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積読解消ーカラマーゾフの兄弟(2)

今回の夏の旅行はオランダの自宅から車でドイツのニュルンブルグ、スロベニアのルブリヤナを経由してクロアチアのプラで過ごし、帰りはチェコのプラハを通って帰ってくる、というものでした。

最初の日は、夫の運転する車の中で去年の夏にフランスへの旅行中に読んだ「語学の天才まで1億光年」をキンドルで流し読み(二度目なので)し、改めてフランス語やスペイン語を勉強し(直しーフランス語)たい!「レミゼラブル」や「百年の孤独」を読みたい!と熱を上げていました。後者は英語訳を自宅に持っているので(積読)、なぜ持ってこなかった〜!と思ったほど。まあ、一瞬燃えただけのモチベーションの炎みたいな感じです。

ニュルンブルグ滞在二日目、ついに(と言った心構えもなく、何となく)「カラマーゾフの兄弟」を開いたところ・・・一気に50ページくらい読むことに。自分でびっくりし、原書ではない翻訳本なのに読み始めたら止まらなくなるって、さすが大作だからだなあ、と思いました。

「翻訳本」というのは、当たり前と言えばそうですが、原書の言葉から日本語という言葉に変わっているわけで、原書の雰囲気や味がだいぶ損なわれる、少なくとも変わってしまうものだ、と私は思っています。カラマーゾフの場合、もちろんロシア語で読むなんてことは考えられないのですが(ロシア語を学ぼうとしたことはありますが・・・これについてはいつか書くかも)、原卓也氏の日本語訳の流れが自然で、日本語自体も美しいのに助けられました。

それでも、これ英語にはどんな感じで訳されているんだろう、という興味で、ニュルンブルグ市内にあった大きな本屋さんの英語本コーナー(上の写真)に立ち止まり、Brothers of Karamazov の美しい装丁の本を手に取って買おうかなあ、どうしようかなあ、としばらく考えたほどです。結局、まずは日本語で読み終えよう、とやっとのことで買いたい思いを断ちましたが。

二週間のこの旅行中、多くはプールサイドや海辺で、カラマーゾフの文庫本を読んでいました。そのため本はところどころフニャフニャになりました。おかげで、クロアチアの宿で隣の部屋に泊まっていたドイツ人の家族のお父さんや、海辺でふと顔を上げた時に目に入ってきたクロアチア人のおじさんが登場人物の誰かに見えてしまったりしました。

日本語でタイトルの書かれたカバーを外さずに読んでいましたが、何を読んでいるかは周りの人には分からないだろうものの、ドストエフスキーの写真がモチーフになっているので周りに「アンチ・ロシア」感情の人がいたらどうだろう?なんていう余計なことも考え、途中からカバーを外したり。

長く積読しすぎてページが抜けてきてしまった上巻(左上)、文字が大きくなってありがたい中下巻(右上)、登場人物がこんがらがるので自分でメモを取りながら読む(下)

さて、文庫本三冊目の下巻を読み終わったのは、オランダの自宅に戻ってきてから。長年積読状態だったこの本を読み終えることができてとっても満足です。この旅行中はパソコンは持って行ったもののそれは緊急用であって、何もなければ開かない、仕事用のスマホも開かない、私用のスマホもなるべく開けずにインターネットから離れて本を読もう、そう意識していたからこそ読み終えられたんだろうなと思っています。

あと、旅行の最初のほうではもう一冊 Dune (「デューン」の原書)を読んでいたのですが、真ん中くらいからはカラマーゾフに集中したのも良かったのでしょう。

「カラマーゾフの兄弟」そのものの感想を何も書いていませんね・・・

いや、二週間ほどで、目的が他にある旅行中にこれだけ集中して読めたほどに惹き込まれたという事実が、この作品の大作であることを物語っている気がします。最後の方で、アリョーシャが少年たちに向かって話すところは読んでいて涙が止まりませんでした、とだけ言っておこうかな。

いいですか、これからの人生にとって、何かすばらしい思い出、それも特に子供のころ、親の家にいるころに作られたすばらしい思い出以上に、尊く、力強く、健康で、ためになるものは何一つないのです。君たちは教育に関していろいろ話してもらうでしょうが、少年時代から大切に保たれた、何かそういう美しい神聖な思い出こそ、おそらく、最良の教育にほかならないのです。そういう思い出をたくさん集めて人生を作りあげるなら、その人はその後一生、救われるでしょう。

「カラマーゾフの兄弟」下巻、652−653ページ




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