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21年1月17日(日)「大人になった元受験生」

大学入試センター試験を過去に受けた人間からすると、やはり1月の第3週土曜日というのはいくつになっても胸の疼きがするのです。

お茶の水の予備校に通っていた浪人生の僕は、年明けの3日目あたりから予備校の直前講習を受けて閉館近くまで勉強していました。唯一の楽しみは夕方6時ごろに近くのコンビニで買うスパムおにぎりとイチゴジャムパン。それを2号館で食べながら携帯(当時はガラケー)でiモードするのです。

周りではまだ余裕のある現役高校3年生が赤本コーナーではしゃいでいます。「貴様らの半分はどうせ来年もここにいるんだぜ!っけ!」と悋気まんまんな心の声を呟いては周囲の同胞らの表情を見ていました。覚悟を決めた者、必死な者、迷ってる者、…よくわからない者。

その中に1度も話したことないけど、顔見知りの女の子がいました。講師室で先生に質問するため並んでいます。1年間ずっと同じクラスだった彼女とはついに一度も話す機会に恵まれませんでした。何の期待もせずに僕はスパムおにぎりの最後のひと口を口に放り込みました。

午後7時に最後の講義が始まるので、教室に向かいました。この時のことはよく覚えています。科目は古文でした。教室の黒板側の扉から入って三列目。2人席の片方に座っていたのは彼女でした。何となくお互い顔見知りだったため気まずかったです。

「気まずい」という表現が正しいのかわかりませんが、友だちが茶化してきたのを覚えています。「やったな。お前あの子のこと好きだったじゃん」当時19歳。惚れた腫れたは専売特許だったとしても現実が心にフタをします。

とは言ってもやはり所詮は子ども。授業中、無駄に丁寧な字で板書しました。テキストへの書き込みもシンプルで色も紫ペンと黄色の蛍光ペンのみだったのを覚えています。男はいくつになっても、どんな状況になっても見栄を張りたいものなんですね。

無事、授業は終了しました。僕のささやかなトキメキTimeはトータル100分で終了しました。校舎を出ると漆黒の夜空の元で煌々と輝く予備校の看板に建屋の灯りが眩しかったです。そしてそこから熱気を纏った受験生たちがゾロゾロと吐き出されて行く。きっと彼ら全員が何かしらのドラマを抱えいるのでしょう。

友だちと合流した僕の脇を彼女が通り過ぎました。マフラーで顔を深く埋もらせ、ベージュの手袋には手提げのトートバッグ、肩にはショルダー鞄がぶら下がっていたと思います。ねずみ色のコートを羽織った彼女が足早に水道橋方面に歩いて行きました。彼女は一度も振り返りませんでした。それが最後に見た彼女の姿です。

正直ここまで覚えている自分が気持ち悪いと思います。でもその彼女の後ろ姿は覚えています。

あれから10年以上経ちました。彼女はいまだにねずみ色のコートを羽織っています。何でも動物の色だから暖かそうというのが理由だそうです。「今年からセンター試験とは言わないそうだね」そんなことを話しながら出勤して行きました。

外は雪は降っていなくても、どんよりと分厚い灰色の雲が寒さの程度を教えてくれています。僕は自宅で仕事をするためPCを開きネットニュースを閲覧します。主要トップは、大学共通テストの初日のトラブルや受験生の感想の声で溢れていました。

1月の第3週土曜日はいくつになっても胸が妙に疼きます。将来への不安が想起され、モニター越しのマスクをした受験生が、かつての自分と重なり、そんな彼らの後ろを彼女に似た後ろ姿が歩くのではないかと思ったり…。当時のテキストの匂いや教室の温度、校舎を出たときに感じた冷気との摩擦。一度も隣の彼女を見ることができなかった古文の授業。

受験は青春だ。そう思いながら大人になった元受験生は最後のスパムおにぎりを齧りました。

※一部フィクションです。てか大分フィクションです。m(_ _)m

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