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東京の大学生が地方で暮らしてみて~鹿児島県肝属郡錦江町~

【関係人口コラム】 vol.5 (番外編、今回の東北以外の地域です!)

はじめまして。東京で大学生をしているnarumiと申します。
出身は宮城県石巻市、大学で東京に来て地域に関する事を学んでいます。

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(福島県南相馬市で馬に餌をあげている様子です)

地域や地方創生に関する事に興味があり、そのご縁できっかけ食堂@東京のメンバーとしても活動しています。

この投稿では、前々から書きたかった、2020年3月から鹿児島の小さなまち錦江町(きんこうちょう)で約3か月暮らしたことを、ざっくばらんに書いていきたいと思います。


鹿児島県肝属郡錦江町(きんこうちょう)とのきっかけ

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私が錦江町と知り合うきっかけとなったのは、昨年の6月に行われた「地域仕掛人市」

日本全国様々な団体、自治体が参加する移住相談会に近いイベントです。

そこで鹿児島県肝属郡錦江町錦江町の方と繋がり、夏休みに遊びに行くことにしました。今思えば運命的な出会いでした。。。

ここから、2019年の夏に1回目、その年の年末年始に2回目、

今回の2020年の3月で3回目の訪問となりました。 


新型コロナウイルスで影響で、授業がオンラインになったこともあり、3月から6月まで約3ヶ月近く錦江町に住んでいました。


錦江町(きんこうちょう)ってどんなところ?

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鹿児島県肝属郡錦江町は、鹿児島の右下。大隅半島にあります。

人口は7000人弱と小さな町です。本土最南端にも近く、日本の南なので、暖かい・暑いです。東北出身の自分には暑さは敵でした。

あ、でも簡単に焼けるのは嬉しかったです。笑


生活する上で、一番の難関は言葉。薩摩弁、津軽弁と双璧をなす、難解方言です。笑

町でご年配の方としゃべると9割方、意味が分かりません。

最初は、雰囲気で理解するしかありませんでした。笑

でも、3か月もいるとなんとなく理解できるようなっていました。英語が喋れなくても、アメリカで生活してみればなんとなくしゃべれるようになるものに似ているんじゃないかと思います。笑


ゲストハウスのDIY

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3ヶ月間、何をしていたかとひたすらゲストハウスのDIYでした。

錦江町では、空き家を活用したゲストハウスをオープンするプロジェクトが進んでおり、そこのお手伝い。

プロジェクトを主導している、地域おこし協力隊の方々と壁を壊したり、壁を作ったり、延々と壁にペンキを塗ったりとDIYを進めていました。


実は、3月中旬から1週間の予定でお手伝いする予定でしたが、お分かりの通り、DIYが進むのと並行して新型コロナウイルスの影響も悪化し、

緊急事態宣言の発令や大学の講義のオンライン化などの動きがあり、錦江町にとどまざる得ない状況になりました。


そして、ずるずると3か月...

結果、滞在中は以前からお世話になっている坂下ご夫婦の家で、東京に戻るまでお世話になっていました。

ありがたい事に、第2の実家ができました。笑


小さな町で見つけた、大きな幸せ

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3ヶ月も暮らしていると、まちの様子や季節の移り変わりなどの全体像を徐々に理解してきました。

道を歩けば必ず誰かとすれ違い、自分が初対面でも相手は自分のことを知っている。そんな町は嫌だという方もいるかもしれませんが、私は好きでした。

また、飲食店の数も限られているので、飲み会も行くお店が決まっていることがほとんど。どこ店に行っても1組は知り合いがいる。

地元民からすればそんなの当たり前でした。

同じお店で、同じメンバーで飲む。これが私の中で、1番の幸せでした。


お試しでの移住も3か月くらい滞在しないと、その町の本当の魅力は見抜けないのではとすら、感じています。3ヶ月いて感じたことは、

「ふとした時に、自分が地域の輪の中にいることに幸せを感じる。」

この一言に限ります。自分自身が地域の中に間違いなくいること、それが感じられるのが地方の好きな理由かもしれません。


おわりに

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3月から6月まで、気づけばあっという間の3か月を終えて、現在は東京におりますが、今でも錦江町の思い出したり、また帰りたい!と思ってみたり。

頻繁にオンライン飲みをしています。笑

3か月も居れたのも錦江町の方々がとっても優しく、開放的風土だったことが一番の要因だったと考えています。よそ者に開放的で住民一丸となってまちづくりを進めている姿に憧れました。


東京は、東京で新鮮な情報や多様な機会がたくさんありますが、仕事のプレッシャーや将来の不安などで疲弊することも多々。

しかし、そんなとき、私にとっての錦江町のように、帰れたり、思い出したりできる、自宅でも実家でもない、第3の居場所があると心が落ち着きます。


あと、地元石巻と比較してみて感じたこと

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(石巻の街を見渡せる山、実は高校生のデートスポット)

鹿児島から遥か北の宮城の出身である私の感じたこと。
北と南では、やはり人や文化が異なるなぁと感じました。

鹿児島の人は、非常に陽気で明るい性格だと感じ、特に錦江町の方々は、幸福度調査でも高い水準が出ている町です。ソトの人を拒まない開放的な風土という調査結果も出ています。

だからこそ私自身も錦江町になじむことができたのかなと。

地方都市(実は石巻は人口15万人の立派な地方都市です。笑)で生まれ育った私にとって、

町という規模で小さなコミュニティの中で暮らせたことは、今後の地域創生を学ぶ上で、また人生において大切な経験となったことは、間違いありません。


これからの関わり方

大学を出たらもしくは休学して、、、錦江町で働いてみたい!

でも、地元石巻に戻って、地元のためにも働きたい!

いや、東京で社会経験を積んでから地方で働きたいなど、将来について考える日々です。

選択肢はたくさんありますが、未来のことなんて誰にも分らないし、なるようにしかならない思います。

これからも自然体で生きていきたいと思います。


【関係人口コラムとは】

きっかけ食堂に関わる東北好きの皆さんに、東北と関わり続ける理由についてお聞きします。

コラムを通じて、多くの人が都市から東北、地域に関わることの「楽しさ」や「関わりしろ」を知るきっかけになれればと思います。是非、ご覧ください。

関係人口とは?
「関係人口」とは、移住した「定住人口」でもなく、観光に来た「交流人口」でもない、地域や地域の人々と多様に関わる人々をさします。
(総務省関係人口ポータルサイトより引用)



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