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75年目の終戦の日に思うこと

今年も終戦の日が来た。

コロナ感染症の影響で例年と大きく雰囲気が異なるが、休暇に入り、御巣鷹山の日航機事故のニュースが流れることで、今年も終戦の日が近いことを感じた。

第二次大戦の経験者が少なくなる中、戦争経験を語り継ぐことが大事だと方々から叫ばれている。僕個人としては、語り継ぐことも然りだが、個々人が意見を持つこと、他人の意見に耳を傾けられることが大事だと考えている。まだ34年しか生きていないが、語り継ぐためには、個々人が意見を持ち、他人の意見に耳を傾けられることが前提になると考えるからだ。

僕が初めて(というか記憶に残っている)戦争体験を聞いたのは7歳のとき。1994年6月19日、戦後49年の福岡大空襲の日だった。あの時、70歳くらいのおばあちゃんが自らの体験を体育館で語ったことはよく覚えている。それ以来、平和学習で長崎を訪れるなど、義務教育では日本が敗戦国になったことを強調して教えられた。その後、大学に進学し個人的に中国に興味を持った。中国では日本が侵略をし、南京や武漢など多くの都市で多くの犠牲を出した悲惨な歴史を知った。その後、欧州に行くと、日本が関係しないところでホロコーストだったりガリポリの戦い(これは第一次大戦)だったり数十万人単位で人が無くなる悲惨な出来事があったことも知った。豪州やインドネシアは、日本と友好国と認識していたが、戦争記念館では日本は紛れもない悪役として紹介されていた。そのように、断片的ではあるにしろ大局的な意見に耳を傾けることで個々人の意見を持つことができるようになってきた。

戦争は絶対してはいけない、という心理的原則が変わることはないが(ないと願っているが)、戦争をどうやったら防ぐことができるかという方法は時代によって変わってくると思う。

例えば、日本は非核三原則を掲げている。これは戦争を未然に防ぐ抑止力にもなっていると考えられるが、核の抑止力という言葉もあるように、核を持つことで戦争の手を出さない、出させないという現状があることも一理あると見える。決して、核を持つことが良いと言っているわけではなく、そういう選択肢もあり得るという意見に耳を傾けること、それ自体は大事なのではないかと思う。個々人の意見は、それを踏まえて考えればよい。

そんなことを回想しながら考えた、75年目の夏でした。

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