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大事なことに息子が気づいた瞬間

もしかして…もしかしたら……
トンネルの終わりが来たかもしれない。

週末になると、放課後でいいからたまったプリントとか取りにおいで、と先生に呼ばれて学校へ行くことが多い。
火曜日の晩からほとんど口を利かずに過ごしてきたけど、昨日の放課後学校へ行った後から、息子がちょこちょこと学校での話をし始めた。こちらはあくまでも笑顔を見せず最低限の相づちだけ。
「土曜参観あんねんな」
そうやな。去年、中1最初の参観のときも体調が悪いって言ってほとんど行けなかったやつな。あきらめ半分、いやみ半分で「いかへんねんろ?」と言ってやった。

先日、選挙の投票所になっていた、息子が通った小学校へ行った。
ひとりでグラウンドを横切りながら、いろんな思い出がよみがえってきて、それと同時に、自分がなんでこんなにツラいと感じているのかがわかった。
参観とか懇談とか、ちょっとずつ成長していく息子の様子を見たり話したりする…そんな母親としての時間がまだまだ続くもんだと思っていたんだ。まだまだ、ではないかもしれないけど、少なくとも卒業とか進学とか何かの区切りをもってうるうるしながら感動と共にそれは終わりを迎えるんだと思ってた。
それがいきなり、唐突に、ブツッと断ち切られるんだ、というたまらない寂しさ。

でもそれは親としての自分のエゴ。息子の人生には関係ないから、言うべきではないような気もしていた。今日の会話がこんな流れになるまでは。

あくまでも親としての自分の希望、と断って、ママは寂しいんだと話をした。さらに、大人として、この時期の子どもが学校へ通うのは、人としての営みの基本を身につけるため、という話をした。旦那さんのウケウリだけど。朝起きて、昼間活動して、夜寝て、その基本はこれから社会に出ても習慣になるし、何より成長期の身体にとって大切な習慣だと。

そんな話を聞いた息子が言った。
「なんか、ほんまごめんな」
え?思わず聞き返してしもた。
「そんなふうに思ってくれてんのに、今まで」
る、涙腺が…(;。;)

昼過ぎまで寝てて、起きてもスマホに逃げてる。大人の自分だってスマホ依存症になってる自覚あるのに、子どもがスマホ持ってて依存症にならないわけがないと思い、木曜日の晩からスマホを隠した。
無いなら無いで何も言わずに受け入れる。とにかく荒れたり反発したりしない。衝突を極端に避けるところがある。スマホがないから仕方なく本を読んで過ごしていた。
翌日金曜日の昨日、驚いたことに朝9時半に起きてきた。まだ気持ちは悪そうだし学校へ行く気配はないけど、とにかく起きてある程度は動けるようだった。そのまま本を読んだりテレビをみたりしながら過ごしていた。

「学校行く道でさ、すごい空が青くて。あぁこんなに空は大きかったんやなって思ってん。
学校行かなくてもなんか見つかるような気がしててんけど、家にいていくらスマホ見ててもやっぱり見つからないんよな。学校行くのが一番なんやなと改めてわかったわ」

その後は堰を切ったようにいろんなことを話し、一緒にハグハグして喜んだ。

やっぱりスマホはいかん。
考えることから逃避させる。なんとなく頭に浮かんだ思いを深く考える前に、ついスマホに手が伸びてそれを妨げる。これは自分が日頃から感じていること。
以前から好きだった小説を読んで、そこにある豊かな表現や感情に改めて心を動かされる感覚があったようだ。
本には考えさせる力がある。スマホには答えしかない。

心のどこかで、いやまだ安心するな、と囁く声もある。期待が大きいほど結果が違えば落胆も大きい。
でも、やっぱり今度こそは本当だと思う。
むちゃくちゃテンション上がってたし、今朝は6時前に目覚ましもなしで起きて意気揚々と部活に出掛けていった。
マンションの上から見てたら、息子が振り返り、
ずーーっとずーーーーっとこっちに大きく手を振りながら歩いて行った。

今日も良い天気や!
もうめっちゃくちゃ大丈夫!見ててや!
行ってきま〜〜〜〜す!

そんな息子のメッセージが感じられて…泣けた。


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