見出し画像

アートを身近に!SKギャラリー特集

こんにちは、基弘会編集部のあいたです。
突然ですがみなさんは芸術・アートに興味はありますか?
敷居が高いようにも感じますが、芸術自体は生活雑貨やインテリアの延長線上にあるものです。
いってしまえば器やインテリアも芸術。
ちょっとこだわれば手抜き料理も一瞬で一流割烹に!?素敵な陶器があなたのくらしに添える彩りの記事に書かれているように暮らしに彩りを添えられます。
様々な絵画を見ることで目が養われ、身の回りのものも洗練されていく…かもしれません!
そう考えると雑貨屋さんやインテリアショップに行くような感覚で、気になる展示に足を運ぶのもいいですよね。
ちなみに、全国の展示を調べることができる便利なサイトもあるので活用してみてはいかがでしょうか。
【アートスケープ】

実は私たちが働く基弘会の各事業所には大小様々な絵画が掲示されています。
今回はその一部をご紹介し、絵そのものの芸術性はもちろんのこと、描かれた時代のバックグラウンドや作者を知ることでより深くアートを愉しんでもらいたいと思います!

マリリン・モンロー

アンディ・ウォーホル 作(ココナラ巽)

この作品はアメリカを代表するポップアートの巨匠アンディ・ウォーホルによって制作されました。(ポップアートというのは1960年代に興った、広告や商品パッケージなど「大衆が大量に消費するもの」を題材にした技法・運動のことを指します)
このマリリン・モンローはシルクスクリーンという印刷技法を使って制作されています。この作品をはじめとするモンローの肖像を利用した姉妹作はモンローが不審死を遂げた直後から制作されはじめました。当時人気の絶頂にいたスターの突然死の直後ですから、話題性は抜群。発表後は賛否両論、世の中を騒がせたようです。よくよく考えると、ウォーホルは炎上商法の先駆け的存在といっても過言ではないかもしれませんね。
しかし一方で、ウォーホルはモンローのファンを公言しており、彼はその死にショックを受け弔いの意味で制作したのではという見方もされています。
ともあれ結果として、この作品は現代人が彼女を知る大きなきっかけになるほど多方面に露出され、拡散されています。つまりポップアートの主旨のひとつである“大量消費”をまさに体現する、偉大な作品となったことは間違いありません。

夢の箱舟

小澤 摩純 作(夢の箱生野)

「夢の箱舟」は小澤摩純氏の作品です。小澤氏は多くの芸術家を排出している女子美術大学出身で、卒業後は絵本や書籍の挿絵も数多く手がけています。特徴的な作風ですから、見覚えのある方もいるかもしれません。
小澤氏は西洋の宗教画に通ずるファンタジックな絵を多く描いていますが、絵の色味は古典的な西洋画とは違い、力強さを感じませんか? この「夢の箱舟」も縁を彩る模様が南米の伝統的な織物に似た色彩です。これは作者が幼少期に過ごした南米での記憶が影響しているのかもしれませんね。
今回紹介した作品のように、絵には作者の育った環境や体験が反映されることもあります。つまり作者の生い立ちなどから作風が育った経緯を知り、作品の意図を紐解くことで、より深くその作品 を理解することができるのです。
ちなみに知識を深めるのにおすすめなのが、美術館のギャラリートーク。最近はオンラインのものもあるので、おうちでも気軽に参加できますよ◎

黄金の羽根を持つトカゲ790

ジョアン・ミロ 作(リズムタウン仙台)

ミロは90年という長い生涯の中で様々な作家や土地、そして時代に影響を受けた芸術家です。リズムタウンにあるミロの作品は晩年のもので、書道などの日本文化に影響を受け制作されています。この作品も墨で描いたような線に和の要素を感じませんか?

このように海外作家が日本文化に影響を受け、 作品に生かすことはジャポニズムといわれ、古くは19世紀後半からヨーロッパでは流行していました。それらの多くは着物を描いたり、浮世絵の模写といった形から入るものばかりでしたが、ミロは文化の先にある日本の心である「侘び寂び」を咀嚼し、自身の世界観との融合を見事に具現化しているように思えます。


道化師のジョジョ

ベルナール・ビュフェ 作(夢の箱勝山)

ビュフェの画風には10代で最愛の母を亡くした経験が根深く影響し、生涯を通じてこの黒くはっきりとした線で人物や風景を描きました。この画風は先の大戦後の世相と共鳴して「悲惨主義」と呼ばれ、瞬く間に若き天才として高評価を受けます。
20歳頃にはすでに名声を得ていたビュフェの成功の影には、実業家ピエール・ベルジェという人物の支えがありました。ベルジェは人付き合いが苦手なビュフェにかわり、商談などのマネジメントを引き受けていました。また、彼は私生活においてもパートナーとしてビュフェを支えていました。
そんな2人の生活も8年で終止符が打たれます。双方に理由がありますが、ビュフェは生涯の伴侶となるアナベルと出会い結婚、一方ベルジェはこちらも生涯のパートナーとなるイヴ・サンローランと出会い、それぞれの道を歩みました。
晩年のビュフェはパーキンソン病を患い筆が握れなくなり、それを苦に自ら命を絶ちました(享年71歳)。ビュフェにとって絵画はアイデンティティであり、彼の癒えることのない哀しみや苦痛を放出し、心の均衡を保つためになくてはならない手段だったのです。

手をあげる女

ル・コルビュジエ 作(夢の箱生野)

コルビュジエというと建築家としての名声が大きすぎて、彼のキャリアの始まりが「画家」であることはあまり知られていない事実かもしれません。
画家としてのコルビュジエのルーツはパリにあります。コルビュジエはパリでピカソに代表されるような前衛芸術に触れ、“見たものを見たままに描く”のではなく、“単純化した美しさを追求する”ピュリスムといわれる芸術活動をはじめました。こうした活動は、コルビュジエのモダンな建築物の基礎を作り上げたと言っても過言ではありません。
ちなみに、この「手をあげる女」は1954年に制作されたもので、コルビュジエの晩年期の作品にあたります。長年にわたる活動によって追及された無駄のない美しい曲線が女性らしさを表し、ピュリスムが見事に昇華された姿とも捉えられます。
表現の場を平面から立体、立体から平面へ自在に操るコルビュジエはまさに稀代の芸術家と言えますね。

いかがでしたか?
基弘会の施設には今日ご紹介した絵画以外にも様々な絵画が飾られています。ご来館の際はぜひ探してみてくださいね!

text by あいた

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?