花のような一瞬
地元へ戻り、風景や自然、花や虫を写真に撮ることが増えた。上等なカメラは持っていないのでスマホのカメラで撮る。
一時期インスタのストーリーに撮った写真を馬鹿みたいにあげていたが、そんな目的を予測するより先に、写真におさめて形に残したい気持ちが先回りする。その感情が大切。
花が咲いてるのが嬉しい。季節を感じる。田んぼや畑や山たちが少しずつ春を芽吹かせている。今時期、田んぼには菜の花を筆頭に、ホトケノザ、ナズナ、ムラサキハナナ、オオイヌノフグリ(全部心の中では「ちゃん」づけ)なんかが花開いている。
現場に向かう朝、細道で名も知らぬ白い花がたくさん咲いていて、すぐさま車を停める。
あとで調べたらバライチゴの花だった。
花が咲いている。写真に撮って嬉しくなる。その行為自体が自分を喜ばせる。それはきっと心が咲くってことなんだろうかね。
別に自分はお花の名前をたくさん知りたい訳でも、植物に詳しくなりたいわけでもないんです。ただなんとなく嬉しくて、写真に撮って、心を咲かせたいだけ。そんな気持ちを大事にしたい。
仕事はどうしてもちゃんとしなきゃいけない。ただその「ちゃんと」がたまに心を苦しめる。いらだったり疲れたりする。時間や効率を考えなくちゃいけなかったりする。疲弊して酒を飲む、の循環をもっと「楽しい」へと変換させたい。
ずっと入っていた現場が午前中で終わったので、そのあとは気分に任せてみる。雨で濡れてぐちゃぐちゃだったので、あらかじめ持参しておいた着替えを持って近くの道の駅の温泉に入る。気持ちいい。サウナは気分によって入るか入らないか決める。基本的にはサウナは苦手であるのに加えて、今日は体内の水分量が少なかったので、体調が悪くなるのを危惧して入らなかった。
温泉を出た所にある15分200円のマッサージ機に腰掛け、目の前に貼られているリクライニングのやり方の説明を見ながらリクライニングのレバーを探すがどこを探してもない。あれこれと5分くらい探していたが、結局リクライニング操作は手元のリモコンでしか操作出来なかった。この貼り紙はなんなんだ。
肩もみメニューボタンを押し、15分ひたすら肩をもみもみ。振動により「ああ〜」に濁音が入り「あ"あ"〜」となる。
道の駅内の食品売場で長ネギとピーマンとほうれん草とニンジンを買う。地元の生産者にお金を落とす。ほんとは自分でつくりたい。
土砂降りの中車でカラオケ「まねきねこ」へ向かう。ここは昔は「アーバンボウル」という名のボウリング場だった。そこにゲーセンが加わり、カラオケ屋が加わり、地元の若者の唯一の遊び場所だった。駐車場にはハイエースのバニングという、後ろにクワガタみたいな羽根がついてて、浜崎あゆみや矢沢永吉のペイントが施されたカスタムカーや、60年代くらいのアメ車のローライダーなんかが停まってて、入り口にヤンキーがたむろしてて、いっつもドキドキした。一方で、鼻タレ小僧の自分は非日常感を味わえて内心わくわくしていた。
それが今は、スーパーとダイソーと、まねきねこ。停まっているのは軽トラと、軽自動車かミニバン。あの時のヤンキー達はどこへ行ってしまったのだろう。
まねきねこの受付は入り口から少し奥側へ歩いたとこへあり、手前のフロアはがらんとしていてなにもなく、当時のゲーセンの名残ある床が汚く薄汚れてそのまんまになっていた。
店員さんに1時間と告げ、指定された部屋へ。18、19ぶりくらいにこの場所でカラオケ。
高校の頃は所属していたテニス部の部活仲間と部活をサボって週3くらい行ってた気がする。今だから時効だが、部屋でみんなでたばこ吸いながら湘南乃風とかEXILEとかDef Techとか、当時流行っていた歌を歌っていた。去年観たバカリズム脚本のドラマ「ブラッシュアップライフ!」に当時よく通っていたカラオケ屋に成人してから変わらぬ仲良し3人組で訪れるシーンがあり、それも相まって過去を重ねてエモくなる。
当時と変わらずメロンソーダを頼み、ひとりで折坂悠太の「坂道」、舐達麻の「BADS MONTAGE(最終的に2回歌った)」、星野源の「折り合い」、桑田佳祐の「悲しい気持ち」などを立て続けに歌った。楽しくて結局2時間歌ってしまった。外はまだ雨。
「楽しい」のちょっと奥の方に「さみしさ」がつきまとう。地元へ帰ってからずっとそう。当時と同じ場所だけど何かが違う。チェーンのお店も増えたし賑やかさも多少あるけど、なんか違う。これは一体なんだろう。
東京へいる間に季節は巡って、何年も見逃した春がようやく訪れたというのに、なんか寂しい。
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