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「個室に入ってこないでください!!」(エッセイ)

いつものように、店のトイレに駆け込んだ。
そこは中規模の商業施設で、フロアごとにトイレが入っていた。腹を押さえた僕は、目の端っこで、見慣れぬものを捉えた。
それは、トイレの入り口に設けられた、「各階の個室の空き状況」のモニターだ。ぴかぴかの画面には、それぞれのトイレの個室の占有状況が表示されている。例えば、僕がまさに入ろうとしている目の前のトイレは「1/2」と書かれている。つまり個室がまだひとつ、空いているのだ。

些細なことでお腹を壊す僕のような人間にとって、都会のトイレが空いているかどうかは、文字通り死活的な問題だ。だからこそ、この技術が素晴らしいように感じられた(トイレを使うまでは!)。

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問題は、この仕組みが個室にも導入されているということだ。
ウォシュレットの操作ボタンと同じ高さのところに、これまた、回転寿司の注文パネルのような、きれいなタブレットが取り付けられていた。そこには先ほど入り口で見たサービスの説明が、コマーシャル動画のような形で流れていた。そこまでは予想通りだった。

だが、しばらく座っていると、画面の色が変わっていることに気が付く。
はじめは緑色をしていた画面が、今はピンク色になっている。画面には、「満室になりました 残り個室 0/2」の白い文字がある。なんとなく、急かされているような気分になってくる。トイレに入るまでは便利で素晴らしく見えていた仕組みが、ここになって、急に不穏な感じになってくる。
それだけならまだ良かったかもしれない。けれど、よく画面を見てみると、下の方に、「自主的な退室を促して、トイレ内の密を防ぐ」という趣旨の内容が書かれていた。僕はこの一文を読んだとき、個室が、もうかつての個室でなくなったような気がした。言い換えると、この仕組みは、トイレの利用者を早く追い出そうとしていると思ったのだ。

もちろん、個室に何時間も居座られては困る。お店がそれを迷惑に思うことは承知できるし、僕だって店員だったらそう思う。だが、これまで個室の利用方法については、利用者の良心に任せられていたように思える。例えばノックをしたり、されたり、人の気配を感じたり。「弁当を食べないでください」と言うような張り紙こそあれど、本質的に個室の中の世界(!)にルールを押し付けるようなことはなかった。

けれど、このモニタリングの技術を通じて、個室の中は、いわば施設の管理下になりつつあった。つまり、便座に座る人間の目線の脇のディスプレイで、利用者は絶えず「早く外に出ること」を求められる。僕はこの技術が、トイレの個室というプライベート空間のあり方を大きく変えたように感じた。トイレを使わせていただいているのはこちらといえ、個室のモニタリングはやはり、プライバシーを侵犯されたように思えたのだ。

くだらないと思うかもしれないから、あえて悪い方に予想をしてみる。
たとえば個室のディスプレイにカメラを取り付けたらどうだろう。利用者が、「トイレの個室に相応しい行動」を取っていないしと、アラームが鳴る。もしくは便座に感熱装置を取り付けておいて、座っている時間が長すぎると、警告が出る。もちろんこれは誇張したけれど、つまるところこのディスプレイは、そういう店側のスタンスや思惑の表現ではないだろうか。むつかしい話をするつもりはないけれど、これはまるで「パノプティコン」みたいだ。トイレの個室が、監視されているような…。

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さておき、たぶんこのトイレも、DX(デジタル・トランスフォーメーション)の一環なのだと思う。モノをデジタルに接続してデータを取り、改善に使うという考え方だ。それは確かに、たとえばトイレの「密を避ける」ことには寄与するだろうし、公衆衛生の面などからも利点はあるだろう。
だけど、僕はどうも疑問だ。なんでもデジタルに繋げることには、きっと負の側面があるだろう。例えばだけれど、自分の服が、スプーンが、箸が、マスクが、カバンが、イヤホンが、すべて僕の生活をモニタリングして、より健康なライフスタイルを提案してくれるとしたら?僕は嬉しいというよりは面倒になって、生きるのを辞めたくなるだろう。
だから、何事も程度が重要なのだと思う。特に技術を売って生活している人にとっては、倫理(というか、利用者の「しちめんどうくさい」価値観)は、ある意味でビジネスの邪魔になるのだと思う。だからこそ、僕は変だぞと思ったら、こうして文章にするべきだと考えた。

個室を出た僕は、手を洗いながらそんなことをつらつらと考えていた。
幸いなことに、店はまだ「手洗い器の占有状況」をモニタリングしてはいなかった。僕の隣では、店員さんが暇そうに歯を磨いていたから。


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