう」
「そうですね」
 缶ビールで乾杯した。午前中に飲むビールは妙に美味かった。ビールはすぐに無くなって、私達は日本酒にとりかかった。鮭の皮が美味いか不味いかとか、納豆の糸が引いてアキのワンピースについたとかで、私達は大笑いをした。一瞬沈黙したことが可笑しくて笑い、何も可笑しくなくても笑った。同時代のアメリカとイギリスのロックを大きな音でBGMにしていたが、笑い声は負けずに六畳一間に反響して、もっと人数がいるかのようにさえ感じた。
 日本酒を飲み干し、ジャックダニエルを開けて、テーブルの上にポテトチップスやクラッカーを並べた。昼前になっていたが、雨は降り続いていて外は暗かった。
「おっぱい大きいね」と高橋が言った。
「えー」と陽子は言って、口の端を大きく持ち上げたが、高橋はアキの方を向いていた。
 高橋はすぐに陽子のほうを向いて、「二人とも、ナイスバディ」と言った。「でも、それくらい大きいと乳輪も大きそう。はっはっはっ」
「小さいよ!」と陽子は言った。「マジで小さいよ」
「いやーほんとかな。シングルCDくらいあったりして」と高橋は言って、チーズをかじり、ウィスキーをちびっと飲んだ。
「マジで小さいし!見たことないくせに」と陽子は言った。
「僕も小さいよ」
「田中もあたしの乳輪大きいと思ってるの?」
「考えたこともないよ」と私は言った。
アキは頬を赤らめていたが、アルコールのせいにも見えた。
「あたまにきた」と陽子は言った。
「じゃあ、ほんとに小さいなら見せてよ」と高橋は言った。「ほんとは大きいから見せたくないんだろー」
 陽子は素早くティーシャツを両手でまくりあげ、端を顎で挟んだ。黒い下着が現れる。彼女は右手を下着の中に滑り込ませ、左胸をわしづかみにして取りだし、下着の上に乗せて固定した。私達は彼女の胸に視線を集めた。鳥肌が立っていた。沈黙の中、なおも私達が凝視していると乳首も立った。陽子の胸に特別な興味を抱いていなかったが、わざわざ出て来たものを見ないのも失礼な気がしたし、胸や乳輪の大小に関わらず、女の身体を見るのが好きじゃないとはいえない。
「マジで小さい!」と高橋は言った。「しかも乳首の色も綺麗だし、まさしく美乳。正直いって、色は黒いと思っていたし、そこまでの巨乳でありながらその乳輪の小ささは想像できなかった。これ、女神だわ」
「言ったでしょ?」と陽子は言った。
 陽子は快感をかみしめるかのように口を一文字に結ぶ。いくらか間をおいてティーシャツの端を挟んでいる顎を私に向けた。無言で感想を求めているようだった。私は陽子の胸に劣らない豊満な腹肉を見ながら考えた。言葉が無力と化すほどの肉体美、と私は言った。
「なんかなー」と陽子は言った。不満気な声だった。
 陽子はそのままの姿勢で十分くらい肉体を披露し続けた。高橋はあらゆる言葉で賞賛して、陽子の胸が飛び出ている時間を延長しようとしているようだった。「今世紀最大の美乳」とか「おっぱいモデルもびっくりの美しさ」「世界に誇る、メイドインジャパン」とかそういう言葉だった。陽子は笑顔で頷いていて、時々口を開いた拍子にティーシャツが顎からするりと落ちて胸が隠れてしまう。高橋はティーシャツをまくりあげて彼女の顎に挟むのを手伝う。ありがとう、と彼女は言う。
 はっとして、私は陽子の胸からアキに視線を移した。アキはうつむいて、顔が真っ赤になっていた。ストレートのジャックダニエルが入ったグラスを口元に持っていく手が不自然に震えている。私は酔いの中で思考を働かせる。アキは次には自分の胸を見せるように言われるのではないか、と慄いているか、何か身体にコンプレックスがあってテンションが下がっているかもしれないと私は考える。普通の女の子からしたら、ちょっとおぞましい光景なのではないか。もし、高橋や陽子がアキの胸も見せるようにと催促したら、彼女の味方になって守ってやろうとひとりで熱くなる。うつむいている女の子を見ると、その頃の私はいつでもそうだった。
 陽子の胸がティーシャツの下に収まり、少しの沈黙ができた時にアキが口を開いた。
「あの」とアキは言った。
「何も言わなくてもいいよ」と私は言った。酔いで舌がうまく回らなかったので不自然に声が響いた。
「あの」とアキは言った。「わたしだって小さいです!」
「はあ?」
 アキは黒のワンピースのボタンを首元から順番に外していって、白い肌を露わにした。子供っぽい水玉の下着を取り、背中を反り返らせて、両方の胸を惜しげもなく突き出す。腰は細く引き締まっていた。天使のように白く細い体と大豆を思わせる乳首のコントラスト。
「すげー、綺麗。アキちゃん酔うと大胆でいいね」と高橋は言って、唾を飲み込んでいた。
 陽子が突然立ち上がり、トイレに向かって大きな足音を立てていく。フローリングに粘着した足裏がはがれる時にねちゃという音が鳴って、妙に響いた。
「ちょっと待ってよ」と高橋は陽子の後を追う。
トイレのドアを開けた陽子の右手を高橋はつかむ。「もう一回、もう一回だけ」
 二人はトイレに入っていく。ドアは開け放たれたまま、沈黙が続いた。それから、指についたケチャップか何かをしゃぶる時のような音がユニットバスに反響しているのが聞こえた。吐息が聞こえて止み、雨の音がやけに耳に飛び込んでくる。笑い声と供に二人はトイレから出てきて、陽子は上半身裸で玄関に逃げる。アキは静かに、私をじっと見ている。何か言葉を待っているようだった。「綺麗だよ」と私は言った。高橋の手が陽子のごつくて広い背中に伸びる。後ろから抱きかかえて、両腕を動かしている。馬鹿笑い。陽子はドアを開け放して、玄関前の通路の手すりに背中をくっつけて、挑戦的な視線で高橋を見ている。陽子の背後には電線が続き、斜めに雨が降って、黒い雲が空を覆っている。雨の匂いが部屋に入り込む。高橋は赤子のように陽子の胸に顔を押し付けている。陽子の顔に脱力が走り、口が半開きになる。すぐに陽子は目を開けて、高橋をこちらに向かって両手で突き倒す。「いてー」と高橋は言って、濡れた靴の上に転がる。陽子はドアを閉めて、高橋の頭の上をまたぐ。「わたしって魅力ないですか?」とアキの声が私の耳元で聞こえる。どこを見たらいいのか私は分からなくなる。「そんなことないよ」と私は言って、彼女の胸を見た。皿が割れる音がした。「どうせ一枚割れるなら、全部割れてしまえばいい!」陽子は食器棚の皿を次々に掴んで、玄関に投げつけている。「やめろって、やめろって。だはははっ」高橋が陽子の腰に手をまわして、尻に股間をキツツキのように打ちつけている。「だめだって、あとで田中に怒られるぞ。だはは」
 陽子が電気を消した。雨の午後の暗さが部屋を満たした。「テーブル移動させよう」高橋がテーブルを台所に持っていく途中で、グラスが滑り落ちて、ウィスキーがフローリングにしたたり、ポテトチップスが屑ゴミのように散らばる。押入れから陽子が敷布団を出して引いて、寝転がる。「酔いましたね」アキが私の肩に頭を乗せた。長い黒髪が私の腕をさらさらと擦った。誰もが酔っていた。陽子がジーンズを脱いで、黒い下着だけになる。高橋が陽子の肉体にダイブして、陽子の手が高橋のベルトを外そうと、もがき始める。陽子の乳房の上を、高橋の手が餅をこねるように動き回る。「最高、マジでサイコー」長い黒髪で顔を隠して、白い胸をむき出しにしたアキが私のジーンズのボタンを外している。
「最高なんかじゃないわよ!」陽子が急に半身起き上がり、高橋の頬を平手打ちした。すごい音だった。「いってーよ。はっはっは」「うちのおばーちゃんの胸はね、腰まで垂れているのよ。どうせ垂れてしまうのよ。わたしの胸もあっという間に垂れるのよ!馬鹿」
 陽子は高橋の耳を引っ張って、どっと泣いた。「あんたに何がわかるの。そうなったらわたしは死ぬのよ。不細工に生まれて、わたしにはこのおっぱいしかないんだから!」大声で陽子は泣いた。「大丈夫、大丈夫。人間、顔じゃないよ。胸だよ」と高橋は言って陽子の頭を撫でる。彼女はその手をきつく握り締めて、胸に押し付ける。高橋の手が狂ったように乳房を揉み、乳首を指で転がし、乳房を揉む。泣き叫ぶ声。汗の匂いが漂い始める。私は自分の下半身が丸出しになっているのを見下ろす。白い手が私の股間を擦り、温かい水がぽとりぽとりと太ももに落ちる。アキも泣いていた。嗚咽して力の入った手が、私の股間を握り締めて、痛かった。
「わたしって魅力ないですか」
「そんなことないよ」
 高校の時から付き合っている彼氏が、三年経ってセックスをしてくれなくなったとアキは泣き叫んだ。
「付き合い始めの頃は、一日に五回したこともあったんです。本当です!」
「わかってるよ」
「わかるはずないです!」とアキは言って、激しく手を動かした。「わたしなんて抱きたくないんですね」
「いや、そういうことじゃなくて。ほら硬くはなってるでしょ」
「女に恥を欠かせないでください」
 かちゃり、とドアが開く音がした。玄関に、黒髪を豊かに分けた細身の男が立っていた。黒色の半そでシャツに、黒いパンツ。冷静で鋭い両目が、四人を順番に眺めた。
「ダイスケ」と私は言った。
「なんだこれ?」とダイスケは言って微笑んだ。
「ダブルデートの途中なんだ」私の股間が急速に萎えていく。アキが無理やりに擦って、何とかしようとしている。陽子と高橋が舌をからめて唇を吸いあっている音がやけに大きく聞こえた。
「ダブルデート?」とダイスケは言った。「あのさ、ヘミングウェイの短篇、何か持ってる?」
「全部持ってるよ」と私は言った。
ダイスケは靴を脱ごうとして、目の前の割れた皿の山を見て、足を引っ込めた。
「後でまた取りにくるよ」とダイスケは言った。
 
 夕方に眠るまで、女達の声が続いた。夜の十時過ぎに私達は解散した。
「今日のことは、四人の秘密だよ」と高橋は言った。「アキちゃんがお酒を飲んだことはね。指きりげんまん」
「違うわよ」と陽子は言った。「結局、高橋君の乳輪が一番大きくて、黒くて、毛も生えていたということが四人の秘密よ」
「指きりげんまん」とアキが言った。
 ひとりになると、私は玄関に散らばった皿の欠片を集めた。百円ショップで買った白い皿に混じって、大事にしていた備前焼が粉々になっていた。荒れ果てた部屋の床に腰掛けて、煙草を吸い、フローリングの上からポテトチップスをつまんで食べた。ジャックダニエルを瓶から一口飲む。布団の上に銀色に光るジッポライターを発見して、拾い上げる。ポールスミスとアルファベットで刻印してあるシルバージッポ。陽子のやつだった。それを机の奥に入れて、鍵を閉めた。
 数日後、お気に入りのジッポがないと陽子は騒いでいたが、私は知らないふりをした。意地悪だったが、おあいこだったし、その意地悪のおかげで彼女の形見が私の手元に残り、時々眺め回してはこうして今でも彼女のことを思い出す。


つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?