見出し画像

いいから早く寝てくれ 【ドラマ劇】


【登場人物】
・男
・子ども
・女
・老人
・後ろの席の観客
・看守
・囚人
・女性
・男1
・男2
・男3
・警備員
・コンビニ店員

***
第一幕

東京。どこかのアパートの一室。ひとりの男が、茶色い革張りのソファーに座って、窓の外を眺めている。
子ども(男性)がトイレのために、居間を横切る。
 
子ども:まだ起きているの?
 
男:眠れないんだ。珍しく、Lサイズのアイスコーヒーを飲んじまったから。
 
子ども:寝れないって、僕にはよくわからない。僕の眠さを分けてあげたいくらいだよ。
 
男:確かに俺も、子どものころは、いつもすぐ寝てたな。
 
子ども:(あくびをして)でもさ、寝れない夜があるほうが、大人っぽくて格好いいよね。
 
男:俺もそう思ってたんだけどね。
 
子ども:違うの?
 
男:お前さんが思ってるのとは、ちょっと違うよ。なんというか、それは思ったより子供っぽいんだ。お前さんが駄々をこねるのと、バーで好きでもないおしゃれな酒をチビチビとやるのは、似てるところがいっぱいあるんだ。よく見るとね。
 
子ども:じゃあ、大人になるのって、つまんないんだね。
 
男:いや、そうだな…。そう悪いことばかりじゃない気もするんだよな、これが。
 
子ども:例えば?
 
男:こっち来て、座ってみなよ。眠いだろうが、すぐ済むからさ。
 
子どもが毛布を引きずってきて、ソファに座る。男は照明のツマミを回し、部屋が暗くなる。
 
男:何が見える?
 
子ども:何も見えないよ。外は暗いだけじゃないか。
 
男:俺にはね、アパートの壁に落ちている光とか、風に揺れる神社の林とか。その隙間からちらちら光るビルの赤いライトが見える。
 
子ども:そりゃそうさ。僕も見えるよ、そのくらい。
 
男:でもさ、それって、あえて言おうとしなかっただろ?
 
子ども:うん。それは当たり前だからね。
 
男:大人になるとね、そういう一個一個に、感動することができるんだ。どれもが言葉にできないものを持っていて、どれもが、何かを俺に伝えたがっているって。
 
子ども:じゃあ、あのビルの灯りは何て言いたいの。
 
男:実はね、それはわかんないんだ。そういう言葉を、俺は知らない。だけど分かるんだ。言っていることは分かる。
 
子ども:なんでも言えちゃうじゃないか、それだったら。
 
男:まあさ、お前さんにはまだ早いんだよ。俺くらいの年になったら、分かると思うんだけれど…。まあ急ぐことはないさ。
 
子ども:もちろん。僕は今が一番楽しいんだ。まだ大人になんてなれない。
 
男、電気のツマミを付ける。テーブルのグラスに入った水を飲む。子供もそれを飲む。
 
男:悪かったな。やっと寝れるぜ。
 
子ども:おやすみ。じゃあね。
 
子ども、毛布を引きずって、部屋から消えていく。
 
男、ビルの灯りを眺める。スピーカーから、ジャズが薄く流れる。
 

***
第二幕

深夜、東京の路上。
雨が降っていて、時おり、通行人の傘が通り過ぎる。
男は青いレインコートに黒い傘を持って、散歩をしている。
道端にポルノ映画専門の映画館がある。汚れた看板。
チケット売り場に50代くらいの女がいて、暇そうにタバコを吸っている。
 
女:1200円だよ。
 
男:まだ買うって言ってないよ。
 
女:そんなら、なんで突っ立ってるのさ。ついさっき月曜日が始まったばっかしだよ、まったく。
 
男:幾らって言った?今。
 
女:1000と200円さ。
 
男:この前まで1000円だったよな。ほら。
 
看板の「1000円」の百の位が、ガムテープで「2」に直されている。
 
女:当たり前さ。円安なのよ。
 
男:洋モノなんか、ひとつも流してないクセに。
 
女:今どき映画館にポルノを見に来るのは、枯れた爺さんか、昭和レトロが好きなぴちぴちの若い子だけ。200円増えたって、だれも文句言わないのさ。
 
男:今夜はどんくらい客が入ってるんだい?
 
女:5人。どれも精神が先にあっちにいっちゃったみたいな、吸い殻みたいなオヤジだけだったね。
 
男:なんでわざわざ、映画館で見るんだろうね。VRのほうが良くないか?
 
女:あたしは知らないよ。うちではマーケット・リサーチはしないのよ。
 
男:俺が代わりにしてこようか。
 
女:なんなら、スクリーンの裏、入れるよ。
 
男:嘘だろ。俺もあんたも、とんだ暇人だな。
 
女:わかりきったことを言うんじゃないよ。
 
男、チケットを持たずに、映画館に入る。
湿っぽい廊下を抜けて、「STAF ONLY」と書かれたドアを開ける。
女はタバコをもみ消す。紫の口紅がついている。

***
第三幕

暗い映画館。
男はスクリーンの上手に置いてあった椅子を持ってきて、スクリーンの真裏、中央に座る。
スクリーン越しに、客席に壮年の男性がまばらに座っているのが見える。
映画には男の囚人と、女の看守が出てくる。濡れ場の前のようだった。

【スクリーンの中】
看守:夜食、持ってきたわよ。
 
囚人:すまんね。あれ、これは山形県産のぜんまいかい?
 
看守:知らない。献立表には、『炊き込みごはん』って書いてあったけど。
 
囚人:そう、まあいっか。そういえば、厨房はどんな感じなの?冷蔵庫は広い?
 
看守:そうね、二人で入るのにちょうどいいくらいかしら。
 
囚人:キャア!体がむずかゆくなるようなコト、言わんでくれよ。あたしの刑期が済むまでは。
 
看守:あと3週間よね。そしたらお祝いをしましょうね。不二家のホールケーキを買って。
 
囚人:そりゃ景気がいいや。

右前に座っていた老人が急に立ち上がって、静止した。
 
後ろの観客:あんた、見えないからどいてくれ。
 
男:(スクリーン裏で、独り言)いや。何を見るってんだよ。
 
老人:これは実話だ。
 
後ろの観客:わかったからどいてくれよ。
 
老人:俺がモデルなんだよ。
 
後ろの観客:わかった、わかった。おっさんがモデルだ。それでいい。だからどいてくれ。
 
男、映画の続きを見る。

【スクリーンの中】
囚人:国に帰って、畑をやろうね。
 
看守:いいわよ。さっそく、跡継ぎをつくりましょう。
 
囚人:バカ…誰かが来るでしょ。
 
看守:大丈夫。宿直はあたしだけだから。

老人は座った。
 
老人:やっぱりフィクションだ。あんなじゃない。
 
後ろの観客:わかった、分かった。座ればそれでいいんだ。
 
男:(スクリーン裏で、独り言)これではマーケット・リサーチにならん。外れ値だらけだ。
 
男は退出する。女はスマホで、カップルYoutuberが破局を報告する動画を見ていた。
 
女:あんたも早漏ね。
 
男:こんな場所でするかよ。
 
女:で、何が見えたの。
 
男:子どもたちが見えたよ。おままごとをしている子どもたちがね。
 
女:予想通りね。
 
男:まったくだ。
 
男、傘を広げて歩き出す。
 

***
第四幕

 男、自宅とは別のアパートに立ち寄る。
ノックすると、女性の声。
 
女性:こんな夜中に誰?
 
男:俺だよ。
 
女性:ちょっと待っててくれる?
 
ドアが開いて、男1が出てくる。男といちど目を合わせるが、そのまま去っていく。
 
女性:入っていいよ。
 
男:誰だい、彼は?
 
女:彼もあんたに同じこと言ってたわ。
 
男:俺はいっぱいいるんだね。
 
女:そうみたいね。
 
男、傘を畳んでレインコートを脱ぐ。
 
男:雨がひどいよ。ずぶ濡れだ。
 
女:シャワーでも浴びたら。
 
男:何か食い物があれば、貰ってもいいかな。
 
女:まるでバッタかイナゴみたいね。夜盗よ。
 
男:与党は夫婦別姓を認めない。
 
女:だからあたしたちは、事実婚を選んだ。
 
男:その通り。
 
男、シャワーを浴びに行く。女はキッチンで料理をしている。
別の男性が、奥の部屋から出てくる。
 
男2:誰だい、彼は?
 
女:あんたも彼と同じこと言ってる。
 
男2:気の毒だな、お前も。男の宿り木みたいじゃないか。
 
女:それもこれも政治のせいよ。
 
男2:政権交代すれば、お前は宿り木じゃなくなるのかい。
 
女:それはそれで寂しいわね。
 
男2:もう一人の俺によろしく。
 
男2、玄関から出ていく。男の傘とレインコートを持っていく。
女、サラダとワイン、煮物を並べる。男が戻ってくる。
 
男:話し声がした気がした。
 
女:寝不足じゃない?
 
男:かもね。
 
二人はテーブルについて、食事を始める。テレビが無音のニュースを流す。
 
男:最近読んでる本、ある?
 
女:ううん。本なんて、読まない。嘘くさくって。
 
男:どうしてさ、また。
 
女:作家の欲望の吹き溜まりなのよ。
 
男:ずいぶん思い切った物言いだ。
 
女:それって、男にとっての女と一緒よ。
 
男:わからないな。
 
女:わからなくていいわ。わかるはず、ないもの。
 
男:最近、君への愛を伝える方法が見つからないんだ。
 
女:その程度の愛だったってことよ。
 
男:さすがに凹むよ。
 
女:あなたを責めてるんじゃないの。ただ、そういう大人のなりたちが許せないの。
 
男:それは政治のせい?
 
女:そのくだらない冗談、聞き飽きたわ。
 
男:流行ってんのかな。
 
二人は黙って食事をとる。テレビではウクライナの戦争、ガザの戦争が流れている。
 
女:こうやって悩むのだって、贅沢なのかもしれないわ。
 
男:辛気臭くなるのはよせよ。
 
女:誰かが殺しあっても、私たちは夜食を食べないといけない。
 
男:飯の味がしなくなるね。
 
女:ねえ、許せないことを星座みたいに繋いで辿っていくと、最後に自分に行きつくのよ。
 
男:よくあることだよ、それって。だからせめて、俺たちは知らないふりをする。
 
食事を終え、二人は皿を洗う。ドアをノックする音。
 
女:(外に向かって)こんな夜中に誰?
 
外の声:俺だよ。
 
女:(外に向かって)ちょっと待っててくれる?
 
男:誰だい、彼は?
 
女:彼もこれから、あんたと同じこと言うわね。
 
男:もう行くわ。またな。
 
男、ドアを開ける。よく似た男が立っている。
 
男:傘を貸してくれないか。できればそのレインコートも。
 
男3:いいよ。俺は朝までここにいるつもりだから。
 
男:次に来たやつに借りるといいよ。
 
男3:そうならないことを祈ってる。
 
男:俺も祈るよ。彼女のためにだけど。
 
男3が部屋に入り、ドアが閉じる。男は階段を下る。 

***
第五幕

 駅前。深夜の長距離バスの待合室。がらんとしたガラス張りの明るい部屋に、男がぽつりと座っている。脇の椅子には缶のカフェラテが置いてある。
青い制服の警備員が、だるそうにドアを開ける。
 
警備員:早く帰って寝ろよ。
 
男:明日、早いんだ。寝たら起きられないよ。
 
警備員:もう今日だよ。
 
男:よくわかんないこと言うなよ。そんなの、誰が決めた?
 
警備員:知るかよ。昔の天才だろ。
 
警備員、帽子を外して、男のはす向かいに座る。タバコをふかす。
 
男:なかなか夜が明けてくれないんだ。
 
警備員:いいことだ。うるさい奴が少ない。
 
男:誰かにとってのいいことは、誰かにとっての地獄なんだ。
 
警備員:そりゃそうさ。ここには100パーセントの物事なんてない。
 
男:気の利いた一般化をするじゃないか。
 
警備員:受け売りだよ。昔の天才作家の。
 
男:落ち込むなよ、なんだって受け売りでできてるんだ。暦のようにね。イエスさんが死んで何年たとうが、お前さんには興味ないだろ。
 
警備員:まあな、歴史自体が受け売りさ。天才も、見かけよりはずっと少ない。
 
男:あんた、やけに天才にこだわってるね。
 
警備員:哲学の博士号を持ってるからかな。
 
男:どうしてここで、警備員をしてる?
 
警備員:スピノザを読んでもドゥルーズを読んでも、一ミリも世界が動かせなかったからさ。
 
男:警備員は世界を動かせるのかい?
 
警備員:仕事をサボって、コソ泥に金庫への道を譲ればね。
 
男:そりゃ100パーセントの悪だね。
 
警備員:哲学者よりはマシだよ。
 
男:哲学者は悪かい。
 
警備員:それは、問いとして間違っているね。哲学的には…
 
男:結構だ。こんな時間に頭を使っても、うまく働かないさ。
 
警備員:悪かったよ。ふざけただけさ。
 
男:仮眠室に戻れよ。あんたと話してると、しけたトイレの鏡を見てるような気分だ。
 
警備員:そりゃこっちのセリフだよ、兄貴。
 
男:見たところ、なかなか明けない夜が100パーセント悪い。Q.E.D.
 
警備員、笑ってタバコを床に投げ、去っていく。
 

***
第六幕

コンビニ。雨が上がり、雲が明るくなってきた。
ホットスナックを揚げている店員。目つきも手つきも真剣な様子。
男はスパークリングワインをレジに持っていく。
 
店員:兄さん、何者?
 
男:おもしろい身分確認の仕方だ。
 
店員:こんなよくわからない時間に、何してるのさ?
 
男:眠れないから、街の寝顔を眺めてるんだ。
 
店員:街と同じベッドに入るなんて、ドン・ファンみたいな性豪だね。
 
男:風車とは寝ないよ。
 
店員:あんたさ、がんばって寝たほうがいいよ。風車はドン・キホーテだよ。
 
男:おんなじさ。
 
店員、揚げたてのホットドックを紙に挟んで差し出す。
 
店員:これでも食いなよ。お代はいいから。ひでえ顔してるぜ。
 
男:せっかくだったらケチャップもくれないか。
 
店員:(笑いながら)あんた、バカみたいだよ。
 
男:真剣にバカをやるのが、大人ってもんさ。
 
店員:おれは大学生だからわかんないけど、そういうものなんだ。
 
男、ケチャップをホットドックにかける。指についたケチャップをなめる。
 
男:さっきさ、ガキの頃の俺が、寝室から歩いてきたんだ。
 
店員:そりゃすごい。
 
男:そんで俺に、こう言うわけ。「大人っていいことないよな」って。俺、まったく反論できなかったんだよ。それで探しに行ったわけ。もちろん、大人のいいものをね。
 
店員:何か見つかったの?
 
男:いまんとこ、お前さんのホットドックがぶっちぎりだよ。
 
店員:だから俺、大学生だから大人じゃないって。
 
男:たぶん年齢じゃないんだ。そいつが何を言って何をするか、そのはしばしに大人かどうかが隠れてんだよ。
 
店員:それは分かるな。親だって子どもっぽいことするもん。
 
男:だから大人になろうとすんじゃねえぞ、お前も。スーツ着たガキになるなよ。
 
店員:なんか親父に説教されてるみたいだ。俺とあんまり年齢変わらないでしょ、あんた?
 
男:年齢じゃないって、いま言ったろ。
 
店員:そうだったわ。
 
店内に、5時を知らせる音楽が流れる。
 
店員:そうだ、そろそろ店内の掃除をしないといけないんだ。朝刊も入れないと。
 
男:俺も帰るよ。日々の仕事に戻るんだ。
 
店員:マックス・ヴェーバーも同じことを勧めてたよ、自分の学生に。本で読んだ。
 
男:そいつも、寝れない夜に考えてたんだろうね。「大人とは何ぞや」って。
 
店員:それ自体が大人に見えるけど。
 
男:かもね。
 
男、帰路につく。朝日が雲の間から漏れてくる。

おわり

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?