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職業や肩書はいっさい関係ない「その人そのもの」としての関係の心地よさ。

【今日の  聴き屋】~67日目~

5年半前  産業カウンセラー資格取得のために
半年あまり  毎週水曜日の夜 仕事の後に 通学をしていた。

「水夜」クラスのメンバーは  11人。

20代から60代まで の  男性5人  女性6人  のクラスだった。

このクラスでは
職業や  肩書はいっさい関係なく
「〇〇 久美」という  一個人としての  参加。

「私」という人間そのもの としての 関係がスタートした。


思えば  こんな経験て  なかなか  ない。

物心ついたころから
「●年●組のくみちゃん」「●●高校のくみちゃん」「●●大学のくみちゃん」
「●●会社のくみさん」「●●部のくみさん」・・・・・
と  常に 所属とセットであり 
「ありのままの私自身」とのつながりの前に  所属や肩書がついて回った。



それが  産業カウンセラー「水夜クラス」では
なんの肩書もない「〇〇 久美」という
私個人としての つながり。


「産業カウンセラー資格取得」  という同じ目標を持ち
スタートラインに  一緒に立った 同志。



ただただ  同じ目標に向かって 励まし合い 協力し合う  
フラットな クラスメートだった。


だいぶ経ってから わかったことだけど
めちゃくちゃ有名な企業の関連会社を設立したばかりの社長の方だったり
職場では かなりの役職を務めている方だったり。

仕事で知り合っていたならば
とてもじゃないけれど  フラットにはつながることができなかった方ばかり。


産業カウンセラー「水夜クラス」での
「私」という人間そのもの 
クラスメート それぞれ 「その方そのもの」としてのつながりは
本当に心地よかった。


フラットな関係。


いかに  人間が  「その人そのもの」を見る前に
その前にくっつく 「所属」や「立場」や「肩書」にとらわれているか。


私は  人間が好き。

だから 「その人そのもの」を見ていきたい。
「その人そのもの」を大切にしたい。



そして 私も「私そのもの」を見てほしい。

「私そのもの」を見てもらった時に  誇れるような
「大好きな自分」でありたい  と  改めて思った。



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