楠 鹿

古典怪談愛好家。 元テレビドラマ脚本家。 別ペンネームで日本脚本家連盟に所属中。

楠 鹿

古典怪談愛好家。 元テレビドラマ脚本家。 別ペンネームで日本脚本家連盟に所属中。

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  • 世に出る術

    世にでる人には、出られない人との明確な違いがあります。 出る、そのための術を書いて行きます。

  • 鉄道と本ときみと

    小さな鉄道の旅

最近の記事

#006 東急・世田谷線とヴィクトル・ユゴー

時々、『あんな時代もあったよね』と思い出すことがある。 それはたいてい、もう二度と戻りたくはない時代だったりする。 いや、考えてみればわたしの人生に戻りたい時代なんてない。 今が幸福絶頂ではないし、何なら現状ひどい傷も負ってるんだけど、 それでも。 過去と比べたら今のほうがいい、昔はあんな人こんな人たちに翻弄されてたけど、今はそれほど振り回されてない。 『これでいいのだ』…ビクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル(ああ無常)』のジャン・バルジャンも人生の終わりにそこに行き着いて

    • #005 流山線と宮沢賢治

      宮沢賢治の小説も詩も好きだけれど、そうしょっちゅう読むわけではない。 でも先日、4歳の彼に誘われて行った流山線の車内でその振動に身を任せた時、ふいに宮沢賢治の詩がふつふつと浮かんできた。 流山線というのは、千葉県にあって、始点から終点までたった5.7キロの短いローカル線で、最初から最後まで乗っても12分しかかからない。そんな小規模鉄道らしく、使われている車両も大手私鉄からの譲渡車両、つまり古い車両をリメイクして使っている。それはレトロ感満載の電車なのです。 そんな流山線

      • #004 常磐線と平田篤胤〜遺骨を運ぶ

        君が生まれるずっと前のこと。 (今回は、番外編のような過去のはなし。) たしか20年くらい前。わたしの父は、実父の遺骨を常磐線で運んだ。 祖父は茨城県の土浦市で暮らしていて、老いて体調を崩して市内の病院に入院した。 医師だったわたしの父は、勤め先ではないその病院の病室に見舞いに行き、 「この状態だったら、たぶんあと一週間だろう」 と予言(?)し、祖父は息子の言葉に合わせたように一週間後に亡くなった。 その骨を、父は自宅のある東京の目白まで胸に抱いて運んだ。常磐線と山手線に

        • #003 湘南モノレールと江ノ電とよしもとばなな

          来た道を戻らなくてもいいのだ。 はじめての場所を通って、しばし立ち止まってしまっても、居場所は見つかるのだ。 たとえ元の場所に戻れなくても。 よしもとばななの『王国』という小説(全4冊!)が好きで、何度か読み返している。分かれ道に差し掛かるとふと思い出して、読む。 この小説、 居場所というものが、場所ではなくて人にあるのだと教えてくれる。語弊を恐れずに言えば、居場所の作り方ノウハウ本のように優しく書いてある。 この小説を久しぶりに思い出したのは、 「湘南モノレー

        #006 東急・世田谷線とヴィクトル・ユゴー

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          #002 西武鉄道6路線とクリハラタカシ

          旅とは、ここじゃないどこかへ行くこと。 真の旅人はきっと、永遠にここじゃないどこかへ向かって移動し続け、移動によりその人生の彩りを深めていくのでしょうね。 でもわたしと4歳の彼との旅は、行ったら戻ってこなければならない、なぜならば幼稚園があるし、浮世の義理もありありだ。 そんなことを考えていると、たまに、ふと、いまの自分から逃げたくなる時がある。 そんな時にちょうどいい本がありまして。クリハラタカシの『冬のUFO 夏の怪獣』という漫画です。これは、不思議と読んだ人それ

          #002 西武鉄道6路線とクリハラタカシ

          #001 東京モノレールとフィッツジェラルド

          一緒に暮らしている彼は車が大好きだった。去年の夏までは。 道ゆくトラックがあればその特徴を語りあげ、図鑑を広げては家や新幹線を運ぶ大型トレーラーを眺め、「ベンツのシュナーベル・トレーラー(下写真)は変圧器を運ぶんだよ。」などと説明してはうっとりしていた。そんな彼に異変が起きたのは、夏の終りのことだった。 「きょうは、でんしゃにのりたい。」 と言い出したあの日、わたしは全く想定していなかった。あの彼が毎週末鉄道に乗りたがり、鉄道博物館に行けば閉館時間までねばり、各鉄道会社

          #001 東京モノレールとフィッツジェラルド