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にぎりしめた手のひらには、言葉しかないから。 ──2018年11月

10月末から11月頭にかけて東京で記事5本分の取材をしてきたので、そこから少しずつ形にしていった11月。間違いなく今までで一番多くの原稿を執筆した1ヶ月。

インタビューは4本。テーマは(私の関心と結びついた結果)それぞれ「表現すること」「親子と自己肯定感」「自分を信じること」「ひとを愛すること」にしたので、時にはあえて自分を孤独に追い込んでひたすら問いに向き合い、泣いたり怒ったりしながら表現にぶつかっていた。修行のようだった。


そしてそれこそ毎日、表現に希望を見出し、自分の表現に絶望した。

「孤独とたたかうため」に、表現という手段を選んだはずだった。

でも、こんなにも世の中に言葉があふれていて、すでに素晴らしい表現がたくさんたくさん存在していて、そして目の前のひとが抱える孤独を前にしたとき私の言葉はあまりにも無力だ。

この原稿が、ここにつづった言葉が、ほんの少しでも、あなたの孤独をやわらげてくれるんだろうか。そんなことが私にできるんだろうか。


先月だって似たようなことを書き、似たようなことで逡巡している。この仕事と向き合うこと以上、「表現すること」からは逃れられないらしい。


幼い頃から母親に「あなたは挫折を知らない」と言われてきた。「恵まれてすぎている」と、何度もなんども言われてきた。言われすぎて若干コンプレックスだ。

でも実際、そうなんだろうと思う。

あらゆる点において、特にひととのつながりにおいてあまりにも恵まれてきていて、いまつながっているひとたちとの関係が私の人生にとっていちばん大切だし、いちばん失いたくない。いつも抱きしめていたい私の宝物だ。

フリーランスのひとと話すと独立したてで金銭的に不安定な頃にいろいろな“勧誘”のお声がけがあることは珍しくないそうなのだけれど、そんなこと一度もなかった。騙されたこともなければ裏切られたこともなく、立ち上がれないほど傷ついたこともない。自覚している限りにおいて、そう思っている。

あらゆる方面からたくさんのひとに手を差し伸べられ、ずっとずっと守られて生きてきた。きっと、空からも。



私が出会ってきた「書かずにはいられない」表現者気質のひとは、人生を賭けて切実に言葉を求めている。大げさでなく、言葉がなによりの救いであって、言葉をたぐり寄せなければ人生を歩んでこられなかったかもしれないひとたちだ。

一方で、私は「書かずにいられてしまう」ひとだ。

いまだに書くことが好きなのかよくわからないし、さらに「挫折を知らない」ときた。そこにいつも絶望する。ひとの痛みを、苦しみを、ちっとも知らないんじゃないか、ぜんぜん近づけていないんじゃないか。うわべだけわかったような顔をしているんじゃないかって。

そんな「書かなきゃ生きていけない」なんてこともなく「恵まれすぎている」私が、誰かの孤独とたたかうために言葉で表現することの意味なんて、どこにあるんだろうか。ただのエゴ、自己満足。


っていつも絶望して、それでもやっぱり「じゃあ言葉をとったら何が残るのか」って何も残らなくて。

いつだって私のちっさい手のひらにぎりぎり残されているのは、わずかばかりの言葉だけなのだ。笑っちゃうくらいに、他になんにもない。なんもできない。


だから、祈るしかない。私が自分の表現に命を込められますようにと。私の表現したものが、できれば誰かの隣にありますようにと。

表現に絶望しても、絶望したままじゃ何もはじまらないんだ。


「書いたほうがいい理由」と
「書かないほうがいい理由」の数をくらべたら、
「書かないほうがいい理由」のほうが圧倒的に多かった。

しかし、あるとき、ふと思った。
「書かないほうがいい理由」が
山ほどあるからこそ、書いたほうがいい、と。

そうでないと、ぼくらはことばを失うばかりである。
口をつぐんだほうがいい場面がどんどん増えていく。
真剣に考えたすえにことばを飲みこむ沈黙ではなく、
「無難な沈黙」「先送りする沈黙」だらけになってしまう。
誰の心も傷つけたくはないが、
誰かが傷つくかもしれないということを言い訳に
ぜんぶの表現や、そのもととなる気持ちを、
最初からなかったことにしてしまいたくはない。

それで、ようやく、ここまで書くことができた。
書きかけて、何度も書きかけてはやめた話を、
ようやく最後まで書くことができた。

まだ迷いながらではあるけれども、
こういうふうにして進んでいくしかない。

書きかけてやめた、福島のことを、もう一度。』 執筆:永田泰大 より抜粋


ほぼ日のコンテンツの中でも、いちばん忘れられない記事。

ここにつづられた言葉を何度も読んではどうしても毎回涙してしまうんだけれども、そのたびに何度も前を向くエネルギーをもらってきた。

たくさんたくさん葛藤された先に、こういう言葉が紡がれたこと。そしてその言葉を受け取った私が「やっぱり表現してみようかな」と思うこと。

それ自体が、表現することの希望を一筋照らしてくれる気がする。



幸いにして、というべきか、「表現すること」に関する祈祷文のようなものを全身で書き記したら12月のとある「表現」にまつわる場に呼んでいただけたので、しっかりと「表現」にぶつかってこようと思います。

「表現すること」を誰かの孤独とたたかうための武器にできるのか。打ちのめされるかもしれない。新たなる闘いのはじまり、はじまり。


さいごに。

この絶望とのたたかいにおいて圧倒的にいちばん力をくれているのは、私の表現を読んでくださったお一人おひとりの、ひとつひとつの言葉です。私にとってぜんぶがたいせつな宝物です。心からのありがとうを。

11月のお仕事

11月の一大トピック。おでかけ体験型メディア『SPOT』での初めての執筆で、奥多摩に取材に行って紅葉を楽しむ記事を執筆しました。

この取材後記も含めて奥多摩で生きるみなさんが読んでくださって、奥多摩での会話にこの記事が話題にのぼり、「奥多摩を好きなひとを増やしたい」「なにかチャレンジをしたい」と動きはじめている、と教えてもらって。

「記事のその先」を見せていただけたことが、心からしあわせで。表現に立ち向かうことはいつもおそろしいけれど、でもそうやって見せてもらった景色があるから、ぎゅっと言葉を握りしめて歩いていける気がする。

もちろん記事を一本出せばすべての問題が解決するわけじゃない。それどころか何も解決しないかもしれないけれど、そこから動き出す物語があるんだって奥多摩のみなさんに教えてもらった。もう一度信じたくなった。

ほんの少しでも「奥多摩で暮らすひとが、その日常にある奇跡をもう一度信じられること」に寄与できたらこれ以上にしあわせなことはないです。私にとって忘れられない記事になりました、心から、ありがとうございました。

にしても、奥多摩のことをこれだけ考えていたはずなのに、11月は一度も奥多摩に足を運んでいない事実にびっくりしちゃう。また行きます。



ウェディングパークさんが企画されている『結婚あした研究所』で、『小児科医のぼくが伝えたい 最高の子育て』を出版された小児科医・高橋孝雄さんをインタビューし、執筆しました。

ここ最近なぜだか耳に・目にすることが多かった、心がぎゅっとぎゅっとなるような親子のお話を想いながら書きました。親になってもならなくても、「子」としての悩みや苦しみを何歳になっても抱えているひとがいる。みんな誰かの子どもだから、このテーマはそれぞれ思うことがあるんだよね。

(これはこの原稿の話でした)

人生反抗期な私の初稿だともっととげとげなのですが、公開された記事には加筆がけっこう入ってまろやかに。私はこの記事を心底怒りながら(だいたいいつも何かに怒りながら書いている)、そして「しあわせに生きていてくれ」って渾身の願いを込めながら執筆したので、取材後記を書こうかな。

***


最近仕事を説明するときにしょっちゅう「どんなテーマの記事を書いているんですか?」と聞かれます。「インタビュー」と答えても、それってテーマじゃないからどうやって説明すればいいのだろうといつも迷う。

取材であろうとそうでなかろうと、そのひとの肩書きとか職業とかあまり関係なくて、いま大切にしたいと思っている価値観や抱えている迷い、葛藤、ゆらゆら動いていく大切なものをすくいとりたい。

そのひとの隣に座っておなじ目線で、こぼれおちていく言葉に耳を傾けていたい。

だからテーマが「移住」や「地域暮らし」であっても、「結婚」「子育て」であっても、これからやりたい「仕事」であっても、枝葉の質問が違うだけでその背景で私が聞きたいと思っていることや書いていることはあまり変わらないのだと思う。

そういう感覚ってどう説明しよう。テーマは「にんげん」と言えばいいんだろうか。

12月は新しくお会いできる方々もいらっしゃるから、こういうところを少しずつ言語化していけたらいいのかな。していきたいな。

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今年のお仕事ダイジェストはこちらです。


さて、12月!

今週ついに天気予報に雪マークが登場しました。とにかく「雪がいつ降るか」「雪が降るまでに何をするか」の話題だらけでクリスマスの存在感がゼロ、それどころじゃない豪雪地帯。雪国の冬は初めてですが、頑張って生きていこうと思います☃️☃️

一年の最後の月も、毎日祈りを心に抱きながら。12月もよろしくお願いします!



言葉をつむぐための時間をよいものにするために、もしくはすきなひとたちを応援するために使わせていただこうと思います!