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大人になって学ぶこと

再びFAST&SLOWを読む日が来るとは思わなんだ。
どういうわけか、速読しにくいこの本。普段の倍かかる。
さておき、教育とは何だろうと学ぶ側・教える側・提供する側という3つの視点に立っている今、改めて感じています。

大人になっても・・・

今驚くのは、大学院生でも「何が分からないか、わからない」っていう人がいること。正直、結構驚いた。
いやいや、ちょっとまってよ・・

小学校以来、聞いたことがなかったかもしれない。
「何が分からないか、わからない。だから質問もできない」
だから手取り足取り教えて・・という声まで聞こえてきた。
「仕事が毎日忙しくて・・」

ええええええ。授業聞いてなかったの?教材読んでないの?
ってか、Webで調べたら、なんならChatGPTに聞いたら教えてくれるじゃない。(あってるかはしらんけどw)
正直、めちゃくちゃ驚いた。
名刺もらって、肩書すごいのわかるけど、それって・・・・・・

私、暇って思われてるのかしら? 暇はしていないし、なんで私が教える義理があるんだ??という疑問。
なら、教授に聞いてくれ。講師に聞いてくれ。

学びの原点を考えてみる

今回の違和感。
私学高校の理系から栄養学科に進学したときに感じた違和感と同じ、いやそれ以上の違和感を感じている。
栄養学の基礎部分は、化学や生物でできていて、もちろん簡単な数学的な基礎知識の上で、説明される。しかしながら、文系から進むと、化学記号や回路の理論を学んでいない人の方が多いので、ここでスタックする。
本読めば分かるレベル。高校の化学教材読んだら分かる。
でも、読まない。読まなくて、難しい、意味が分からない、教師の指導が悪いという。

現在もしかり。
日常的に、企画に携わりながら数字や経営がどう動いているのかを感じているかいないか、Office製品の最低限の使い方は知っているかで、スタックの有無が変わる。
いや、どんな仕事も経営につながっているので、意識して業務を進めているか、それとも目先のモグラたたきのように仕事を遂行しているかの違い。
もちろん、経済学とか苦手な科目はあるけど、いちいち口にしてたら進まないし、苦手なのは個人の問題なので自分で何とかする。
何とかならなきゃ、教師や先輩に、まずは自分で確認してから聞けばいいんじゃない?

そもそも、私が自分の時間を割いてまで、教える意味は何だろうって思ってる。同じGOAL達成でも、Visionの実現でもないなかで、時間を奪われるのは正直、気持ちがいいものではない。
教えるのが嫌だというのではなく、慢性的に「忙しいから・・」を連呼し、「忙しいから、何が分からないか、わからない」と言われて、何を言ったらいいかわかんないし、そこ考える暇は私にもない。

半学半教の意味って・・

今、社内で提供している「集合天才伝道師10日間Bootcamp」はMBAや関連する論文の内容が多分に盛り込まれているにも関わらずこの前提知識を要しない不思議なワーク。
2分程度の読みものと20分のLIVE、あとはキーボードでチャットできればいい。個人のWork-out®のようで、集団のワークのようでもある。そういえば、前提知識に関するクレームは一度も聞いたことがない。もちろん、MBAホルダーもいるし、学び大好きって人もいる。途中で断念したり、別の期に戻ってきた入りしながら変革を意識した行動変容につながっている。
そもそも、学ぶ環境ではなく、「実践=行動」に向けた宣言の場。
同時に「半学半教」としての場。
ただし、先に知っている(いわゆる覚えた、知っている)ものではなく、「経験した。失敗した。」を自分で理由を考えて共有する場。
参加者どうして一緒に学びあう。
決して、知っている(つもり)の人が教える場ではない。
いうなれば、「経験の共有し、一緒に”会社がよりよくなることを考える共同思考スペース”的なもの。
なぜ成り立っているか。
会社のVisionを本気で実現したいと考え、誰かの時間を搾取することなく、自分のペースで困っている仲間がいたら支えるという環境が自然に出来上がるように設計されているから。
一方的に搾取される環境ではないからなのではと思っています。

社会人の学びの原点

振り返ると、私の原点って、新卒で入った永谷園研究部にある。
この時、なんでも聞いたら教えてくれる先輩がいて、いまでも私のRollmodelであり、そうなりたいって思いながら日々、鍛錬中。
なんでも教えてくれるけど、「答え」は教えてくれない。
教えてくれるのは、「あの棚にある**(本の名前)を読むといいよ」というアドバイスだけ。

当時、「何を知ったら業務課題を解決できるのか手探りだった」私は毎日、なんでも聞いて解決しようとしていた。
ある日、他の先輩がその状態を見て一言、忠告してくれた。
「なんでも聞くんじゃなくて、自分で考えてどうダメなのかを見つけてから質問しないと同じことをなんどでも繰り返す。相手にも相手の時間があり、奪ってはいけないと」

そう。先輩が私に教えてくれるのは、決して当たり前なんかではなく、常に先輩の時間を奪っているのだとこの時、教えられた。
以降、30年、まずは自分で考える癖はいまでも徹底している。

知っているんだから、私が教えてもらって当たり前というようなスタンスが嫌なんだと改めて感じた。
教えてもらう時も、相手の時間を奪っている(=Taker)なことを意識していくことを常に忘れないように、今日も戒めとして頑張ろう。


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