ハンドルを切る理由を見失わない──2019年3月
3月で、滋賀県に引っ越してから半年が経ち、そして24歳になりました。
小松崎さんが書いてくださったこの記事のアイキャッチは、ちょうど一年前の3月に滋賀県長浜市、つまり今住んでいる場所で撮ってもらったもの。
このときは本当にたまたま出張で滋賀県に初上陸し、帰りに立ち寄ったのが長浜市でした。長浜での滞在時間はほんのちょっとだったのであまり印象に残っていないし、この半年後には住むことになるなんて、もちろん思ってもみなかった。
たまたま小松崎さんと琵琶湖を見た同じ場所で夕日を眺めていたら「そういえば一年前だったな」と思い出して、あの日が遠い昔に感じるくらいにとんでもなく変化尽くしの一年だったなと。そしてその変化は、一つ一つ自分で自分の人生のハンドルを切ってきたゆえなのだな、とも。
冗談みたいだけれど、本当の話で。
自分がどうなりたいか、どうありたいか、そのためにどこでどう働いてどう食べていくのか。
自分の人生のハンドルを自分でにぎり、常に選択を迫られ続ける生き方は、正直楽じゃない。怖くて苦しい場面もあって、でも自分で選んだ以上自分のせいでしかないのだから、結局「つらい」の言葉すらも飲み込んでしまう。時に、しんどいよねえ。
将来につながる大きな選択を控えていながら近場の締め切りに追われていると、結局優先順位も主語もごっちゃになり、自分の心の声が聞こえなくなってしまって。3月は選択することがただただストレスとなって自分にのしかかり、仕事よりも選択を休みたい、と思った瞬間もありました。
でもそれって、目の前にある大量のリスクを背負っている理由を見失っていたからなんだね。メンターに思考をほぐしてもらったおかげで、ようやくもう一度自分の声を拾えるようになってきたここ最近です。
というのも、3月の一大トピックである「ほぼ日の塾」の最終課題のおかげで、大量のリスクを背負ってでも自分で自分のハンドルを切る理由を見つめ直せたから。
本当に偶然だし、やってみて後からわかったことだけれど、このコンテンツをつくったことはこれからの私の人生において一つの分岐点だったのかもしれません。
この取材後記にあるように、テーマを選んだ段階では「今一番興味があるから」くらいの理由しかなかった。それでも、心からやりたいことであるのは確かだったから、3月月初の10日間くらいダイブすると決めたのです。
ダイブすることは、楽なもんじゃない。それでも、もちろん「課題である」という理由に助けられていた部分もあったのだろうけれど、「今これをやりたいんだ」と直感を頼りに本気で向き合ってつくることができました。
この記事が世に出て、これを読んでくださる方々がいて、その後のOBCやOBCを応援されている方々のリアクションを見て。なんでこの記事を書くことに対して本気になれたのか、自分の中にあるものを言語化する中で。
ああ、私が地域に入って地域で心底やりたいことって、この記事のようなことなんだな、と見つけたように思います。
完全なる当事者ではないけれど、定期的に通ったり住んだりしながらその地域と地域で暮らすひとを知っていき、特に私が「表現したい」と思うひとを見つけて関係を築いていく。
そして外の目線だからこそ気づける、そこにある宝ものや特別な関係をすくいあげて光を当てて、コンテンツにして地域の外に伝える。
これは大学の頃に民族学の授業で学んだ「参与観察」の手法に似ている気がしていて、それには少なくとも私の場合、締め切りが必要だということも。
これまでの半年間は滋賀には「暮らす」ために引っ越したのであって、地域でやりたいことがあるわけではない、それでいいのだと思っていました。でもこの3月、この記事でいうOBCのように「表現したい」と心から思える滋賀のひとと、本当にたまたま出会った。
そしてすでに、彼(彼ら)を表現するための方法、必要なもの、やりたいことは、もう「ほぼ日の塾」の最終課題、つまり「わけもわからないけれどやりたい気がするから、とりあえず今は本気で向き合ってみる」経験が教えてくれているわけです。
あまりにも偶然ながら、本当にやりたいことを私は最終課題でやったんだなあ、と今でもちょっとびっくりしています。
こういうことをやっていきたい。そう表明できる一歩目を、たまたまほぼ日の塾という場をお借りして公開できたこと、あらためてありがたい限り。
やりたいことの窓が曇りやすい私が、何度でも「リスクを背負う理由」に立ち帰れる記事。これからの人生を一緒に歩みたい宝ものになりました。
おかげで決断するための材料が揃った3月。さて、重要なのはこれからです。いくぞ。
3月のお仕事
2月はあまり執筆をしていなかったので、今月公開された記事は少なめ。ほぼ日の塾の課題+3本です。
もう再三書きましたが、3月の一大トピックとして参加させていただいていた「ほぼ日の塾」の最後の課題が公開されました。
数回の授業をともにしただけでも同期に少しの感情移入があり、「このテーマにしたのか!」「これを仕上げてきたか…!」とそれぞれのストーリーをも楽しむことができるのは、それだけほぼ日の塾の時間が濃かったんだなと実感しています。同期のみなさま、一緒に過ごしてくれてありがとう。
新しく3月から書かせていただいている「READYFOR note」。ライターとして編集部チームでご一緒させていただけることになりました。
今回はREADYFORのCTO(最高技術責任者)に就任された町野さんが、DeNA役員であるnekokakさんにCTOの役割について聞く対談記事を書きました。エンジニアのお二人なので専門用語が飛び交うかと思っていたのですが、他の仕事にも共通して言えることばかりでおもしろかったです。
「READYFOR note」は、クラウドファンディングのプラットフォーム「Readyfor」の名前が知られるようになった一方で、プラットフォームであるがゆえに会社としての考え方が伝わりにくいので、「Readyforらしさ」を伝えるべく立ち上がったオウンドメディアです。
私の書き仕事の原点は、「書きたい」からではなく「このサービスを伝えたい、じゃあ書こう」でした。だから完全に外部のライターとして記事制作のみの受注を受けるよりも、サービスの背景にある思想を理解するためにもう一歩お客さんと近づいて長期的にお付き合いしたいと思っていたので、想いが強くて私もその想いに共感できるREADYFORとご一緒できること、これまでの仕事のやり方を一歩変えるきっかけをいただけたこと、嬉しいです。
とはいえクラウドファンディングの分野にすごく詳しいわけでもないので、まずはREADYFORのこと、クラウドファンディングのことを学んでいきたいと思っています。
丸と正方形の間の形「マルシカク」やスマイルマークの刻印といった独特なデザインが人気な指輪ブランド「mina.jewelry(ミナジュエリー)」の社長と店長のお二人を、「結婚あした研究所」でインタビューしました。
「結婚や結婚式の流行をあまり追うようなことはしていなくて」とおっしゃっていたのが印象的で、流行を追って顔の見えないお客さんを取りに行くよりも、目の前の顔の見えているお客さんに対して真摯に接していった結果が今につながっているこのしなやかさが素敵だなあと思いました。
そして指輪がね、とってもかわいかった。
コーチングサービスを着想から2週間でリリースした木村憲仁さんを、「キャリアハック」でインタビュー。
私はコーチをしている知人がいるしコーチングを受けたこともあるので近しいテーマだったのですが、取材後に木村さんに1時間半のコーチングをしていただいたことで、コーチによる違いも知れてさらにコーチングに興味を持つきっかけになりました。
コーチングとは少し違うけれど、私もメンターについていただいていて。数ヶ月に1回はお会いして、思考の絡まりをほどいて次の一歩をすぐに踏み出せるステージをつくっていただけるので、他者視点で自分を引き出してもらうことの重要性をつくづく感じています。
木村さんが手がけていらっしゃる「mento」に興味を持たれた方は、こちらからどうぞ。ちなみに「メント」の由来は「メメント・モリ」なんだって。
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3月に「ほぼ日の塾」の最終課題と向き合ったことで、実はもう一つ発見がありました。
月初から11日まで、原稿執筆においてはほぼ「ほぼ日の塾」の課題しかやっていなくて、3月に提出した原稿のかなりの数が締め切りは月末。
正直3月の最終週は締め切りの数がとんでもないことになっていたのですが、やってみたらなんとか乗り越えられて、結果的に3月は今までで一番多くの原稿を書くことができたわけです。
つまり……今の収入で良いならば一ヶ月のうち10日間は仕事をほとんどストップしてやりたいことをやれる、または、もっと収入を上げたいなら10日間分の仕事を増やせる、ということが、意図せぬ経緯で明らかになってしまいました。
ただし締め切りに追われがちで人生の選択から逃げる時間が長かった結果、さらに気持ちが追い詰められた3月後半だったので、4月は優先順位をはっきりさせた上で時間の使い方とご飯の食べ方について決めようと思います。
さて、大きな決断を控えている4月。
痛みも苦しみも伴うけれど、なぜ自分で自分の人生のハンドルを切る生き方を選んでいるのかを見失わずに、疲れたらちょっと休みながらも進んでまいります。
とりあえずもう少し書き仕事を増やしたいと思っているので、何かご一緒できそうなことがあればお気軽にTwitterまでご連絡ください。
今日も雪が降っていましたが、読んでくださったみなさんのこの春のあたらしいはじまりが、素晴らしいものになりますように。