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ミャンマー人125人に日本人ひとり混じって二日酔いで富士山登った話


ラブストーリーは突然に、ならぬ富士登ーりーは突然に(無理矢理)と気も漫ろで電話を切った時ぼくは某東京都H村の山奥で切り株に座ってぼんやり考えておった。
富士山だと?それは自分にとっちゃあまりにも無縁の存在というか、もはや一生登ることなどないだろうと高を括っていた。
電話の主はミャンマーのあいつ。前職場ではぼくの先輩にあたるあいつ。歳は8コくらい下で、若いのにめちゃくちゃしっかりしてて、且つ日本語がべらぼうに上手い、多分ぼくよりうまいと思う。いやマジで。あいつとはぼくが入社した初日に現場が一緒で、すぐに意気投合し連絡先を交換し合った。その後も一緒に河原でキャンプしたり、通称「ミャンマータウン」と呼ばれる高田馬場の、客が全員ミャンマー人で無制限食べ放題980円の激安ミャンマー料理屋でごはん食べたりと遊びまくっている。
あいつは去年ぼくが前職場を辞める数ヶ月前にそこを辞めて、都心へ引っ越しラーメン屋やら日高屋やら居酒屋の掛け持ちをして働きまくっている(一時期は同時に4つ掛け持ちしていたが睡眠時間ナポレオン並みで体ぶっ壊れかけて今はふたつ掛け持ち)。とにかく行動力お化けで、祖国がクーデターが起きて以降、日本在住のミャンマー人たちと協力してたびたびデモを行ったりチャリティーでフットサルの試合を行ったりしてる。一度早稲田の戸山公園にギター持ってって、昔同じようにクーデターが起きて多くの死者が出た際に歌われた歌をぼくが伴奏してあいつが歌う模様をカメラで撮ってもらってSNSで拡散したこともあった。
しかしながら、ぼくはというとミャンマー語といえば「ミンガラバー(こんにちは)」しか知らないので、あいつが傍にいないとミャンマー食材店にひとりで行くのも心細く、話しかけられたらどうしようとおどおどしている。(あいつと一緒に遊んでるとめちゃくちゃミャンマー人と間違えられる(笑))
そんな中唐突に掛かってきたあいつからの電話の内容は「富士山に一緒に登りませんか?」ということで、訳もわかってないぼくはとっさに「おうおう、おうー?」などとYESともNOともつかない意味不明な返事をこいたせいで、あれよあれよという間に富士登山への参加が決定してしまったのだ。しかも、その時は参加者もそれほどいないような口ぶりだったので安心していたが、二度目の電話では「東京からは40人参加するソウデスー」と。はあ!?しかも自分以外みなミャンマー人だと。はああ!?ソウデスーじゃないよソウデスーじゃ!てかどういう状況よソレ!!?

まあそうは言いつつもまだまだたっぷり日数はあったので余裕ぶっこいていたのだけど、彼らの国民性なのか、類まれな結束力のおかげで、気がつけばfacebookのメッセンジャー富士登山グループなるものが即座に作成され、そこに組み込まれ、名簿一覧にひとりだけ日本人の名前が並び、あいつから「メッセンジャーでみんなに挨拶しといて」的なことを言われ「どもどもなんかすんません場違いな場所に日本人紛れちゃってすんませんどもども」的な挨拶をし(実際は「よろしくお願いします😄」と送信しただけ)、無事にミャンマー富士登山グループの一員となったのでしたー、めでたしめでたし。
それからは1日何十通ものやりとりがメッセンジャー内で繰り広げられ(もちろんミャンマー語で)、そのたびにピロリンピロリン鳴りまくってたので、ああもう!って感じで通知オフってはみたものの常にメッセンジャーアイコンの通知バッジは増えまくっていたのでした。

だけど本当に関心したというか、普通にすげえなと思ったのは、その熱量というか真剣さというか、姿勢というか。蓋をあけたらグループは東京・名古屋・大阪(もちろん全員ミャンマー人)の3グループ総勢125人で、それぞれにリーダーを配置し、各リーダー達は下見と称して事前に富士登山を行うという念の入れよう。しかも他のメンバー達は当然富士登山の経験などないので、必要な装備をリスト化し、個々に用意してもらい、さらに用意できない人にはレンタル品(登山靴や防寒着等)を貸し出すという。マジですごいっす。そして各グループはそれぞれに往復便の大型バスをチャーターし、それぞれの泊まる山小屋を早い段階で予約していたそう。おまけに現地についてびっくりしたのは、各グループごとに色違いのオリジナルTシャツを配布していた(もちろんぼくも支給され、それ着て登りました)。
参加費はというとひとり3万円。一瞬高いな!と思ったけど、小屋泊と移動のバス代、そして余った分は祖国へチャリティーするというので納得した。



そうしてやってきた富士登山、の前夜。あいつからは22時半に高田馬場駅のロータリーに来てくださいとの事だったので、盆休みの初日で日中はのんびりだったこともあり、且つひさびさの都心だったこともあり、夕方友達を誘って荻窪駅で落ち合って飲みに行ったのだ。





・・・これがいけなかった。駅前のもつ焼きの名店にオープン直後に入り、もつを頼みまくり、友達とうめえうめえと狂喜乱舞し飲みまくり、ビルに赤い夕陽が沈んだ後もその赤ら顔で路地裏を染め、杯は進み気がつきゃかなりの時間そこに居座っていた。こういう店はピャッと食ってピャッと飲んでピャッと出るのが粋なもんだけど、なかなかに久々の飲みでうひょうひょと楽しくなっちゃった我々は店を出たあとも地下の西友で買ったチューハイ片手に電車に乗り、そのままの(千鳥)足で高田馬場駅前のミャンマー軍団の待つロータリーに乗り込んだのであった。あいつがみんなにぼくのことを紹介してくれたみたいだったが、呂律の回らない舌で「ほにょひくほにゃがいしゅみゃーす」と日本人が聞いても聞き取れない日本語で挨拶をしたようで、正直あんまり覚えてないし、そのままバスにドナドナされて目が覚めたら早朝の富士5合目だった。

頭は痛いし気持ち悪い。とりあえずあらかじめ買っておいた2Lのペットボトルの水をガブ飲みし、配布されたTシャツを着て登山前の記念撮影に望む。連日猛暑の続く関東だったが、早朝の富士はひんやりと寒かった。

グループで登ると言ってもそれぞれに体力やペースは違うので、自分のペースに近い人、仲の良い友達同士、カップル同士と自然と分かれていった。当然自分はあいつと登り始めた。しかしとっても気持ち悪い。あーとっても気持ち悪いなあーなんでかなー、昨日馬鹿みたいに老酒ばっか飲んだせいかなー!と心の中で自省してはみたものの、実際には「へっ」と力なく笑うのみで、もはや喋る余裕すらなかった。
登ってわりとすぐに6合目へ到着。山小屋の有料トイレで200円払ってトイレに籠もったが、何も出ず。だんだんと遠ざかるあいつ。待ってくれ。いや置いてってくれ。ぼくのことなんか忘れてくれ、などとみじめな気持ちでとぼとぼとまだ少し余裕のある緩やかな傾斜を時速2キロくらいで登り、7合目に着いてすぐさまトイレでうおえええー!!西友で買った宝焼酎ハイボールがキラキラときらめいてバイオトイレの中に消えて行きました。さよなら荻窪の思い出たち。
すこし楽になったぼくはそれまでのペースを維持しつつも、というかそれ以上にペースがあげられず、もはや歩くというよりなめくじよろしく、這うような格好で山頂にかけ張り巡らされている登山道のロープにしがみつきながら前へ前へとゆっくり進んで行く。足が上がらん。息が苦すい。10メートルくらい進んでは良き岩場に腰掛け休み(というか寝落ちし)、進んでは休みを繰り返す。こんなにも、まるでしんべヱ並みに即座に寝落ちできるのか!と関心するくらいに座った瞬間落ちていた。気がつきゃ10分15分平気で過ぎていく。追い越して行く人たち、ええい、なるようになれ。しかしそんな中でも途中で断念するとかそういう選択肢はまったくなかった。この場合の判断ってなかなか難しいけど、とっくに限界突破してるのに感覚麻痺して無理矢理動いてぶっ倒れるパターンと、それでも行けちゃうパターンと。途中岩場で寝落ちしているぼくに山岳スタッフとおぼしきおじさんおばさんが「大丈夫?上の山小屋まで行けば救助要請してくれるからね」と声をかけてくれたが、時間はかかってしまうが休めばなんとか回復するということがなんとなくわかって来たので、苦しいながらもゆっくりゆっくり登っていった。
富士山には、6合目、新7合目、元祖7合目、8合目、9合目、9.5合目、山頂と、チェックポイントのようにそれぞれ山小屋が設けられている。そこでは宿泊のほか食事を出来る場所もあるし、その他飲料水や酸素ボンベ等を販売している売店やトイレもある。基本的に飲み水はおろか手を洗う水すらないので、そのへんはある程度考慮の上であらかじめ登る前に多めに買っておかないと、上で買うと500mlの飲料水で4、500円もする(結果ぼくも4本ほど買った、というか買わざるを得なかった)。

へろへろの状態でようやく山頂が近づいて来た。5合目から見上げるとだいたい8合目くらいまでしか見えず、まるでそこが山頂のように見えて案外近いなー!と思いがちだけど、そっからが長い。だらだらとさほど景色が変わらない道が続くので結構こたえる。ぼくが行った日はお盆だし超ハイシーズンだからそれなりに混んではいたけど、思ったほどではなかった。他の日は結構大変だったみたいだなー。
そしてやっとの思いで山頂へ到着したのがなんと17時頃。登り始めが朝の5時半だったので、休んでた時間も含めると12時間近くかかったことになる。通常だと6時間くらいで登れるそうだが、そんなん無理ですぜ奴さん。着くとすぐさまリーダーに迎え入れられるままに山小屋の中の階段をあがりベニヤと梁剥き出しの屋根裏に敷かれたふとんに突っ伏した。隣にはすでに2時間ほど前に着いたあいつが疲れ切って寝ていた。少し仮眠をし、全員が無事登りきったことを知った直後に夕食の時間になり階下へ降りカレーとスープにありつく。ここでほぼ今日最初の食事。道中はまったくなにも食べる気が起きなかった。食べてすぐ上にあがり再びふとんへ。翌早朝の日の出に備えて、宿主に消灯を告げられ19時過ぎに早めの就寝。
そっから夜がふけるにつれて、それまで頭痛薬で落ち着いていた高山病であろう頭痛が再発し、夜中何度も目が覚めた。朝起きると隣で寝ていたあいつも消灯後から猛烈な頭痛に襲われ、まわりのミャンマー人に頭痛薬を持っている人はいないかと訪ねて回り、たまたま持ってた人から頭痛薬をもらいなんとか寝付けたそうだ。その人から起きぬけに余り分を自分ももらってようやく少しおさまった。
日の出はというと、こんな感じ。


夜明けを待ちわびる人々
立ちはだかる雲に隠れた朝日



雲にかかって見えなかったけど、その裏側で登る朝日が見下ろした先の雲海を染めていて美しかった。ちょっとジーンときた。下りはあいつが途中の山小屋にスマホと財布を置き忘れるというハプニングもあったが、後続のミャンマー人に受け取ってもらい事なきを得、なんだかんだで4、5時間ほどで下山した。二度と登ることはないだろうと思いつつ、東京、名古屋、大阪の3グループでの下山後に撮った集合写真の中でへらへら笑いながらミャンマーポーズ(独裁への抵抗)をキメる自分に「ある意味貴重な体験できたしよかったんじゃない?」と呟いてみる。


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