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アウトプットの練習2

やっぱり開いていくにしても楽しくとか楽になるにしても鍛錬とか修行が必要で、日々の中での小さな気づきをどんどん組み合わせていくと、自分は何が向いてないかとか、逆に何がしたいかとかわかってくる。

逆に「おれは無能だ」とか「何もできない」ばっか積み重ねちゃうとだんだんふさぎこんじゃって結局「もう嫌だ、もう何もわからない」みたいな状態になってしまう。それは結構危機です。自分らしさなんてあったもんじゃない。楽しみの形は人それぞれだけど、苦しみの形はみんな同じ。結構無意識にそれをクセづけちゃって、「苦しみのプロ」とか「自責グセのプロ」になってる場合が多い。

ぼくも経験あるから対処法をあれこれ考えてみたけど、そういう「自責」みたいなものって発作的に脳に突然ビューン!と吹っ飛んでくるんで、それはもうすごいスピードで。それを一旦吹っ飛ばすんですよね。具体的にはぼくは即座に頭ん中でアソコの呼称を叫んでしまいます。すいません。でもマジなんでしょうがない。これっていい対処法なのかな(笑)それすらもわからんけど迫ってきた自責がシューティングゲームみたいにボカーン!とぶっ壊れるんすよね。「うんこ!」とかでもいいんだけど、それはそれぞれ見つけたら良い。

自分の場合は場面によって使い分けてる。他人と自分を比べそうな時は「自分は自分」とか、それぞれ呪文を変えてる。そこまで意識的にやってるわけじゃないけど。


現実見過ぎ問題っつうのはありますね。現実しか見てない。現実は「意識」の世界の連続だから、どこかで無意識の世界に思いを馳せることでバランスを取らないとやっぱりおかしくなるわけで。
立川談志がよくラジオなんかで「人間は生まれたばかりの頃は男も女も自然も動物もみんなおんなじで、絵描いても月やキリンもおんなじに描くけど、だんだん学習によって分類されて意識の世界で生きていく。
現実ってのはそもそも無理なんです。その無理な状態から開放されるために酒やタバコがあるんです」と言っていた。都会は特に意識で構成された世界だから、何故そこに木が植えてあるかさえ理由がある。無意識や無意味を遠ざけて隠そうとする。意識の世界でだけ生きるのはやはり人間無理なんですよ。やっぱりワンダーやファンタジーの世界に没入してバランスを取らないと。神や仏の世界もある種ワンダーで、見えない力を信じる心を育てるのはとても大事なこと。


とにかく真面目になり過ぎると苦しいだけなんで、ちゃんとしなきゃとかしっかりしなきゃとか思う前に、適当にぼーっとしてジュースでも飲んで、虫でも観察して「いい動きだなお前」とか口に出してみたり、まったく無意味な言葉、たとえば「うばばらん、びちょぬれん、どるげんぼっけ」とかわからん言葉を口にしてみるのもいいですよ、誰も駄目とか言ってないから。なんで?と理由づけられる世界はとにかく苦しい。そこから開放される為の練習です。

日本って村社会だから、やっぱ限られた中でいかに慎ましく生きていけるかみたいなとこがあるから、ひとつの環境で閉鎖しちゃって苦しくなる。そういうのはぼくはめんどくさいんで、地元帰ったら地域のことは地域のことで自分がやれることは貢献しつつ、それ以外の関係性もつくっていきたい。っていうか普通になんかテキトーにファミレスでダベれる友達をつくることとか、山登れる人がいたりとか、居場所をたくさんつくりたいですね。

ぼくはどうでもいい話って大好きなんです。なんの着地点もない、非建設的な会話。だからおばちゃん達とかと話すのとか楽しい。「でもあそこのレストランでさ〜」とか「うちのペットがさ〜」とかどこへ飛んでくかまったくわからないし一貫性のない会話。けっこう楽しいっす。だから何年も前に浅田飴の工場でバイトしてた時はバツイチのおばちゃんとかいっぱいいて、カラオケ行ったりだべったり、ぼくが林業の世界行ってからも登山に誘ってくれて、おばちゃん10人プラスぼく1人とかで御岳山登山してりしておもしろかった。そう、もうミャンマー富士のくだりはここから始まってますよね(笑)

電気グルーヴの歌の歌詞で「目に見えるだけで目に見えない 目に見えるだけで見えてこない」とあるけど、目に見える世界だけしか信じてない人は逆に何も見えてないように感じる。「見る」というのは「心で捉える」とかそんな感じの雰囲気もある。その感じがつかめたらだんだんいい感じだと思います。

目に見えない世界を信じる、と水木しげるが言うのは、やっぱりこの世が苦しみの世界だから(実際に「この国は地獄ですよ」ととある番組で言っていた)、メルヘンやファンタジーの世界に思いを馳せるというのがいかに重要かを訴えてるように思う。それにもやはり修練が必要ではあるんだろうけど、慣れてくるとだんだん感じてくる。感覚が研ぎ澄ませてくる。それと同時に日頃いかに自分が現実世界に固執して執着していたかがよく分かる。「なあんだ、馬鹿馬鹿しい」と口に出来たらそりゃもういい調子になってきてる証拠。
そうなってくると「誰々がこう言ってた」とか「あいつのせいで何がどうした」とかどうでもよくなってくる。


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