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毒親



私は家族が好きだ


大切に育てられてきたことは自覚している


ただ、少し異常であることも自覚している


私は高畑充希さん主演の[過保護のかほこ]
のドラマを観ていて当時何も違和感がなかった


友達があのお母さんやばいね〜って話しているのを
聞いても何がやばいのかわからなかった




私の人生は母の人生でもある
私の失敗は母の失敗でもある
私の欠点は母の欠点でもある

私が失敗したのは母のせいだとは全く思わないが
母がそう思うのは仕方がないことは映画や小説を
みてなんとなくわかっている


母という生き物は父にはない母性もっている
女脳、男脳の話がしたいんじゃない
お腹を痛めて産んだという揺るぎない事実が
そこにある限りはきっと母しか持ち得ない
何か脳裏に棲みつく切っても切れない何かがある


ドラマでもあるあるだろう


母親の教育熱心さに辟易して子どもが
ぐれていく様子



私ははまっすぐ見ていられない
エンタメだとは思えない




私の毎朝の服装は母親の承諾が必要だった
柄や素材、色の組み合わせ方、上品か下品か

きっと私が外で得る評価をよくしようとしてくれているのだろう

そう思ってなんとか我慢してきた


月に2回遊ぶと遊びすぎじゃないか
体調を壊すからよく考えなさいと
怒られた

バイト先の穴を開けて評価が落ちないように
気にしてくれていたのだろうと我慢した


好きな人ができた
高身長高収入高学歴かどうか聞かれた
紹介しづらくなる上に相手の立場が危うくなる

好きな人が母親に悪口を言われるぐらいなら
好きになるのはやめようと気を逸らした


ある日、私は産んだことを後悔された日がきた


何かが切れる音がした


何が原因だったか覚えてない


でも私が生まれてきたことを後悔したことだけは
覚えている
そして、抜毛症になりかけ精神科に泣きながら
飛び込んだことも覚えてる


これまで私を大切に育ててきてくれて
きっと私が我慢してきたいくつものことは
母が私のためにかけた制限だと思えてきたのに
私が失敗作のように言われた瞬間


私のためじゃなくて
母の体裁のための完璧な娘を育てるためで
あまりにも理想から離れていく娘に
失望したのだと思わされる一言だった


そんな時も私は母は仕事で何かあって
ナーバスな時期なんだと思うようにした


それでも精神を病んだのは
あんたは私の子じゃないというような趣旨の言葉が
当時の私にとっては殴られるような衝撃を喰らう一言だからだった





その服どこで買ってるの?
いつもどこで髪を切ってもらうの?
私が決めたように見える色々なことに母の存在があった

お金どうやって貯めてるの?
どうしてこの進路にしたの?
これも全部母の裁量


外食しないって本当?
ジャンキーなものあんまり食べないんだね?
こんなこと私の中では当たり前なぐらい


私は人と会うことを制限するようになり
いつしか人と会うことが苦手だと思うようになった
遊びに行けない理由を母に叱られるからなんて
恥ずかしくて言えないから


私の考え方や行動の隅々に母に教えられてきたものが棲みついているから自分のことを話すことが怖くなった



真面目で純粋な子を汚しちゃいけないとかいう理由で
遊びに誘われなくなるのが怖くなった


でも1番憎んだのはこうなるまで黙って
いい子にしてきた自分だった


弟は違った
真っ向から反抗して好きに生きている
そんな弟を母は嬉しそうに見ている

自分の破天荒ぶりが弟に遺伝したと嬉しそうに話す

私が弟と同じように振る舞ったら同じように
喜んだだろうか


こんなことを考える自分も嫌いだった


自分が好きになりたかった
自分が本当は何をしたいのか考えるようになった
人に操られる気持ちのアップダウンをできるだけ
なくすために人に期待せず自分の感情も抑える手段を身につけた

それが私の哲学との出会いで思考することが
生きるために必要になったきっかけ


私は母が大好きだ
職場では褒められることの方が多いし
周りに集まる人も素敵な人ばかりだ
きっと大切に育ててきてくれたおかげだ

ふと考えてしまうことがある
自分から母の手を離れ
私が私の人生を私の力で歩んでいける日は来るのだろうかと



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