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たっこちゃん、齢ほぼ80歳 #48 たっこちゃんが転けた~救急車受け入れ先が見つからない ①

ずいぶんとnoteをほったらかしにしてしまった。インスタを始めたら楽しくてそっちに集中していました。ちなみに「下手でも投稿」「楽しんで投稿」精神で、ここで載せているような手描きイラストを投稿しています。

さて、noteを放置している間に、母は2泊3日の入院による白内障の手術を終え、タイトル通りに転けました(関西弁)。
なにがあったか。

かかりつけのクリニックで日帰り手術が可能だけど、10年くらい前、人工関節置換術の際に出血が止まらなくてICUに入る寸前だったこと、基礎疾患があるってこともあり市民病院を紹介してもらいました。

白内障手術は無事に終わり、左目は日帰り手術でも大丈夫そうだね~なんてはなしながら予定通りに退院しました。

が、なんと、退院した翌日に道路で顔面から転けてしまいました。土曜日の夜でした。

しばらくは眼をこするな、顔を洗うな、シャンプーするなってことで、保護眼鏡までかけさせられてるってのにです。

その晩、私がコンビニに行こうとしたのが悪かった。

翌日に自治会の草抜きに参加する必要がある私は、くっそ暑い時期の一番暑い時間帯になんで草抜くねんと苛立ちながら、熱中症対策のポカリを買っておこうと19時を過ぎたころコンビニに行こうとしていました。
すると母が自分も行くという。

手術したばかりだし、時間も薄暗くなって危ないから家にいるよう言うと、いったんは「そうやな」と言ったのに、「やっぱり行くわ」とせっせとユニクロリラコを着替え、ICOCAケースに千円札を入れている。
「私のICOCAで払うやん」と言うと
「それじゃあ好きなものが買われへん」。
入院中食べられなかったソフトクリームとアメリカンドックを買いたかったのはバレバレだ。
暑い一日だったけど夜の風が心地よくて、夕涼みがてらとも思ったようだ。
気をつけて歩こうねと、自宅から私の足で徒歩5分のコンビニに向かいました。

そして、自宅を出て3分も歩かないうちに歩道の縁石に気づかず転けました。

念のため玄関に用意していた懐中電灯を忘れて出たり、普段なら私の後ろか横を歩く母が数メーター先をしゃっしゃと歩いて行ったり、セブンイレブンに行く予定が自宅を出たとたんローソンに変更したり(セブンに行ってたら転けなかった)、薄暗いからと用心して普段なら歩かない場所を選んだりで、後からああしておけば、こうしておけばと悔いる私に母は言った。

「どうやっても転けるように決まっててん」。

転けた母は起き上がれたけど、保護眼鏡は歩道の脇の側溝にぶっとんで、片側のつるが見当たらない。手術をした側の眉の下から血がボタボタ出ている。犬の散歩をしていたお姉さんが駆け寄ってきて「頭を打ってるかも、こういうときはあまり動かさない方がいいですよ」という。

ICOCAは持ってるけど、二人ともハンカチもミニタオルもなくて、母は外したマスクで流れる血を押さえている。
やっぱハンカチとちり紙は持って出なきゃ、なんて考えたりしていました。非常事態なのに。

ボタボタ流れる血に焦り、術後の眼はもちろん頭、人工関節を入れた脚も心配で、手術をした市民病院の救急外来に電話をしたら、眼科の当直医がいないから診察はできないという。まさか手術したてなのに断れられるなんて。そんなやりとりを聞いて母は「大丈夫」を連発する。しかもちょっと怒り気味。
「血はそのうち止まる」。
「大したことないって」。
そう、いつだって大丈夫だというのだ。大丈夫じゃないのに。その心理はなんだろう。

市民病院の救急受付でこういう事態のとき相談できる消防の電話番号を紹介され、そちらにかけて相談した結果とりあえず救急車が来てくれることになりました。

救急車はすぐに到着し、なんやかんやで(省きます)最初に断られた市民病院に搬送依頼してくれたけどやっぱり駄目で、他の病院にも断られ続けた。

そのむかし、
“診察券持ってたら夜間救急でも診てもらえる”
“A病院なら必ず診てもらえる”
なんて地元民の間で伝わっていた話があったけど、本当にそうだったのかな。そうならいい時代だった。

眼科の救急を診るいくつかの病院は3次救急で、母の状態からほかをあたれという。ほかの病院は「眼を診られるところをあたれ」、「頭も診てくれる病院に行ったほうがいい」という。もちろん言われたのは救急隊員さんで私じゃない。だから正確じゃないけど、そういう感じ。「いま患者対応中だ」って病院もあったっけ。

もう眼も頭もいいから、出血部分だけ診てくれたらいいと言っても全然受け入れ先が見つからない。ここらは近隣の市町村も含め病院の数は多いと思う。それなのに。

こうしている間に交通事故や倒れて意識がない人が救急車を呼んでいるかもしれない、この1台を私が占領しているために出動できないかもと考え、とても申し訳ない気持ちになったけど、私だって「もういいです」とは言えない。

救急隊員さん3人がかりで電話をかけてくれ、同じ病院に2回、場合によっては3回もかけてくれ、最終的に診てくれる病院が見つかったのは30分か、40分くらい後だった。

そして病院に着いた頃には既に出血は止まっていたけど、眉下の傷は縫われました。

病院からはタクシーで帰宅して、私は現場に戻り行方不明の保護眼鏡のつるを探しました。懐中電灯で照らしたらすぐに見つかりました。保護眼鏡がなかったら、眼に影響があったかもしれないし、怪我の状態はもっと酷かったかもしれません。

そしてこのすぐあと世の中は急激に感染が拡大し、小池知事の「第7波に入った」発言があったりするわけです。私たちも多少影響を受けたことがありますが、長くなったので②で書きたいと思います。

救急隊員さんには本当によくしていただきました。ありがとうございます。近くの消防署にあの隊員さんたちがいる…そう思うと心強いです。
とはいっても、救急車のお世話にならないように元気に暮らしたいものです。





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