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#006 東急・世田谷線とヴィクトル・ユゴー

時々、『あんな時代もあったよね』と思い出すことがある。
それはたいてい、もう二度と戻りたくはない時代だったりする。
いや、考えてみればわたしの人生に戻りたい時代なんてない。

今が幸福絶頂ではないし、何なら現状ひどい傷も負ってるんだけど、
それでも。
過去と比べたら今のほうがいい、昔はあんな人こんな人たちに翻弄されてたけど、今はそれほど振り回されてない。

『これでいいのだ』…ビクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル(ああ無常)』のジャン・バルジャンも人生の終わりにそこに行き着いていたはず。

小学生時代に無理して読み通してからの愛読書。少しかび臭い……

(報われない人生だけど、まあいっか)…と。

最近、またそんな気持ちがぶりかえすことがあった。
東急の世田谷線に乗っていた時のことだ。

予定のない、天気も怪しく曇った休日。
4歳のひとが、
「湘南新宿ラインの、二階建ての、あのグリーン車に乗りたいなあ。」
なんてつぶやいた。彼に行きたい場所があるわけじゃない。
彼は鉄道に運ばれることが目的で、湘南新宿ラインというのは目の前に湘南新宿のプラレールがあるから言ってみただけなのだ。たぶん。

わたしは4歳の発言を聞き流し、つらつらと路線図を眺めて世田谷線に目を留めた。
(いや、ここは鬼門だ。)
だって過去の私の記憶が渦巻いている。
世田谷区は、わたしがまだ若く、世間知らずで、走り出してはつまずいてばかりの時代の全てが凝縮されている。

「世田谷線は…なあ…」

とぼやいたのがいけなかった。

「世田谷線!路面電車!いこう!」

と4歳が靴を履きはじめた。
問答無用に行き先が決まってしまった。まあいいさ、知り合いに会うわけじゃない。

わたしたちの支度は早い(忘れ物も多いが)。
すぐに西武鉄道の池袋線・Fライナーで新宿三丁目まで乗り、そこから都営新宿線に乗り換え、昼前には下高井戸に着いていた。

下高井戸に向かう、京王線直通の都営新宿線の車内にて

駅に降り立ったとたん、壁一つ向こう側に世田谷線の車両が見えた。
4歳が歓喜の声を上げる。

東急世田谷線の改札で1日乗車券を買うと、駅員さんが東急のキャラクター・のるるんのぬいぐるみを抱きながら、

「一本待つと、猫電車が来るよ。」と教えてくれた。

1日乗車券。

猫電車?
いただいた世田谷線のパンフレット(折り紙式で、凝った作り)を見ていたら、豪徳寺の招き猫にちなんだ幸福の招き猫電車が1編成だけあるのだと書いてある。

縦に折ったり、横に折ったりするたびに新しいページが出てくるパンフレット


しばらく待つと、猫が来た。

ジブリのネコバスよりも強い目をした猫電車は、床には肉球足跡、つり革も猫だ。

「線路に草が生えてるね。廃線みたいだね。」

4歳は窓の外を眺め、車両同士の連結部分をチェックし、運転席の脇から前面展望を撮影し、大満足のうちに三軒茶屋にした。

その間、わたしの胸の内にはざっと25年くらい前の記憶が蘇っては流れていた。いやあ、こうして電車に揺られて思い返しても、つくづく報われない時代だった。
上町に好きな人が住んでたな、あの時、豪徳寺から三茶まで歩いたな……なんて思うことすべてが苦い。苦すぎる。恋愛も勉強も報われなかった。

世田谷線を降りたわたしと4歳は、近くでお昼ごはん食べてから三軒茶屋駅のあるキャロットタワーの展望室に登ってみた。

さっきまで乗っていた、世田谷線が、Nゲージの模型のように動いていく。

26階からの眺め

ざっと見渡せる三茶から二子玉川。この中で引っ越しもしたし、喧嘩もしたし、いいこともわるいこともあった。そして10年くらい過ごした後、この展望室からは見ようとしても見えない遠くにわたしは引っ越した。あれは引っ越しというより、脱出だった。

世田谷区を飛び出して、仕事を得て。
あれやこれやがあって埼玉に流れ着いた。
期待した人生とはまったく違う人生だけど、これはこれで楽しい。

「こんどはあの紫色の世田谷線に乗りたいなあ。」

このちび鉄4歳の声がわたしの現在地だ。

「よし、乗りに行こう!」「その前にトイレだよ!」

わたしたちは手をつなぎ、ひっぱったり引っ張られたりしながら家路につく。
いいことばかりじゃないさ、だけど。
ここから見下ろせる場所で生きてたあの時代を卒業して、いま君といる。
悪くない。

(次回は、横浜の汽車道を書こうかとおもっております。)

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