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コロナによる「思考と身体と魂」の無分節から分節、そして無分節な体験

語弊を恐れずに言うと、コロナになってよかった。より正確にいうと、コロナになって、その回復過程を味わう事ができてよかった。
一言で言うと、「思考と身体と魂」の無分節から分節、そして無分節な体験。
(経験したことのない高熱に、水すら飲めないのどの痛み、という軽症です)

夏休み中盤の小学生のように、やる気がなくぼけーっと人生つまらない感じで、思考がぼやける体験。
brain fogまさしく、2手先が考えられない状態。
同時に熱と痛みに悲鳴を上げる身体による実存的体験。

「思考と身体」の別物感。
そしてこの不一致感を覚えると、「身体ってお借りしてるものなのね」感が半端なく、魂の存在を感じることに。

ちなみに、思考と魂の不一致感は、記憶によるもの。「私もうちょっと精密に思考できていたよね」という記憶と現状が合致しない。

身体に関しては他にも、回復して久々にダンスで回ってみたら足元がおぼつかなくて、そこで初めて三半規管がやられていることを知ったり、動いてもないのに変な筋肉痛に襲われる―筋肉を動かすから筋肉痛が生じるという、体感的常識を否定される体験があったり。味覚異常もね。

「思考と身体と魂」
普段は割と一致しているからこそ、不一致した時にはじめて個々がばらけて認識されることとなった。

で、この思考による認識は、もちろんかなり回復してきてから。渦中にいるときはただ体験があるのみ。
思考が働かないことの恐怖感はんぱないね。時空間の中で座標が掴めない感じ。

今はまた三位一体に戻ったので、この感覚薄れていってしまうのだろうけど、うん、自己の規定を見失う面白い体験だった。
「思考と身体と魂」これ全部個別に向き合ってメンテしないといけないんだなぁという教訓を得た。

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