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やり遂げたい心も、妨げる心も、受けとめる…「大丈夫だよ」と。

〈何かをしよう〉とするとき、それを〈妨害する要素〉がある。
簡単なことだと、〈仕事をしなきゃいけない〉けど、〈眠い〉とか、
〈転職したい〉けど、〈ちょっと不安〉とか。。。

一般的なコーチングでは、妨害要素を取り除くためにいろいろな方向からアプローチするのだけれど。。。先日、そうではない、すべてを包含する大きな、おお〜きなアプローチを学んだ。曰く、ネガティブに相対峙するのではなく、ネガティブをも深い深い自分の内面に迎え入れ、方向を変えていく、というもの。合気道など武道に通ずる精神らしい。

これが自分のあまりにも大きな気づきに繋がった理由はこうだ。

母を看取った。敬愛していた。私だけが…


昨年逝った母のことで、私とは思いが違う…違いすぎる姉がいる。これまでの家族関係の中でそれは仕方のない結果ではあるのだが、こと母の介護から看取りという一年ほどの時間の中で、その歪みが私の中で爆発した。
介護も看取りも、私が望んだことだ。少なくとも、姉に母を任せることはできないと思っていたから。でも、自分と母にとって最善と思われる介護・看護のサポート環境を整えたことも、姉はねぎらいの言葉をかけるどころか興味を見せない(…から、話す気にもならない)。最期が近い、意識のなくなった母を前にしても、悲しみどころか、その場でまったく必要ではない(私には何の関係もない)話をし始める。
もちろん、姉には姉の理由がある。歴史がある。(それをわかってほしいと姉は言う)。頭ではわかっている。でもそれは、たった一人の母が、私にとっては最愛の、最も敬愛する母が今旅立たんとするそのときに、理解し、合わせなければならない理由だったんだろうか?
悲しめない、寄り添えない姉は不憫だ。(不憫、なんて言うとまた怒るだろうな。上から目線だとか言って) じゃぁ、たった二人の姉妹なのに、母を失う悲しさを共有はおろか、見守り寄り添うことさえしてもらえない私は、どうなんだ? 介護・看護で疲れ果ててもいたし、最期は間近だし、やらなきゃいけないことや、ふけっておかなければいけない思いもあふれるほどあって、今考えても人生最大にいっぱいいっぱいで、ひとときだって無駄にはできなかった。
なのに、寄り添い方がわからない、寄り添えない自分の身にもなって…だと?しったこっちゃない。だって、少なくとも私のせいじゃないもん。両親のせいだけど、私のせいじゃないもん。私という存在は大きく影響したんだけど、それは私の存在を否定するってことですかぁ??ってね。  (いかん、筆が走りすぎる…)

そう、こうしてアウトプットしているだけで、また、はらわたが煮えくりかえる思いになるのがとにかく辛くって。悲しいのと腹が立つのと悔しいのと情けないのと、、、ネガティブ感情のオンパレードなわけで。

何が問題で、何をどうしたいのか…見えたから、恐れず話した

でね、でもね、親を亡くすと姉妹でどうしても話して決めないといけないこととか出てくるんだよね。
看取った前後で私は感情を何度か姉に爆発させてしまったのだけど、考えてみればそれができたのもコーチングで自分のインナーチャイルドと向き合ったりして、なんとなくうやむやにしていた姉への葛藤が表面化していたから。それまでは6歳上の姉が怖くて、自分が少しでも間違ったことを言ったら(間違ってなくても)何十倍になって言い返されて、余計にざわざわした思いが残るだけだった。自己基盤を徐々に整え、自分のコアが揺るがなくなってきたから、思いをきちんと伝えられると思ったんだな。たぶん。
結果、私の感情の爆発がトリガーになり、のっぴきならない状況にまでなってしまった。ま、感情の起伏という点においては私のほうが格段に激しいわけで。本人曰く「自分の本当の感情がわからない」というまでに辛い経験を経てきた姉は、ある意味達観していて、人がどう言おうが気にとめない(ように振る舞える)し、相手がどうだろうが高笑いしながらバットを振り回すのだ(嫌味を言う、人前で私を落とす、マウントをとる、、等々、気持ち悪いほど「え?何が?」って顔でやる)。そんな姉の感情のトリガーを外したのは、ある意味私もあっぱれか?ww

で、姉を怒らせてしまったものだから、話し合う場を持つまでにずいぶん待たされた。私は悲しみをなんとか乗り越えてやっと材料をそろえて準備したのに、「なんで勝手に進めたのか」「考えるから待って」ときたもんだ。こちらから何かをお願いすると、決まって「○○があって○○が○○して時間がないのよー!」と逃げるくせに。時間があるかないかは優先順位が高いか低いかだけだっつうの。(言えないけどw)

煮えくり返る思いに頭が変になりそうで、毎日吐き気がした。
どうしよう、どうしよう、こんなことでは仕事もできない、息子ともまともにしゃべれない。(息子は共感覚の持ち主なのかもしれないが、姉とやり合う私から黄色い光が見えてすごく嫌だったと言っていた。)
どんなときも、「どっちも悪くない」と断言する菩薩のような息子を、絶対これ以上傷つけたくない。そして、息子には絶対に私の価値観に添っていてほしい(別人みたいに息子と仲良く接する姉に、息子(の心)を奪われそうな恐怖を感じてしまう)。

解決にはほど遠く…
祈ることは、自分との問答

そして、私は答えを、母に求めることにした。
毎朝、仏壇に手を合わせ、「どうしたらいい?」と心の中で問うた。怒りと悔しさで沸々とざわつく胸が落ち着くまで、何分でも何十分でも。
私が知っている母は、それこそ菩薩のように穏やかだった。実際にはそうとばかりもいえないし、若い頃は怒ったり父とやり合っていたのも覚えているけれど、それを差し引いても余りあるほどの器の大きさがあった。姉は違うというけれど、周りの人の意見は皆、私側だ。だから、母に聞いた。姉の刃は母が回収してから逝くべきだったもので、その文句も兼ねて。
毎朝毎朝、気持ちが落ち着くまで問い続けた。仏壇の母に問う、という形を借りた、自分との問答だった。
ここから先の人生の平穏のためにも、「関係を断つ」という選択肢が何度もちらついた。でも、それは違う気がした。息子や、甥や姪との関係とか、そういう現実的なことももちろんあるのだけど、「違う」と感じるのはもっと深いところ
ここまで自分の内面を整えてきて、さまざまなことの歯車がカチッとはまるようにクリアになってきたのに、「関係を断つ」という選択は、向き合うことをやめるということで、クリアに見えないままうやむやにすることだと感じた。
何よりも、私は「優しい世界」に生きることを少し前に自分で決めたのだ。それは私が何か感じたことを話したときに、息子が提示した言葉。SNSで多用されているらしいが、そのとき私は「それ!その言葉ビンゴ!」と思ったのだ。

すべて受け入れるという選択
“優しい世界”のために

姉が連絡してきて、話し合いの場を持った日、私は何一つ意見を言わなかった。反感、反論につながる危険がある言葉は、何一つ。物理的な姉の要望も、すべて受け入れると答えた。
考えようによっては、屈したように見えるかもしれない。
が、事なかれ主義でへらへら従ったわけではない。その日は心臓が飛び出そうなほどドギマギしたし、さすがに自然な笑顔はできなかったけど、揺るぎない覚悟はあった。確固たる信念をもって、あくまでもニュートラルに接した。

だからといって、変化なんて起きはしない。そりゃそうだ。何十年も積もり積もった思いが、一日おとなしく聞いたからって簡単に解消するはずがない。何年かかるか、もしかしたらどちらかが死ぬまで変わらないかもしれない。
だとしたら、私はいつまで姉のこの鋭い刃を受け続けなければいけないんだろう?
そう思うと、また吐き気がした。

受け入れるのは「ツラい」
そう感じる自分を癒やすこと

今回のセミナーは、仏壇に手を合わせるようになってからなんとなく引き寄せられていた方向性に近い気がして受講を決めた。それがビンゴだった。
姉を受けとめる、という選択が、間違っていなかったんだと確信できた。そして、吐き気がするほど辛い思いで受けとめなくても、辛い思いをなだらかに自分の中に統合させればいいんだ、という非常にありがたい方法論だった。何度もやってみないと本当の意味でその境地へはたどり着けないのはわかっている。でも、拝んできた時間が、その入り口まで私を運んでくれていたのだと思う。
ネガティブな思いも、共に大事なものとして自分の中に受け入れるためには、傷ついた自分を癒やしてあげることが必要だ、とその心理療法家のアメリカ人博士はアドバイスしてくださった。そうか。受けとめる、という“大人”な選択をする自分と、“傷ついた子ども”の部分を癒やす自分…両方のバランスだったんだ。
ワークは、泣けて仕方なかった。心の奥の奥のほうからあふれ出てくる非言語的な感情は、悲しいとか嬉しいとか寂しいとか、そんな短絡的なものではなく、あらゆるものが混ざり合ったきゅーーんとするような痛み。そんな深い感情がこみ上げてくる、というできごとに、感動した。

元々感情には敏感だったし、コーチングを深めていくと、感情のセンサーがますます働き、それが大切なことだと知った。
それでもまだ、知らなかった深い深い感情の大海がある。今回のセミナーで知ってしまったのは、たぶん今世の自分レベルを超えた大きな感情だと思う。自分という小さな人間の力ではどうしようもない、太古の昔からつながる運命や宇宙からの引き寄せとかもまぜこぜになったような…。言葉の仕事をしているけれど、言葉で表すと陳腐になってしまうのが怖い。
これからも毎日、拝み続けて、自分の深みに沈んで、そのたび現れる新鮮な気づきと向き合っていきたい…そう心から思っている。

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