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21年1月19日(火)「肉と米の格闘技」

中高生の頃は別段腹が減っていなくてもチキンの2つや3つ、軽く平らげていた。生きているだけで、あるいは寝ているだけで細胞分裂を繰り返す肉体はエネルギーを欲してやまない。夕ご飯なんてそれはもう「俺の胃袋は宇○だ。ドヤ!」としたり顔だった。食卓のおかずを食い尽くすつもりで米を口まで運び、そのアゴで咀嚼、消化の前戯として舌の味蕾が総動員で味わった。

あれから10数年。食べられなくなったわけではないが食は細くなった。僕の胃袋は茶碗2杯ほどで収まるようになっていた。そういえば睡眠時間も短くなった気がする。文字通り、泥のように眠り布団に沈んでは夕方近くまで寝ていたのは遠い過去。大人になるとやるべき事が多い。食事時間や睡眠時間は、見えない超越存在によって必然的に減らされているのかもしれない。

さて、今日僕が夕飯に選んだのはいわゆる「スタミナ飯」というものだ。ニンニクと醤油を下地にした濃厚タレを米と豚肉でボリューミーな丼に惜しげもなく注ぎ込む。その香ばしい野性味ある香りが僕の鼻をくすぐり、否応なく腹の虫を叩き起こした。口の中は条件反射で唾液で溢れ、人間の3大欲求である「食欲」が恥ずかしげもなく全身を奮い立たせる。

無論それで終わりではない。ホカホカと湯気が立ち上がるその丼に加えるラストスパイス。そう「卵」だ。丼の中央に作ったお肉ポケット目掛けて解いだ生卵をとろーり流し込む。黄身の洪水が豚肉のダムを決壊すると隣の白き米の海に侵入する。はたまた炒められ肉タレと絡み合う薄茶色のネギが卵と奇跡の邂逅を果たせば、それはまさに究極の傑物と化す。

これはまさに人類の至宝とも言うべき料理だ。高校生の僕が見たら毎日、泣きながら食べに来ただろう。もうジャンキーまっしぐらだ。さあ、いざ実食。割り箸を割ったその音が試合開始のゴング。

さあ鳴った!ひと口サイズの肉に対して米の量は多めにするのがセオリーだ。比率にして1:3。これが僕の黄金比率。ニンニクの効能を舐めちゃいかん。このタレはなかなかの逸品。米の量で力強く味付けされた肉に対抗しなくてはいけない。もちろん肉の味が弱かったケースを想定し、白米にもある程度タレが染み込ませてある。この気遣いが実に嬉しい。今、食している「スタミナ飯」というのは、言うなれば肉と米の格闘!決してどちらかを余すことがあってはいけない。バランスよく消費し最後は同時にフィニッシュを迎える。これが僕流のマナーなのだ。

1:3の肉米のバランスで3口。その後、口直しにグラスの水をいただきリセット。これで1セットだ。この時、目の前の料理に全力にならなくては意味がない。耳を澄ませればお肉の声が聞こえてくる気さえする。白米が「もっと僕を食べておくれ。じゃないと肉には勝てないよ」「ほらここは肉を多めにしないと余っちゃう」

ふふ…僕くらいのレベルになると、1人で食事しているのに、まるで見えない誰かと舌鼓を打つことができる。

そうして中枢神経が満腹を知らせてくる頃には丼の中は空になっているはずだ。名残惜しいニンニクの香りと口の中に残る豚肉の歯応えが僕を余韻の世界に誘ってくれる。ここで最後に確認しなくてはいけないことがある。それは丼の中に決して米粒1つ残すなということ。米一粒に神様が7人いるというのは小学校の校長先生から教えてもらった。詳細は完全に忘れたが、僕は単純に生を謳歌できたその感謝の念のみで食べ残しはしない主義なのだ。

大した話ではない。食べ物は大切に。たった1つの料理だけでこれだけ語れるのだ。世界中にある珍味美味の一つひとつに、愛してやまない猛者が必ずいる。好きなご飯を食べられる。それだけでなんて素晴らしい世界なんだって思えるのでした꒰ ´͈ω`͈꒱

しかし…スタミナ飯はニンニクが強すぎる…ゲップするたびに香りが戻ってくるぞ…(><)
そんな欠点もハマると愛着が湧くから不思議である。

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