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【ボクは奇跡を届けるために生きている】#48

”子どもと遊ぶ”が仕事の
小児の作業療法士ミキティです。

私には
”知ってもらいたい家族がいる”

私が関わる障がいを持つ
お子さんとその家族。
その家族のストーリーから
いつも沢山の学びがあります。

その一部を皆さんに
知ってもらいたくて綴っています。
(過去の投稿はコチラで読めます)

1.ボクは奇跡の子

ママがよくそう言う。

何故って?

ボクの脳は500玉の大きさ。
脳波はノートの罫線のように真っ直ぐで
何にも反応がない。

そう、臨床的には『脳死』
それとおんなじなんだ。

でもね、この世には”奇跡”って言葉がある。

それをボクがママへ
今、目の前で証明してる。

だから、ママは「ゆづきは奇跡の子」って
ボクの事をそう呼ぶんだ。


2.ボクの事

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ボクは
低酸素虚血性脳症、
小頭症、脳性麻痺
この他にもまだ疾患と呼ばれるものはある。

ボクの生まれた時の事を話そう。
あれは37週目の検診の日。
ママはめまいと共に
血圧が180を超えていた。

すぐに危険と判断され
ママの気持ちの整理もつかぬ間に
帝王切開でボクはこの世に誕生した。

ボクは生まれた時に
片目だけが開いていて、
ママは嬉しいのと同時に
”あれっ?”と違和感を覚えてたんだ。

でも、ママはボクがお腹の中にいる時から
なんとなく特別な子が生まれてくる
って感じてて、

”どんな子でも全力で愛情を注ごう”

と決めていた。

だから障害や成長のことは
あまり深く考えず
”なるようになる、大丈夫!”
とすんなりとボクを受け入れてくれた。

ただ、ママが一つだけ
悲しんだことがある…

それは、
生後23日目にボクの目の病気が
わかったこと。

先天性緑内障、全盲、視覚障害…

生後26日目には9時間も
かけて目の手術をした。

ママは悲しかったんだ。
ボクに色んな景色を見せてあげられないこと、
ボクにママの顔を見せてあげられないこと…

あまりにも悲しくて
お家でずっと泣いていた。


3.そして、ちょっと前、ボクは声を失った

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最初に伝えておくと、
ボクはもともと話はできない。
声を少しだけ出す事が出来る。

ママは時々、
ボクが生まれたばかりの
赤ちゃんだった頃の動画を
懐かしむようによく見てる。

ベビーバスの中でママが
ボクのほっぺを泡で
くるくるして
「ゆづきー、きもちいい?」って
優しく話しかけながら
洗っている動画。

その時にボクが
「う〜ん、あ〜ん」って
ママの声に合わせるように
お腹から声をだして
答えていた。

それがボクのこれまでの人生の中で
一番声を出していた時。

大きくなってからも
ため息や喃語のような小さな声を
時々出すこともあるけど、
その声を失う出来事が突然やってきた。

それはある日、ボクの心臓が止まったから。

その時、ママは決心したんだ。

ボクが生きる為にどうするのがベストか。
その為に、”声を失う” 選択を選んだ。

「喉頭気管分離術」
繰り返す嚥下性肺炎を防ぐための手術。

気管切開だけなら声は出せるが
分離となると声が全く出なくなる。

ボクは知っている。
ママにとって簡単な選択ではない事を。

でもママはこうなる前からずっと悩んでた。
目も見えないゆづきから声を出す事までも
奪ってしまう事を…。

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4.心肺停止20分

2021年2月。
その日、ボクは体調の異変で自宅から
救急車で医療機関へ運ばれた。

そのまま入院。
ママはコロナ禍で付き添いできず
自宅に戻った。

その後、ボクは心肺停止になった。
病院側がママにそれを知らせる。

ママはその瞬間、
生きた心地がしなかった。

でも、ママは
ボクの奇跡を信じていてくれた。
救命の先生方も同じだ。

『20分』

”ゆづくんなら、きっと戻ってくる”

先生たちは信じて
心肺蘇生を繰り返し
あらゆる手段で
ボクをこの世に連れ戻そうとした。

そして、蘇生する。

普通、20分も心肺蘇生はしない。
目安として5分程、とも言われている。
蘇生したとしても脳・身体に
ダメージが残ることがわかっているからだ。

でも、ボクはこうして奇跡を繰り返し
また、大好きなママの元へ戻ってこれた。

ボクとママを取り囲む人たちに
見えないと言われている目で、
声にならない声を通して、
心でみんなに伝えている。

”奇跡を、ありがとう”って

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5.OTとしてできる事はなんだ?

ユヅくんのリハに行くと
いつも笑顔のママが迎えてくれる。

こんなこともよくあった。
咽頭気管分離術をする前、
リハで遊び始めると
ユヅくん自身が
自力で排痰がうまくいかず、
呼吸しずらく
苦しそうにする。

「ちょっといいですか?」
とピンポイントでユヅくんの
喉元に圧迫をかけ
反射を利用して”ゴホッ”っと
上がってきた痰を吐き出させ
すぐにサクションをする。

一瞬にしてユヅくんの
表情が穏やかになる。

「これを見て皆さん、
びっくりするんですけど、
ゆづきはこれが一番早く楽になるんです」
と、教えてくれる。

筋緊張が強くなった時、
ママが触れるだけで不思議と
体が ”くにゃ” っと柔らかくなる。

CRP(細胞破壊が起こると上がる血液の数値)
と心拍数は「比例しない」けど
ユヅくんには例外で『比例する』ことも
そばにいるママだからこそ、知っている。

そんなユヅくんの全てを知っている
ママが乳がんで去年、手術をした。

今は抗がん剤治療も4クール目が終わり
ホットフラッシュに悩まされながらも
大きくなったゆずくんを抱き抱え
一緒に笑顔でリハを楽しんでくれている。

私は今、
目の前でこの家族の奇跡を
見ることが出来ているのだ。

だから、この時間を、この瞬間を
いつも三人で楽しく過ごすこと。
それが私に出来るリハである。

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6.ママからゆづへ

名前である「悠月」の
悠は
悠々自適の言葉通り、ゆっくりと
悠月のペースで成長し穏やかに過ごして欲しい
という思いから

月は
お月様の様にそこにある(居てくれる)だけで
癒しになるような優しい光を放つ存在に
なりますように、という思いから

悠月(ゆづき)と名付けました。

今、本当に名前の通りの
存在になってくれています。

悠月、ママの子になってくれてありがとう。
悠月がいるからママも強くなれるし、
毎日幸せだよ。

これからも悠月のペースで
ゆっくり穏やかに成長して、
色んな人との関わりや刺激の中で
悠月の心の目の視野を広げていこうね。

その手助けをママにさせてね。
悠月、大好き。

ママより


7.ボクからママへ

ボクの左右の目の一つは、
不思議な色だ。

それをいつも
「とっても綺麗な目で、大好き」
って言ってくれる。
ボクはとっても嬉しい。
ありがとう。

動けないボクは
これまで多くの心配もかけてきたし
ママに辛い思いもさせてきた。

それなのにいつも
ママは笑っていつも「大丈夫」って
言ってくれる。

ボクはママのそばで
ママの存在を感じているだけで
何も要らない。充分、幸せです。

心の目では
ママの顔はしっかり見えてるし、
言葉だって心で伝えられる。

ボクがママの元に
生まれて来れたこと。
それが最初の奇跡のはじまり。

ボクを産んでくれてありがとう。
この先も奇跡は続くよ、
ママ、これからもよろしくね。

ゆづきより


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撮影 福添 麻美

作業療法士(OT)は 実は子ども達のサポートも しているリハビリ職。 これらの記事が読んで頂いた方の 子育て・療育のヒントになればと思っています。 子ども達は今この瞬間が 生きてきた人生で一番成長している時。 記事を通してみなさんと 関わる事が出来たら嬉しいです✨