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修行かつぐないか。

【今日の 聴き屋】~35日目~

今日は 月に数回の
「子どもの電話相談(受け手)」の日。

私が一番  活きてる時間

子ども  と言っても
私が入るのは  仕事の後の夕方から夜にかけてなので
受けるのはほとんどが 高校生か中学生(か年齢詐称のオトナ)。  

話す内容も  なかなか深い。

同じ年頃の子どもを持つ身としては
「コレ  うちの子じゃないよね??」
と  さらに耳を澄まして声を確認するくらい
我が子  我が家  が抱えている問題に酷似した事象ばかり。

そして 
「これ  私じゃない?」
って思うくらい  私と同じような 生きづらさを抱えている子 
と遭遇する。

そんな子どもたちと話す。

最初は どこから話していいのか  わからずに
なかなか言葉が出てこない子だったり

逆に 電話がつながった瞬間から マシンガントークのように
次から次からどんどん言葉が止まらない子だったり

身の回りで起こっている「出来事」の話ばかりで
なかなか「気持ち」が出てこない子だったり

沸き起こる怒りや悲しみや不安を吐き出してくれる子だったり。

本当にいろいろだけど。
ひとりひとり  丁寧に そして「気持ち」を聴いていく。


親との問題の話を聴いていると
自分がその親と同じことをしている現実を突きつけられて
本当に苦しくなる。
親の言動・対応で 子どもはこんなに苦しい思いをしてる。

我が子も同じように  苦しい思いをしてるよね。
気付いてる。わかってる。けど  上手く出来ないの。
ごめん。。

他人の子の話は聴けるのに。。

そんな気持ちも沸き起こりつつ
今 この電話の向こうに居る 偶然につながったこの子と
話をしていく。

第三者として  少し距離をもって  その出来事をとらえて
そして  話が出来る。

同じことなのに
この子と我が子では  なかなか同じように話せないのは
やっぱり 距離が近すぎるんだよな。。

そして
しばしば出会う  自分と同じような 生きづらさを抱えた子にも
不思議なほど自然と  かける言葉が沸き起こってくる。

自分自身では  なかなか認められない頑張りや努力を
子どもの話だと ストレートに認めて 伝え返したり 労ったりできる。

それはまるで 
空の上にいるもう一人の自分が
自分に声をかけているよう。。

いろんな重い話を聴くけど
不思議と 帰りは気持ちが充実していて
パワーを充填されたような そんな気持ちにいつもなる。

きっと
電話の向こうの子どもたち  にかけている言葉のひとつひとつが
我が子や  自分自身にかけている言葉で
自分自身の癒しに つながっているような  そんな気がする。

癒しているようで 癒されている。

そんなことを今夜も感じた
聴き屋  本業の日 でした☆

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