損得を超えられるのは、愛だけなのかもしれない【奥多摩取材後記】
2018/11/17に公開した同じタイトルのnoteを誤操作で削除してしまったため、全く同じものを再アップします。公開した当時に元記事をシェアや保存をしてくださったみなさま、すみません……!
これと、その翌日もう一つのnoteを書いてから一年以上。その後も奥多摩とのご縁がつながっていることに感謝を込めて。両腕に抱えきれないほどのありがとうを。
昨日、おでかけ体験型メディア「SPOT」で執筆した初めての記事が公開されました。
テーマは奥多摩の紅葉。
ポップなお出かけ記事のはずが、全部で一万字を超える大作になりました。とはいえ各店舗の詳細の文字数が多いのと、写真だけ見る分にも楽しめると思うので、気軽に読んでいただけたらうれしいです。
奥多摩で取材中に出会った観光客の二人組は素敵な雰囲気の方ばかりで、自然が好きなカップルでハイキングをしていたり、写真が好きな友だちどうしで紅葉をおさめていたり。
そうやって大切なひとと一緒に、普段とちょっと違う休日を過ごしたいなら全力で奥多摩をおすすめします。
奥多摩の総力を結集させて、リアルな情報と愛が盛りだくさんの自信を持ってお届けできる記事になりました。決して一人では形にできなかった。ご協力くださったみなさまに心からの感謝と愛を。
いま東京にいたら休みの日はぜったい奥多摩に足を運ぶだろうなぁ、また紅葉見に行きたいなぁ。
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今から書こうとしているのは、この奥多摩記事の取材後記。
というのも先月奥多摩に2回足を運んで合計3泊し、奥多摩で暮らすたくさんの方とお話して暮らしに触れる中で、ずっと考えていたことがあります。それは、「ひとはどんな理由で暮らす場所を選ぶのか」。
奥多摩で過ごした時間がその問いに対して少しだけ答えの片鱗を見せてくれた気がしたので、奥多摩で出会ったみなさんへの感謝も込めて書き留めておきたくて。
※ とても個人的な見解であってSPOTさんには関係ありません。そして実際に奥多摩で暮らされている方にとってはつっこみたくなる部分もあるかと思うのですが、そしたらこっそり考えを聞かせていただけるとうれしいです。
すべてはひとつの疑問からはじまった
事の発端は、前前職で一緒に働いていた3人が会社を辞めて今年の7月に引っ越したこと。
引っ越し先の「奥多摩」の地名を聞いたときに率直に思ったことは、「なんで奥多摩を選んだのだろう」という疑問。
余計なお世話なんだけれど、地縁があるわけでもない奥多摩を選んだこれといった理由をあんまり挙げていなかったから、なおさら引っかかった。だって、住む場所の選択には「理由」があるものだと思っていたから。
奥多摩は最西端とはいえ東京都内だ。そこに都内や神奈川県内から引っ越すのは移住にしては距離の近い移動だから、話を聞いた時点で移住先を検討していた私は勝手に「私だったらもっと遠くに引っ越すなあ」と思ったくらい(実際にその後選んだ場所は滋賀)。
でもとにかく彼らが決めたことを心の中で応援することしかできず、心に引っかかったまま日常を過ごしていたら、あっという間に3人で東京最西端のカフェをオープン。
3人のうち2人は地域おこし協力隊になっていたことにも驚いたけれど、なによりSNSから伝わってくる奥多摩は想像の何十倍もの大自然。
photo by Ogouchi Banban Company
こんなところで過ごす時間はとても気持ち良さそうだし、気軽に行けない距離が隔ててしまったからこそ、私は彼らのことがずっと心に引っかかっていた。
そんな私の気持ちを察したのかそうでないのか3人のうちの1人から「ぜひ来てほしい」と声をかけてもらい、急遽奥多摩に足を運ぶことになったのが10月上旬。この時点では特に奥多摩の仕事をゲットしていたわけでもない。
ただきっと、私のなかで私なりに大切にしたい気持ちが強かった(けれど彼らの引っ越しに際して何もできなかった)3人だったから、なおさらどこかでずっと、彼らが見ている世界、奥多摩を選んだ理由に少しでも触れてみたかったんだと思う。
同じ会社に一時期在籍していた3人が、なんで決して便利とは言えない奥多摩で、家族でなくても性別が違っても一緒に暮らすことを選べたんだろう、って。
私だったら、その選択をできる気がしなかったから。
「条件」で判断するなら選べない場所で
実際に話を聞いてみたら、ここで生きていくことは想像よりもずっとずっと大変そうだった。
東京で一番標高が高い集落もあるくらいに山の中なので、都心とは気候が大きく違っていて、真冬は雪に覆われる。
東京都民の水を確保するために平地を埋め立ててダムを作ったから、山の中に集落が点在している。隣の集落はもはや見えない。そして虫はたくさんいる、家の中に。
コンビニが家から車で20分の駅前に一軒だし、スーパーもない。週に何度か移動販売車が山梨からやってくるらしい。1時間半くらいに1本のバスで、家から駅まで30分ほど。車の免許を持っていない私にとっては、生きていく難易度がだいぶ高い。
若い世代が少ないから人口も減っていて、動物被害が増える一方。家の近くには病院もないし学校も遠い。引っ越した3人の中で既婚かつ子どもが生まれたばかりの1人は、結果的に単身赴任になった。東京都内なのに。
連れて行ってもらった観光スポットや飲食店はあちこちに散らばっていた。職場も家も思っていたよりずっと、文字どおり「山の中」で、夜になるとほんとうに真っ暗だった。
奥多摩では自然と仲良く生きていく、なんて甘いものではなく、誰もが本当に自然の中で生きていた。日常的に動物被害の話をし、鹿や猿と道端で出会う。時に車両とぶつかって人間も怪我をする。
まさに「自然の中におじゃまさせてもらって生きている」感覚で、ものすごく濃い自然がすぐ隣にある。その中で毎日を生きている。
だから、一回目に訪問したときの感想は「聞いていたとおり、ここで生きていくの大変そうだな……」だった。私には住めないな、とも。
ただ、すごく印象に残ったことがあって。ここでしか味わえない感覚の後味を今でも覚えている。
そう。奥多摩で自然の動きや音、ひとの感情の機微にすごく敏感になったら、気づけば心が湖に浮いているかのようにゆらゆらしていた。
そうなるとどうやらいつもはまわらない思考がぐるぐると動き出すようで、ずっと考えていたのは、生きること、暮らすこと、表現すること。
その中でやっぱり向き合わざるを得なかった一番の問いは、「彼らがなぜここで暮らすことを選んだか」だったんだ。
一回の訪問だけじゃその問いに対する答えのかけらを見つけられなかったけれど、叶うことならもう一度奥多摩に足を運んで、この問いにきちんと向き合いたいと思う自分がいた。
移住といえど利便性抜群の場所に引っ越した自分には見えていないこと、手にしたことがないものが、そこにあるように感じて。
理由が「ない」から、奥多摩で暮らすことを選んだ
その三週間後。
東京に滞在していた期間中、奥多摩に足を運べる時間があって、もう少しで紅葉が見ごろを迎えそうという話を聞いていた。
じゃあ紅葉シーズンの奥多摩のまわり方をまとめたら記事にできるんじゃないかと思ってご連絡したのが、そのころ別の記事の企画でおつきあいが始まっていた「SPOT」だった。
というのはたぶん表向きの理由で、もっと奥多摩に、そして「彼らがなぜここで暮らすことを選んだのか」の問いに近づきたかったんだと思う。
そうやって心の中に問いを持ったまま始まった、2泊3日の奥多摩取材。
前回と比べものにならないくらいに、たくさんの場所に足を運び、奥多摩で暮らすひとだけでなく奥多摩におとずれたひととも話した。
その中でも特に私の抱えていた問いに近づくヒントをくださったのが、奥多摩・小河内(おごうち)地区で「東京最西端から最先端の町おこし」の活動をされている、OgouchiBanbanCompany(OBC)の代表の方だった。
取材のアテンドをお願いしていた地域おこし協力隊・谷木さんのおかげでお会いできることになったこの方は、3人の引っ越しの決め手と聞いていた。このひとがいたから、奥多摩に惹かれたんだと。
この方は生まれも育ちも奥多摩で、高校からは学校に通えるようにもう少し都心寄りに住んでいたけれど、結婚して「子どもに都市だけじゃなく山での生活も知ってほしい」と奥多摩に戻られたそうだ。そして自分たちの地元のために活動するOBCを立ち上げて、もう4年になる。
印象的だったのは、とにかく自然体だったこと。
「町おこし団体」と聞くと「この町がだいすき!」「地元のために何かしたい!」と強く意気込んでいるひとも少なくないように感じるけれど、この方はOBCの活動について「自分たちが好きなことをやっているだけ」と言っていた。どこまでも、意気込みを背負わずに楽しみながら活動していた。
そんな方へのインタビューで、最後に奥多摩で暮らすことを選んだ理由を聞いてみた。そうしたらこう返ってきた。
「何か理由があるから住んでいるわけじゃないかな。住みたいから住んでいるだけ」
これを聞いたときに、ようやく少しだけ、ほんの少しだけわかったことがある。
私は今年の9月に滋賀県に引っ越しているわけだけれど、これは後から思えば全力で「条件ありき」の引っ越しだった。
引越し先の決断には「理由」があるものだと思っていたし、実際に周囲からはたくさんその「理由」を求められた。そして、「理由」はたくさんある。
運転できない、地縁がない、東京での仕事もあるフリーランスの私が住む場所を決めるのに重要だったのは、家から徒歩圏内に駅もスーパーもあって、地域の方々との間に入ってくれる方がいて、東京に安く速く通えて、フリーランスでも家が借りられること。
たまたまこの条件がすべて整った家をTwitterで見つけたから、滋賀に引っ越した。つまりすごく損得重視の判断で、私にとっての滋賀、滋賀にとっての私は、少なくとも引っ越しの時点では互いに入れ替え可能な存在だ。
だって他にも条件が揃う場所があれば、そこでよかったんだから。
でも、奥多摩は「条件ありき」では選ばない、選べない場所。少なくとも私は。
だからこそ、「条件ありき」ではなく損得を超える決断をして飛び込んだひとを包み込む圧倒的な愛が、そこにあるんだとようやく気づいた。
自分から「損をするかもしれない=傷つくかもしれない」リスクを背負うことで初めて、損得のみの価値判断で生きていたら得られない「愛」を受け取れる。
損得を通り越す決断を自分でしたからこそ、地域とそこで暮らすひとへの愛情を強く持つようになるのかもしれない。そこで時間を過ごすことで、いつしか自分も同じように想われるかもしれない。
こう考えたときに、ふと思い出した言葉がある。
相手が固有名詞を持った、誰とも入れかえられない存在になるのは、非日常の「事件」ではなく、日常の「関係」の積み重ねのおかげだ。
(中略)
だから、「記号」ではなく「固有名詞を持つ入れ替え不可能な存在」とつき合うとは、そういう固有名詞を持つ相手が存在するような〈世界〉であることに──つまり〈世界〉が〈世界〉であることに──感謝するということだ。「事件」があろうがなかろうが関係ないんだよ。
傷つきたくないけど、愛に包まれた関係が欲しい──幼稚すぎる。無論、好きにすればいい。でも、傷つきたくないといい続ける君には、愛によって永続する関係は永久に得られない。でも、君。君が死ぬときに、本当に悲しんでくれる人がいなくても、いいのかな。
宮台真司・著『14歳からの社会学』より。
この本を14歳で読んだときはまだ理解しきれなかったけれど、いまあらためてこの部分を読み直したら、少しだけ近づいたような気がした。
ここでは恋愛や結婚での関係性の話をしているけれど、「暮らす場所を選ぶこと」も同じなのかもしれない。
東京にいるときはそのことに気づかず、当たり前のように「条件ありき」で暮らす場所を決めていた。滋賀に引っ越すときも、それは変わらなかった。
きっと地域で暮らすことを選ぶ以上は、おばあちゃんが玄関に野菜を置いておいてくれるだとか、友だちが遊びに来るとおじいちゃんにも歓迎されるだとか、心のどこかでそういう「東京よりも近しい関係性」、つまり宮台さんの言う「愛に包まれた関係」を求めている。または、そういう関係性が存在するであろうことを覚悟しているはずだ。
それなのに自分は「傷つきたくない」と考えて、条件ありき、損得で居住先を選択をする。そりゃあ、滋賀にとっての私、「固有名詞を持つ入れ替え不可能な存在」にならないよねえ。
このことに気づいてしまった私はいま、奥多摩で3人が一緒に暮らすことにした理由は間違いなく、損得なんてうちやぶった先の「愛」だなと思っている。
そんなのって奇跡だと思うし、そういう関係性に満ちた奥多摩での暮らしに正直憧れる。ついこの前まで「ぜったい住めない」とか思っていたくせに。
そんなの身勝手で、そもそも何もリスクを背負っていない私のないものねだりだし、実際に奥多摩で暮らすこと、近しい他人と一緒に生きていくことは、私が想像もできないくらいに大変なことがいっぱいあるんだと思う。
それでも。
もはや「嫌われるかもしれない」とか心配する次元にはいなくて、私が泊まっていようとそうでなかろうとしょっちゅう怒って喧嘩していて、でもそうやってお互いにお互いの力になろうとしていないことが、勝手にそれぞれにとっての支えになっている3人の関係性とか。
(もう一度言うけれど、この3人はたまたま同じ会社に入った元上司と部下であり元同僚であり、性別も年齢も違うし、家族じゃない)
誰もが損得をとっくに超えた決断で暮らしているからこそ、奥多摩にとっての自分、自分にとっての奥多摩が「固有名詞を持つ入れ替え不可能な存在」になる、奥多摩の中の関係性だとか。
奥多摩で暮らす方から引っ越した3人についてのメッセージ。こんなに愛のこもった「来てくれて本当によかったです」ってある!?!?
損得をぶちやぶる選択をできていない私にとって、その関係はとてもとても、まぶしく見える。だから私は奥多摩に惹かれるんだって、ようやく少しだけ理解した。
まとめ
というわけで、
奥多摩で暮らすことを選ぶ理由は「愛」であり、
愛は唯一といっていいほど唯一、損得を超えるんじゃないか。
これが奥多摩で得た私の考察です。
だって私は周囲から散々驚かれた“移住”という決断をしたはずなのに、結局暮らす場所を選ぶときに「将来するかもしれない後悔」を無意識に気にしちゃっていたんだよ。リスク回避しまくっている自分にびっくりだよ。
もはや奥多摩に住んでみたい気持ちもある。でもここは覚悟を引き受けずに憧れだけで土足で踏み込む場所じゃない。だって今この瞬間もここで暮らしているひとがいるんだから。
それよりもいまは自分の決断をよいものにしたいと思うので、最初は「損得」で選んだ滋賀とどれくらい「固有名詞を持つ入れ替え不可能」な関係性をつくれるか、ここからチャレンジしてみようと思う。
そして、私に大切なことを気づかせてくれた3人と、奥多摩にしかない関係性を、これからも外から見守っていけたらいいな。
以上、たっぷり思考した末の奥多摩取材後記でした。やっぱりいいよねえ、奥多摩。愛を込めて。
Special Thanks
撮影・企画協力/谷木諒
取材協力/OgouchiBanbanCompany
今回の記事を書いて、Facebookで告知し、こうして取材後記を残すこと。
その一連の行為が、私にとっては今後も公私混同しながら自分で仕事をつくっていく意思表示であり、人生の問いに対する研究であり、奥多摩へのわずかばかりの恩返しであり(今回の取材でさらに恩をいただいたけれど……!)、3人にあのときほんとうに何もできなかった過去の自分に対するささやかな贖罪であり、これからは組織に関係なく大切にしたいひとを大切にするんだという過去の自分へのちいさな反抗であり、自分の無力さとは言葉を以てして闘う宣戦布告であり、だいすきなひとたちへのエゴ100%の愛です。
ここに至るまでにさまざまな出来事があったから、違う場所で彼らは苦しみ、私は自分の無力さに涙した夜もあったと思う。あのとき私たちは別々の点だったけれど、今こうして交わって、一つの作品を世に出せた。あの時間をも抱きしめて、そんなハイコンテクストを知らない方々が楽しんでくださる一つのエンターテイメントに昇華できた。それが最高にうれしいです。
かつて鈴木おさむさんの取材でうかがった「マイナスを人前に見せることでプラスのエンターテイメントに昇華する」ことの意味をようやく実感できたようにいま思っています。これって希望なんだね。
そんな記事を世に出すために力を貸してくださったお一人おひとりに、心よりお礼を申し上げます。ありがとうございました。
そして奥多摩で出会ったみなさま、これを読んでくださったみなさまが、今日も明日もすてきな一日を過ごせますように。
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